ヨハネの福音書21

 

21:1 この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。

復活のイエス・キリストの出現のこと、時々出てくる、つまり、所々 弟子たちに、復活のキリストは現れた

よみがえりの主、よみがえりの経験 参照 ローマ6:5 弟子たちはしょっちゅう復活の主に会う

復活の主→経験するなら、信仰が強められる 生きた主を経験する

 

21:2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。

21:3 シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。

:教会のこと 羊の囲い:教会 魚:クリスチャン(の中に生きる)

                                       聖霊

 

21:4 夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。

イエスと弟子は親しかったが、分からなかった

 

21:5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」

21:6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。

主がどう言われたか、どのように語っているのか、主に尋ねていく

 

21:7 そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。

衣を着て、主の前に出られるように 参照 黙示録7:13,14→白い衣を着る(罪があっても、白い衣で洗って下さる)

尊い血をあがめていく 聖霊によって、復活の主に出会い、経験する

 

21:8 しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである。

21:9 こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。

21:10 イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」

21:11 シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。

21:12 イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか。」とあえて尋ねる者はいなかった。

21:13 イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。

21:14 イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現わされたのは、すでにこれで三度目である。

食べる→御言葉と聖霊のききんが世の終わりに来る しかし、イエス様が用意して下さる→キリストが与えて下さったパン

Ex:4000人の給食→メッセージのこと 弟子たちは奉仕者 しかし、キリストがメッセージを裂く

メッセージの一番のポイント:キリストからのものをもらう 祈って求めていく時に教えられる

私たちに知恵が無くても主が用意して下さる→メッセージを作る時に、主だけに頼る 

心からキリストを愛するなら復活の主に会う

 

21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」

キリスト(花婿)を愛しているかどうかがポイント 世の終わりにはそのあたりが分かれ目

食べるものを食べていたら、与えることが出来る 自分が教えられれば、難しくない

私たちが受けるパンと魚を主から与えられる

私の小羊→Feed 食べさせる、牧会しなさい 本当に主を愛するなら、牧会を考える

こういったことを考慮に入れると、益になる

食べさせる訓練→このことを選ぶことは恵みになる、弱い部分が助けられる

 

21:16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」

21:17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

何よりも勝って愛するか?と、問いかけている キリストを愛している人がキリストの花嫁になる

婚姻関係にたとえられる→御心を行う、御言葉を信じる

キリストの羊だったら牧しなさい

どういう羊も、キリストの羊、育てておられるのはキリスト、真に導いているのはキリスト

そのことを恐れてケア・対応していく ただし、個人の所有にするのはダメ!

                            行き過ぎてはいけない

 

21:18 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」

21:19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」

行きたくない所:殉教→世の終わりにも起こる 

永遠の命を失う時代に入る→とんでもない時代に入る、サバイバルの時代

死ぬことを通して、神の栄光をあらわす

 

21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか。」と言った者である。

21:21 ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」

21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

21:23 そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。」と言われたのである。

21:24 これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。

21:25 イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。

再臨の時に通じる 2種類の弟子がいる それぞれの歩みが違う 主に示された歩みを歩んでいく

人は人であり、歩みはそれぞれ違う 独自の召しがある 主に従うことがポイント