ヨハネの黙示録12章1~6             20016.3.20

 

 

 

12:1また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。

 

 

 

太陽を着る女が出て来る。

 

今のキリスト教会は、あらゆる所で道が曲がっている。

 

聖書の解釈に関しても、かなりずれている。

 

黙示録の解釈もそう。

 

キリスト教書店で売っている、黙示録の解釈本には、「文字通り解釈せよ」などと書いてある。

 

しかし、「太陽を着る女」が普通の人間だと思うのは話にならない。

 

喩えを理解しない限りは、この箇所は理解できない。

 

それは、この箇所に限らない。

 

あらゆる箇所が、喩えと謎が含まれているのであって、主が言われた通り、「この喩えが理解出来ないのか」と言われた通り、喩えを理解するという事を、我々が求めて行って初めて理解出来る。

 

この女の解釈。

 

この女は、創世記で、ヨセフが見た夢とそっくりな夢。

 

 

 

創世記

 

37:9ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」と言った。

 

37:10ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」

 

 

 

このあたりに解釈が出ている。

 

太陽は父。そもそもヨセフは、ヤコブの12人いる息子の一人。

 

十一の星にヨセフを加えると十二になる。

 

この12の星は、太陽は父親であり、ヤコブであり、イスラエル。

 

月は母。  12の星は、12の部族。  この箇所が、まさに、黙示録12章の意味合いを理解する、

 

基本となる箇所。

 

ここは、それであると悟って、初めて、黙示録の、「太陽を着る女」という箇所が分かって来る。  正しい該当する箇所を見ないで、解釈するのは間違い。

 

 

 

イザヤ書

 

34:16主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊が、これらを集めたからである。

 

 

 

「私的解釈」、これは日本語訳ではかなりおかしいが、正しくは、「その箇所のみから解釈しない」という事。

 

連れ合いの箇所を読んで、初めて意味合いが明確に分かって来る。

 

 

 

黙示録

 

12:1また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。

 

 

 

旧約のヨセフの夢は、イスラエル12部族に関するものだったが、「太陽を着る女」は新約の女なので、この女は、新約の「教会」。

 

教会も、新約のイスラエルとして、12の星がある。

 

この女には特徴がある。

 

それは、「天的」な要素しかないという事。

 

教会は本来、天と地、両方が教会。  アブラハムに関して主が言われたのは「あなたの子孫は天の星。地の砂のようになる」

 

星というのは天にある。  星は天的な教会、クリスチャンだが、砂は地的なクリスチャン。

 

そして「砂」はろくなことが言われていない。

 

「砂の上に家を建てる」と災害が来た時、ひどい倒れ方をする、とか言われている。地的であり世的。

 

この教会、すなわち女の特徴は、天的である。女は教会の喩え。

 

天的な教会とは何なのか。  天的というのは、簡単に言えば、今のアメリカで色々と憎まれているクリスチャンの事。トラクトを配っただけで逮捕されたり、同性愛に反対したりしただけで逮捕されたりしている。

 

「イエス・キリストにこそ救いがある。」と言ったりするといやな目をされたりする。

 

これは聖書的に見れば「天的な教会」

 

だから我々は、旗印をはっきりしていかなくてはならない。

 

然りは然り、否は否で。  やるならやる。やらないならやらない。

 

我々は、天的な教会として歩んでいると定めたら、それを正しく進んでいく。

 

そうでないと、天的な者として神に認められない。

 

「きよい者はますますきよく、汚れた者は増々汚れを行なえ」という時代。

 

 

 

12:2この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。

 

 

 

産みの苦しみというのは、

 

 

 

マルコ

 

13:8民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。

 

 

 

ここに書いてあるのは色々な艱難。

 

艱難時代の艱難。

 

艱難時代というのは、艱難が起きるので、嫌な事だが、それは、海の苦しみの初めだとも書いてある。

 

産みの苦しみの後、子が生まれて来る。

 

これには二面性がある。 一つは産みの苦しみ、もう一つは、勝利者という面がある。

 

 

 

黙示録

 

12:3また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。

 

 

 

ここで、竜が出て来る。  7つの頭と10本の角がある。

 

煮た表現が、黙示録の中に出て来る。

 

 

 

13:1また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。

 

 

 

まさにこの獣と同じ者。

 

黙示録13節の竜を通して、聖書が語っている事は、

 

 

 

ダニエル書

 

7:23彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。

 

7:24十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。

 

7:25彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。

 

7:26しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。

 

 

 

 

 

ダニエル書には、4つの獣が出て来るが、そのうちの一つが、獅子。

 

2番目が熊、3番目が豹、4番目が名無し。

 

しかし、黙示録で名が与えられている。      それは「竜」

 

竜は、恐竜。    恐竜は、実際に存在していた。

 

この4つには共通点がある。  それはみな、人を食い殺すというところ。

 

ケダモノのような国家。

 

この4つの獣が戦うと、一番強いのは、「恐竜」

 

どれも人喰いの国。アメリカはまさに恐竜の国。

 

だから、アメリカの大きな特徴は、人殺しを平気でするという事。

 

我々の目が見えるなら、あの国はあらゆる形で人を殺す国。

 

戦争、地雷、ウィルスばら撒き、炭疽菌を作って、あちこちにばら撒いたり、食品添加物、

 

おびただしい数の病原菌を保存している。一体、何のために使うのか。

 

人類を殆ど滅ぼすのが目的。恐ろしい国。

 

それだけでなく、全世界のあらゆる国の軍事費の40%をアメリカ一国だけでカバーしている。

 

2位から10位までの軍事費を合わせてもアメリカ一国に及ばない。飛びぬけている。

 

人を殺すという事に関しては、ダントツに強い。 まさに恐竜そのもの。

 

ハイパーパワーを持っている。なので、恐竜とはアメリカの事。

 

これに関して、「彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。 十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。 彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。 しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。」                    

 

「全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。」と書いてあるように、今すでに、アメリカはこんな感じだが、もっとさらに過激になって行くと思われる。                   

 

あちこちの国が、アメリカの横暴の為に、破壊されたり、倒されたりしている。

 

日本もひどい目に遭った。数百万の人々がアメリカとの戦争で殺されてしまった。

 

もう一つは、「彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。」 真の神の聖徒を、これからアメリカが滅ぼしつくそうとしている。

 

これは肝に銘じておかなければならない。

 

そういう国であり、その様に預言されている。

 

アメリカでは、多くの聖書の預言を知らない人々は、「アメリカはキリスト教国であったはずなのに、どうしてキリスト教のトラクトを配っただけで逮捕されるんだ?」

 

そして、インターネットで検索すると、オバマ=反キリスト  という事がたくさん出て来る。

 

しかもオバマは「アメリカは最早キリスト教国ではない」などと言っている。

 

しかし、問題は簡単じゃないと思う。

 

オバマの次の大統領はまともな人かと思えば、決してそうではない。

 

アメリカがこうなると決まっている以上、たとえ大統領が代わっても、それは表面的な事。

 

誰が大統領になっても、この傾向は変わらないと思われる。

 

増々、反キリスト的な国になって行く。

 

なので我々は、心構えとか、心意気とかをはっきりさせなければならない。

 

今、どういう時代に生きていて、どういう状態で我々クリスチャンは生きているのか、他でもない黙示録では、竜とか恐竜と言われた、歴史で預言されている国が、まさに本性を現している時に我々は生きている。  まだ日本ではそんな状況ではないが、今はっきり土台を据えなければ、いっぺんにひっくり返されてしまう。

 

今こそ、我々クリスチャンは、備えをなすべき時であり、歩みの土台を据える時。

 

イザヤ書に、「主の日の戦いに備えて、石垣を築かなかった」とあるが、石垣を今築くべきであり、岩の土台を築くべき時。そうでないと、全く時代を、見誤っている。

 

証拠は嫌と言うほどある。

 

3.11の津波は、何の兆候もなかった。

 

これから来る時代に関しては、聖書では、聞くべき耳があるならば、はっきりした兆候や、警告は与えられている。

 

黙示録の12章では、恐竜が出て来ている。

 

これが女を追う。その時を我々はまさに、近未来に迎えようとしている。

 

残念ながら、多くのクリスチャンの目は見えていないので、殆どこういう事に関してはどこ吹く風だが、見えるべき人は見える。

 

 

 

黙示録

 

12:4その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。

 

 

 

この竜は、天の星に影響を及ぼす。  三分の一を地に落とした。

 

意味合いは、星は、12の星に通じるように、教会であったり、クリスチャンであったりする。

 

天の星の三分の一は、すなわち天的なクリスチャンが恐竜の国であるアメリカによって、地的、

 

世的になってしまうという事。

 

その時に「尾」が使われる。      「尾」には、意味合いがある。

 

 

 

イザヤ書

 

9:15そのかしらとは、長老や身分の高い者。その尾とは、偽りを教える預言者。

 

 

 

「尾」とは、偽りを教える預言者達。

 

恐竜の国であるアメリカは、にせ預言者を出して来る。

 

多くの人は間違えている。「獣の国は、反キリストの国だから、キリストの教えとか、メッセンジャーは誰もいないんじゃないか」

 

これは違う。

 

獣の国は、未信者をも動かして、色々戦争を起こして人を殺させるが、クリスチャンこそをターゲットとして、キリスト教会の中に、にせ預言者、にせ教師を送り込んだりして多くの人の信仰をひっくり返したりする。    偽りの霊を送り込む事をしている。

 

だから、悪魔の心を行なっている。

 

そんな国はアメリカ以外に無い。

 

アメリカこそキリスト教のトップバッター、リードしている国。

 

具体的には、ベニーヒンの様なおかしな預言者をどんどん用い、リックウォレンみたいに、「イスラム教とキリスト教を融合する」とか、インチキな事を言う。

 

そういう器が、いっぱい出て来ている。

 

こういった者が、どんどんキリスト教とイスラム教も同じようにして、天的なクリスチャンをこの世的な者にさせつつある。

 

アメリカに関する事は、世界中に影響する。

 

日本でも、リックウォレンの本が、キリスト教書店で、大々的に売られていた。

 

一時大ブームになっていた。

 

こんなものに引っかかって、この世的なものにされるのは良くない。

 

気を付けておく。

 

 

 

黙示録

 

12:5女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。

 

 

 

「男の子」これは明らかに殉教者。

 

神の御座には生きたままいけない。

 

天に上げられるのは、殉教者。

 

 

 

12:6女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。

 

 

 

1260日は明らかに3年半。

 

女が荒野に逃げたというのは、出エジプトした民が、エジプトを出て荒野に行った。

 

その記事に似ている。まさに同じ。

 

同じように我々も、ある意味、その様になって行くべき。

 

ここでは、女が荒野に逃げた事が正しい。

 

荒野に逃げたという事は、要するにエジプトに留まらなかった。

 

それは、黙示録の中に出て来る、ソドムやエジプトと言われる都と関係する。

 

これは、喩えや奥義が使われていて、教会がソドム化する。つまり同性愛を受け入れるようになる。また、エジプト化、この世につくようになる。

 

だから、そういった教会から出て行くという事。

 

それは、仮庵の祭の仮庵という事になる。

 

我々は、終わりの時になった時、我々が天的な教会であるなら、それこそ今アメリカで迫害されているような教会、クリスチャンの歩みをしていくのなら、艱難時代に入るべき所は、荒野。

 

日本は、幸い緑の島国なので、荒野などは少ない。

 

鳥取の方には砂丘があると聞くが、そう言う問題ではない。

 

要はエジプトを出れば良い。エジプトを出れば、そこは荒野。

 

仮庵も、ソドム化、エジプト化した教会を出て、そういった教会の外で礼拝すれば、それが仮庵の祭。深く考える必要は無い。

 

ただ、はっきりしなければならない事は、やはりこの時代では、分かる事は、背教の教会に対して、神様が、罰や裁きを下されようとしておられるという事。

 

だからバビロンに関しても書いてある。

 

「我が民よ、この女から離れなさい。災害を受けないために」

 

我々は、世の終わりになってきたら、一つはっきりとしなければならないのは、その特に、背教の教会から、どうやって出るか、という事。

 

レムナントは初めから仮庵を目指しているので、ここからさらに出る必要は無いが、一般的な教会はそうである。

 

それが大事なポイント。

 

そして、荒野に逃げる事が良い。神の約束がある。

 

「そこには1260日の間、彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。」と書いてある。

 

この箇所を読んでわかる事は、たとえ獣の国が色々画策しても、神の助けによって、1260日、

 

つまり3年半の間、女(天的な教会)は、最後まで養われていく。

 

この女に関しては、色々妨害をするけれども、守られるという事が掻いてある。

 

 

 

12:14しかし、女は大鷲の翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。           

 

12:15ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。

 

12:16しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。

 

 

 

だから、色々な意地悪を竜は仕掛けて来る。

 

しかし、女の為に大鷲(聖霊)の翼が与えられ、「地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。」

 

荒野に逃げた女に対して、3年半の神のサポートがある。

 

なので、これを通して、理解しなければならない事は、一つは、はっきりと、「男の子」という、勝利者、殉教する人々もいる。  これは、天的な教会から出て来る。

 

女が男の子を産むわけだから。

 

しかし、天的な教会が、みな殉教するのかというと、それは違う。

 

天的な教会は助けられる、というのも、聖書の語るメッセージ。

 

確かに、「獣の像を拝まないものをみな殺させた」と書いてあるが、それは、背教の教会の事であって、さっさとバビロン化した教会を出て、荒野に入って行くべき。

 

黙示録のというのは、あまりにも多い、謎と喩えによって書かれているので、色んなクリスチャンは、極端に解釈して、極端におびえてしまったり、極端に悲観的になってしまったり、色んな事がある。

 

しかし、ここで読み取れるメッセージが妥当な線だと思う。

 

確かに殉教はあるが、全員が殉教するわけではない。

 

神の助けを経験する時。そのように理解出来る。

 

アメリカによる厳しい迫害に絶望するのではなく、神による不思議な助けがあるという事が、「聖書に書いてある以上そうなんだ」との認識でいきたい。

 

不信仰になってしまう人は、台頭した反キリストを拝んだりするが、それはろくな事にならない。  なので、神の書かれたメッセージを読んでいき、正しく理解して行きたい。