ヨハネの黙示録13章17~18    2016.5.29

 

 

 

                         666の反キリスト

 

 

 

黙示録

 

13:17また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。

 

13:18ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。

 

 

 

その名の数字を持っている者以外、または刻印。

 

「その名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。とある。

 

聖書は明らかに、喩え、この箇所にもある。

 

思慮ある者=悟りのある者は「獣の数字を数えなさい。」

 

だから、知恵、悟り、謎とか、そういった事柄が聖書の中に書いてある。

 

まして黙示録は、謎や喩えが大いに使われていたり、神の知恵によって書かれている。

 

666の数字を解くとか、こういった事は、神の知恵に関係する事で見て行く。

 

「買うことも、売ることもできないようにした。」

 

これは、牧師の理解では、喩え、謎、神の知恵が使われているというように思われる。

 

「バーコードがそれだ」とか文字通り、「売り買い」が出来なくなるとか、セブンイレブンに行っても買う事が出来ない、などを言う人もいる。

 

それはあるかも知れないし、無いかもしれないが、喩えの意味合いも見たいと思う。

 

「売り買い」に関しては、聖書の喩えとかが使われている。

 

 

 

第一コリント

 

6:20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。

 

 

 

ここが、まさに黙示録が言う「売り買い」と、同じ言葉が使われている。

 

ここが何かというと、「代価を払って買い取られた」、つまり「贖い」

 

罪から贖われる事。

 

なので、実際の売り買い、コンビニなどで「売り買いが出来ない」ということもあるかも知れないが、クリスチャンにとって大事な意味合い、喩えの意味合いと言うなら、「贖い」という事に関しての事柄。 「代価を払って買い取られた」・・・これは贖い。

 

「あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。」

 

なので喩えを理解するならば、「贖い」に関する事に関して、獣の名、数字を持っていたりする人は、「獣の霊」を受けた人と理解出来る。

 

「獣の霊」を受けていたり、「贖い」に関して、救いだとか、神を信じるとか、キリストに血よる贖いとか、そういう事柄にタッチする事が出来ない。

 

獣の印を受けている人達だから、そんなものを受けて、キリストの元とか、天の御国に入って行けるわけがない。 逆に滅びに入って行ってしまう。

 

ここでの問題は、キリスト教、またクリスチャンにとって、最も根本的な問題である、我々は、我々は、キリストの血によって、罪を贖われ、天の御国に入れる。

 

あらゆる罪とか、災い、負債を買い取られて、代価を払われたという、根本的な事柄に関して、

 

敵の攻撃が入り、贖いが無くなってしまう。そういう獣の器以外出来ないという時が来る。

 

黙示録13章の基本は、一節にはね地の砂の事が書いてある。

 

KJVでは、黙示録13章の1節は、「私は海辺の砂の上に立った」と書いてあるが、

 

だから13章は、「砂の上に家を建てた人達」に対してのメッセージであり、また、砂の上に家を建てた人達が教会が、どの様な崩壊に入って行くのかが、この章のポイント。

 

13章は、この世()にくっついている教会、クリスチャンにあらゆる災いが来る事を語っている。最後には贖いも奪い取られるという事柄。

 

全てのクリスチャンがそうなるわけではない。

 

12章は13章とは対照的。

 

天的な、クリスチャン、教会に関しては、3年半の間、竜のもとから逃げて、大わしのもとで養われるというのが12章の結論。

 

終末の日には、明らかに2種類のクリスチャンがあるという事が、聖書が言っている結論。

 

13章は、残念ながら、地的でこの世についた教会であり、そこにおいては、あらゆる滅び、

 

また、最後には獣の印をつけられ、贖いも奪い取られ、散々である。

 

公の教会はそうなって行く。プロテスタントであろうとカトリックであろうと、ルター派であろうと、有名な福音派であろうと。

 

主は、その様な時代に関連して、繰り返して言うけれども、その日に関して言われた。

 

「屋上にいる者は、家の中のものを取り出そうとして中に入るな。」

 

家は教会、公の教会の喩えであって、屋上では仮庵の祭が行なわれ、それを前提とした事。

 

仮庵は地下教会。 すなわち地下教会から出るなとの警告。

 

13章の16節では、獣のしるしを付けるという事が書いてあるが、

 

しるしを付けるという事に関連して、

 

 

 

エゼキエル書

 

9:4主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」

 

9:5また、私が聞いていると、ほかの者たちに、こう仰せられた。「彼のあとについて町の中を行き巡って、打ち殺せ。惜しんではならない、あわれんではならない。

 

9:6年寄りも、若い男も、若い女も、子どもも、女たちも殺して滅ぼせ。しかし、あのしるしのついた者にはだれにも近づいてはならない。まずわたしの聖所から始めよ。」そこで、彼らは神殿の前にいた老人たちから始めた。

 

 

 

ここでは、神のしるしのついた人達に関して、額にしるしがついた人たちに関しては、滅びは来ない。

 

それと反対するのが黙示録。

 

 

 

黙示録

 

13:16また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。

 

13:17また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。

 

 

 

ここでも、神様の言葉に対抗したように、額に獣のしるしをつけたりしていく。

 

なので、これは、先程のエゼキエル書で書いてある事と、まさに反対の事。

 

エゼキエル書では、町の中で行われているあらゆる忌むべき事に関して「悲しんでいる人々」は、「しるしをつけよ」という事が書いてあるが、反対に黙示録の「獣のしるし」は、あらゆる、教会の中で行なわれている冒涜的な事を、悲しむどころか、喜んでいたり、同調している人々は、獣のしるしをつけられると理解出来る。

 

「神のしるし」と「獣のしるし」は全く逆。

 

黙示録13章では明確には言われていないが、今のエゼキエル書の箇所から、比べてわかる事は、明らかに、獣のしるしをつけられる、つける人達というのは、今のキリスト教会で起きている冒涜に関して、「悲しんで」はいない。「喜んで」いたり、全くそういう感覚が無い、その様な人は、いずれ獣のしるしをつけられてしまう。

 

具体的に言うのなら、今、LGBTで、性的少数者の権利云々と言って、聖書が明確に語っている、同性愛に対しての事に関して、全く痛みを持たない、逆に聖書の言葉を後ろに投げて、そういう事(同性愛)に同調して行ったりしているが、その事に関し、全く悲しんでいない。

 

だから逆に、獣のしるしをつけられたりする。

 

そういう事柄がまさに、働いている。

 

だから今、世界のトレンド、例えばアメリカでは、カトリックの信者の70%以上が、同性愛に同調している。

 

明らかに世界のキリスト教会の傾向が、そういう方向に来ている。

 

それはいずれ、獣のしるしを付けられる事に通じる。

 

この事はよくよく覚えておく。

 

だから1317節では、「獣の名を持つ」と言っている。

 

これから獣の名を持つ人が出て来る。

 

これもサタンが神に対抗しているから。

 

我々はクリスチャンと言われているが、「クリスチャン」の中に「キリストの名」が入っている。旧約聖書の色んな預言者とかはみな、「神の名」が入っている人が多い。

 

例えば、「エレミヤ」の「ヤ」はヤーウェ、神の名が入っている。

 

しかし、それに対抗するかのように、どういう名前か分からないが、反キリストには獣の名が入っていると思われる。

 

「獣の数字」・・・・獣の数字を持っているという事がある。

 

名前の中に「獣の数字」が入っている。 獣の数字は666

 

それに関連して、「ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。」

 

獣の数字が出て来る。反キリストの名がそうだろうとも言われている。

 

獣の数字を理解しなければいけないと思う。

 

日本語の概念の中では、名前の数字が入っていると言うのはあまり理解出来ない。

 

旧約聖書はヘブル語、新約聖書はギリシャ語であるが、ヘブル語、ギリシャ語の、数字の概念を考えなければ分からない。

 

個人の名には、数字がある。

 

その獣の数字を数えると666になるという事をまさに言っている。

 

今有名な人にはいないようなので、これから出て来るのだと思う。

 

聖書に書いてある事は、脅しでも嘘でもなくて、実際に歴史を調べていく時に、反キリスト的な人は、666に該当している。

 

そして他でもないイエス様の初降臨の時に、西暦70年にエルサレムは崩壊した。

 

その時に、都も宮も崩壊した。

 

その時に主役になった人がまさに666だったそう。

 

ローマの将軍のテトス。 この人物のもとで、西暦70年のエルサレムに対するローマの攻撃が行われた。

 

その時の将軍が、ギリシャ語ではテトスと呼ばれているが、タイタンという読み方。

 

そのスペルはタイタン。その名の数字を数えて行くと、まさに666になる。

 

この事は牧師が思うに、結構大事。

 

この時のエルサレム陥落、宮の崩壊は、終末の日の宮の崩壊。

 

それは物理的にではない。

 

教会の教理の根本。 宮の土台は、使徒、預言者の教え。

 

使徒パウロの教え、預言者(ダニエル、エゼキエル、エレミヤ、イザヤなど)の教え。

 

隅のかしら石であるイエス・キリストの教えも、みんな崩壊させられると思うが、その反キリスト、獣の名前は、聖書が言っている通り、666になる。

 

かつての最初の宮の崩壊の時、やはり崩壊の責任者は、ローマの将軍のテトス=タイタン。

 

その名の数字を数えたら、666になる。

 

だから、次回も単純に、その人(反キリスト)の数字を数えたら、666になると聖書は言っているので、そうして、「これが反キリスト」だと、神様は言われようとしているので、この事は是非見て行きたい。

 

神様は、数字をもって、反キリスト的な事に関して、警告をする。

 

だから、反キリスト的な働き、動きなどに、不思議に666が使われる。

 

牧師が知っているものでは、コンピューターが666である事。

 

今は、コンピューターを通して、あらゆるインチキや、悪魔的な事が出来る。

 

個人情報も奪い取る事が出来るし、コンピューターを介して、ディスプレイについてるカメラを飛ばして、個人の家を監視したりできるので、気を付けていただきたい。

 

コンピューター経由で、地の果てからでも音声マイクで盗聴出来る。

 

あらゆる方法で、コンピューターは悪魔的に用いられる。

 

インターネットの活動も、コンピューター経由で情報をゲットできる。

 

イエス・キリストの「イエス」は888

 

聖書に出て来る888はやはり恵みに関したりとか、救いに関した事とか、色々ある。

 

色々御言葉をギリシャ語で数えて行くと、888になったりする。

 

イザヤ書の50章の12節の中に「私たちは救い」という言葉が出て来る。

 

ヘブル語で数えると888.

 

まことに聖書は、神の知恵によって書かれていて、しかも数学的。

 

反キリスト的なことをする人は、666になってしまう。

 

神の配慮によって、結果的にそうなってしまう。

 

聖書も神の支配の下にあるが、歴史も神の支配下にあるし、反キリストの名前も支配している神の御手を見なければならない。

 

だから、必ずこれは成就する。

 

反キリストがいざ出てきた時、666になっているとなっていると思う。

 

あらゆる反キリスト的な事は、666が使われているらしいが、ラテンという言葉も666だそう。ラテンというのは、カトリックと関係している。ローマカトリック。

 

聖書は、ヘブル語やギリシャ語で書いてあるが、カトリックのもとでは、ずっとラテン語で訳されていた。千年間くらい。

 

他の言葉は使われなかった。

 

そのもとで、あらゆる教理の改ざんとか、インチキな教理が教会の中に入って来た。

 

ラテン語は、反キリスト的な事に用いられた。

 

今でもカトリック教会に行くと、ラテン語が尊重されるが、そういう名残。

 

ラテンは、反キリスト的。

 

どちらにしても、神様がそのようにコントロール、管理がされている。

 

この世に出て来るあらゆる人、人物、事柄に関しても、神の管理の下にある。

 

だからコンピューターも、この発明も、神の管理の下にある。

 

反キリスト的な事というのは、嫌でも、たとえこの世的なものであっても666がつくようになっている。

 

そして、数字的な事柄も見て行きたいと思う。

 

聖書の中に出て来る数字には、神の秘めた意味合いがある。

 

318

 

 

 

創世記

 

14:14アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。

 

 

 

318人で追跡して奪われたたものを取り返した。

 

聖書に出て来る数字の秘めた意味合いを、我々が理解していくと、さらに大事なメッセージや教えを受ける事が出来る。

 

こう言うポイントは覚えておく。

 

聖書の数字に対しての学問は、明らかにある。

 

神様は、言葉を通して、「イエス・キリスト」は救い主であると語っておられるが、聖書は神の知恵によって書かれた本なので、そういった数字を通して語られたメッセージがあるという事を見ておく。

 

318」は、

 

 

 

15:2そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」

 

15:3さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」と申し上げた。

 

 

 

エリエゼルというのは、奴隷、しもべのトップ。

 

だから、先ほどの1414節では、「神の家で生まれたしもべども」とか、「家で生まれた奴隷」とか書いてあるが、そのトップがエリエゼル。

 

そのエリエゼルがまさに、ヘブル語で数を数えられると、その数字は、計算すると318になる。

 

エリエゼルの名前の意味は、「神は助け主」という。

 

318という数字、318人のしもべを助け出したという事を通して、神が語られているメッセージと言うのは、確かにアブラハムが、しもべを助けに行ったのだけれど、神が助け主であり、助けてくれたから、アブラハム達は勝利を得て、取り返す事が出来たという、そういう隠れたメッセージがあると理解出来る。

 

その様に、数字を通して、神が隠れたメッセージを語られた面は、覚えておく。

 

そういう学び、学問というのもある。

 

それと関連して、数字など、神様の方法という事に関連して、もう1つの事を見て行きたい。

 

聖書の中で、暗号が使われているという事。

 

ややこしい暗号も聖書の中で使われている。

 

 

 

エレミヤ書

 

25:26北国のすべての王たち、近い者も遠い者もひとりひとりに、地上のすべての王国に飲ませ、彼らのあとでバビロンの王が飲む。

 

 

 

注の無い聖書だと分からないが、注のある聖書だと、ヘブル語で「シシャク」と書いてある。

 

これは、暗号で読む。

 

シシャクはヘブル語で言うと、バビロンに対応する。

 

バビロンを示すのに、暗号でシシャクという言葉が使われている。

 

これも、神様の方法だという事。

 

神は暗号を用いる。 レムナントは暗号に関係している。

 

数字をもって名前を示したりもする。

 

聖書の方法とか、謎や暗号を使ったり、こう言う神の一面がある。

 

そして、人間的な観点から「暗号なんてあり得ない」というのも違うと思う。

 

神様が、暗号を使って書かれたり、それを通して現代の事柄も語られる。

 

それは我々の理解を超えているが、神は我々より知恵のある方なので、そういう事もあり得るかもと。

 

黙示録で、「思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。」と書いてあるように、聖書は、全てとは言わないが、所々で、神の謎とか知恵を使って書かれている部分が多い。

 

そういう面もあるという事を理解しておいた方がいいかも知れない。

 

自分の考えだけで「聖書の暗号なんて無い」と言う人もいるが、ただ好き嫌いだけで言っているだけだが、実際に暗号が使われている。

 

 

 

黙示録

 

13:18ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。

 

 

 

これは聖書の一面。

 

知恵、悟り、謎、暗号。   そういう面もある。

 

「その数字は人間をさしている」と書かれているので、反キリストは明らかに666になると思う。