ヨハネの黙示録17章5節                2016.10.30

 

 

 

17:5その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン。」という名であった。

 

 

 

黙示録の時代にバビロンが出て来る。

 

これには、大きな、重要な意味合いがある。

 

バビロンの意味合いを見て行きたい。

 

日本語では、「その額には、意味の秘められた名が書かれていた。」とある。

 

これは御国の奥義。英語では「ミステリー」という言葉が使われている。

 

 

 

マタイ

 

13:10すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」

 

13:11イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。

 

13:12というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。

 

13:13わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。

 

 

 

神の御国の奥義。 1つ理解しなければならない事は、イエス様は、全てのクリスチャンに対して、ある意味平等ではない。

 

ある人は、奥義を悟るべき召されており、群衆のように、喩えで区分されてしまう人がいる。

 

「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。」そういう意味では、一生奥義を解けないという人もいる。

 

奥義に関して言うならば、解らないより分かった方が良いし、悟れないより、悟った方が良い。

 

黙示録の時代に、バビロンとは何か。  悟れないより、悟った方が良い。

 

そうでないと、何の警告にもならない。

 

ここではっきり解る事は、「弟子たち」には、御国の奥義を悟る事が許されている。

 

イエス様は、やみくもに人々を差別しているのではない。

 

弟子たちは群衆がイエス様から離れていく時も、イエス様につき従っていた。

 

それゆえ、御国の奥義を悟る事が許されていた。

 

我々にも同じ。

 

弟子の歩みをしていく時に、それは許されていた。

 

こう言った区分は理解しなければならない。

 

聖書は、区分に関して明確に語っているが、今の聖書研究では、殆ど言われない。

 

主がこのように、弟子の歩みと、群衆の歩みを区分したなら、誰もその区分を撤廃する事は出来ない。

 

それは今も同じ。

 

どんなに注解書が発達しようとしまいと、我々が、主の弟子の歩みに入って行って初めて、御国の奥義が見えて来る。

 

こういうパターンは変わらない。     御言葉を尊重して行きたい。

 

もう1つは、聖書の重要な部分とか、奥義というのは、喩えを用いて語られているというのを正しく理解しなければならない。

 

聖霊の知恵によって、喩えを理解していく時に、色んな奥義を理解出来るので、こういった事柄を見て行きたい。

 

終末の日の淫婦バビロンというのは、奥義。

 

レムナントの理解が「絶対に合っている」などとは言わないが、バビロンに関して言えば、アメリカのキリスト教会こそが終末のバビロンだと理解している。

 

バビロンに関して理解するためには、旧約を見て行かなければならないが、バビロンに関して分かる所は、バビロンの特徴として1つは、「汚れがバビロンから出て、全世界に及んだ」と書いてある。  もう1つは、神の民は、イスラエル、ユダの国ではあるが、バビロン捕囚された。物理的に連れて行かれた。引き抜かれて行った。

 

これには意味合いがある。

 

旧約時代のバビロンはこうだったが、新約の時代においても、成就すると思われる。

 

1つは、「汚れがバビロンから出て、全世界に及んだ」

 

あらゆる汚れた教理、間違えた教理、偽り、不道徳な事、おかしな霊、こういったものは、今のキリスト教会を客観的に見るならば、まさにアメリカから出て、全世界の国に及ぶし、また、全世界の教会に及んでいると理解出来る。

 

アメリカにおいて、「汚れがバビロンから出て、全世界に及んだ」事が実現していると思われる。    それはこの世的にもそう。

 

不道徳な事柄、音楽、トレンドが、どんどんアメリカから出て、全世界に広まっている。

 

そして、キリスト教会においてもそう。

 

あらゆるおかしな教え。 レフトビハインドや、パーパスドリブンチャーチ、ヤベツの祈りもそうだが、キリスト教会の中に入って行って、根本的な事をひっくり返すような教えが、どんどん、アメリカのキリスト教会を起点に、全世界のキリスト教会に広まっている。

 

もう1つは、神の民は、バビロン捕囚されるという事。

 

昔のユダは、約束の地である、先祖たちが40年も荒野を放浪して、神が約束した地に折角入ったのに、そこから引き抜かれて、バビロンまで連れて行かれてしまった。

 

これには、霊的な意味合いがある。

 

約束の地から引き抜かれる、というのは、今で言うなら、クリスチャンが神に約束された、天の御国に入る事から、引き抜かれて行くという事。

 

だから、どんな国の教会であっても、バビロン、アメリカの教理、アメリカの霊にひっくり返されて行くなら、約束の地に入らないという事。

 

逆にバビロン捕囚されて、先祖たちに約束された、天の御国に入る事が出来ないという恐るべき事。正しい神の礼拝ではなく、分からないうちに異教礼拝に引っ張られてしまう。

 

黙示録175節で、バビロンというのは、全ての淫婦の母と書いてある。

 

言わんとしている事は、「淫婦」は、黙示録の時代になる時に、1人ではないという事。

 

この時、あらゆる国のキリスト教会が淫婦のようになって行くという事。

 

全てのキリスト教会は淫婦のようになるが、その中でも、アメリカのキリスト教会こそまさに、

 

「母」になって行く、こういう事柄を見て行きたい。

 

どの国のキリスト教も、アメリカに影響されて行くという事。

 

娘は皆、母に影響されて行く。

 

これから終末の時代、すでにその時代に入っているかも知れないが、これからさらに増々、アメリカこそが、世界のキリスト教会の「母」のような存在になって行く。

 

そこで、起きている、あらゆるリバイバル、ベニーヒンとか、レフトビハインドの教えとか、こういったものに、娘が母に影響されるように、どんどん影響されて行く。

 

そして、「娘」は「母」から生まれて来る。そういう意味では、他の国のキリスト教会もいわば、どこも、淫婦的な歩みと言い、方法と言い、みんなそれはアメリカ由来のもので、いわば、

 

アメリカの「娘」の様なもので、忠実に、おかしな教えを広めて行くという事。

 

日本のキリスト教会というのは、殆どどこの教団も、アメリカの由来の影響を受けている。

 

良いものも受けているかも知れないが、殆ど悪い影響を受けている。

 

残念な事は、今もそうであるが、増々これからアメリカ由来のキリスト教が、おかしなものになって行く。すでにおかしな状態。

 

「艱難前携挙」「レフトビハインド」など、全く聖書とかけ離れた教えである物語。

 

これだけではなく、何かといえば、「信仰」「信仰」ばかり強調して、「行ない」が無くてもいいような教え、「福音の総合理解」などがまさにそう。

 

「良きサマリヤ人」の喩えが良く伝わって来る感じ。                   

 

イエス様は「あなたも行ってそのようにしなさい」と言っているのに、「福音の総合理解」では、「それを行なってはならない」などと教えている。 「行ない」を憎むようなそれは異端的な教え。

 

一面のみ強調するのが異端。

 

聖書にはもちろん信仰義認が書いてあるが、そればかり強調すると異端になってしまう。

 

ヤコブ書には、信仰のみではなく、「行ないによって、アブラハムは義とされた」と書いてある。  両方見なければならない。

 

信仰を強調し、また「行ない」をも強調しなければならない。

 

そうでないと異端になってしまう。

 

アメリカはまさにあらゆるおかしな教えが広がっているが、クリスチャンに対して、実質、歩みを不忠実なものに変えている。

 

まさにアメリカバビロンの由来であると考えている。

 

だから、大きな意味合いがある。「淫婦と地の憎むべきものとの母」とある。

 

「母」「娘」とは意味がある。

 

言わんとしている事は、アメリカバビロンすなわちアメリカのキリスト教会は単独悪を行ない、他のキリスト教会と無関係ならいいが、そうではない。

 

アメリカは頼んでもいないのに、自分の教えを広げて、日本もそうだが、淫婦、バビロン的な歩み、おかしな霊だとか、おかしな信仰だとか、間違った聖書解釈、そういったものを広めている。

 

まさに聖書の本質を見抜いて、「すべての淫婦たちの母」と言っている。

 

言っている事は、我々は心して理解しなくてはならないのは、アメリカだけが淫婦ではないという事。「すべての淫婦」と書いてあるので、どの国のキリスト教会も「淫婦」になって行く。

 

どんどん神からの聖霊を拒否し、他のおかしな霊、ベニーヒンなどの霊を受け入れるようになって行ったり、「艱難前」を初めとして、「ヤベツの祈り」とか、「パーパスドリブン」などあらゆるインチキな教理を受け入れて、それを指して「すべての淫婦たち」と言っているのであって、アメリカだけではない。

 

日本と言わず、イギリスと言わず、あらゆる国のアメリカの影響を受けているキリスト教会は、みな淫婦のようになって行っているという事を、まさに語って言っている。

 

それは理解しなければならない。

 

聖書の言葉は、どんな小さな言葉も意味がある。

 

「すべての淫婦たちの母」と言っているから、淫婦は世界中にたくさんいる。

 

みんな、神の前に淫婦化している。

 

キリスト以外の者と姦淫を持つようになって行く。

 

しかし、単独で各国の教会がおかしくなるのではなく、その上に、大きな「母」の存在がいて、それがアメリカのキリスト教会だと言っている。

 

この事は、教理的には受け入れられないかもしれないが、現実はそうだという事。

 

牧師が行ったフィリピンのキリスト教書店でも、ピーターワグナーなど、有名な器の本が席巻していた。

 

フィリピンも大いにアメリカ由来の色々な教えの影響を受けている。

 

フィリピンだけでなく他の国々のキリスト教会も同様に影響を受けている。

 

イギリスですら、アメリカの影響に怯えている。

 

聖書はここではっきりと「全ての淫婦」と書いてあるように、あらゆる国が淫婦のようになって行くようになる。

 

その「母」のような国の存在もある。

 

これを今の現状と重ね合わせて見るならば、アメリカのキリスト教会こそが、まさに合っている。

 

今のこのような現状を、預言して聖書は語っている。

 

人の見る目と、黙示録の語っている事とはギャップがある。

 

人の視点だと、アメリカのキリスト教会で、「素晴らしい教えと、素晴らしい器に感謝」

 

しかし、黙示録は、「すべての淫婦の母」と語っている。

 

バビロンはアメリカだと語っている。

 

どちらを取るかと言えば、聖書を取るべき。

 

どの人がどの様に考えようとも、神の書いた聖書が正しい。

 

それを認めなければ、終末の事など何一つ解らない。

 

神の言葉を偽りとするなら、それ以上聖書を読まない方がいい。

 

多くの人々が、終末の時代の事について、全く間違えた事を言うなら、本当の意味で聖書の言葉を真実としないからだと思われる。

 

我々の感情や常識と合わないにしても、神の言葉を真実とする時に、おのずと必要な事柄は見えて来る。

 

「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母」と書いてある。

 

憎むべき者というのは、

 

 

 

ダニエル書

 

11:31彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。

 

 

 

「荒らす忌むべきもの」を据えるとある。

 

「忌むべき者」「憎むべき者」は、同じ言葉が使われている。

 

これは、ね過去の事。

 

アンティオコスエピファネスという者が、ユダヤの聖所を汚した。

 

そこで、「荒らす忌むべきもの」据えたとの事。

 

偶像を拝み、豚の頭を捧げたとか。

 

それは、過去に既に起きた事だけれども、同じ言葉が黙示録に使われているという事は、未来において再現する。

 

このアンティオコスエピファネスの所を学ぶという事は、未来の事に関して学ぶという事。

 

 

 

11:30キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。

 

 

 

1つは、世の終わりの時に、反キリストが、聖なる契約に対し、いきり立つようになる。

 

そして、神と永遠の契約を結んでいる人達を目の敵にし、どんどんその契約を破棄せざる負えないように追い込んでいく。

 

まさに、アメリカで起きている事がそう。

 

神との正しい契約に従って歩んで行こうとするクリスチャンを目の敵にする。

 

些細な事をも利用して。

 

「同性婚のためのケーキは焼けない」と言ったクリスチャンのケーキ屋に対し物凄い罰金を科したりなど。

 

これは、聖なる契約に対して、アメリカはいきり立っているから。

 

クリスチャンが神との契約を守っている事にいきり立ち、脅しをかけて、神との契約を破棄せざるを得ないように追い込んでいる。 

 

しかし、サタンが狙って来るのは非常に大事な事。  ここを失ってしまってはいけない。

 

失うことの無いように我々は求めて行きたい。

 

もう1つは、「聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。」

 

クリスチャンでありながら、神の教えを守らなくなったり、神との契約を気にしなくなったり、

 

バカにする人たちが多く用いられたり、褒められたり、尊重されるようになる。

 

逆にどこまでも、正しく御言葉に留まっている人達は、軽蔑の対象になって行くと思われる。

 

既にアメリカはそうなりつつある。

 

神の教えを守らなくなったりした人達は、キリスト教会ではトップになったり、高い位置に着くようになると思われる。

 

本当に神の言葉に従って行くなら、教会内での地位や評判は無くなって行く。

 

やはりアメリカではそうなりつつある。

 

 

 

11:31彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。

 

 

 

「聖所ととりでを汚し」とある。

 

今で言うなら、神の聖所である教会を汚して来る。

 

教会に難癖をつけて、この世的な教えを受けざるを得ないように、今なら、同性愛、その他の性的な事柄で、色々教会を責め、「教会も公の場なのだから、同性愛者用のトイレを設けなければならない」などと言って来たり、色々な法律で、教会に福音的なものが、強制的に規制されたりして来ているが、まさにこんな方法。

 

そして、「常供のささげ物を取り除き」とある。

 

今で言うなら、御言葉のメッセージに関する喩え。

 

油は聖霊。「キリストだけが正しい」というメッセージは、いずれ取り除かれる時が来る。

 

そういうトレンドが、次々にアメリカを起点にして教会にもたらされる。

 

アメリカのジョージア州で、牧師に対して、訴訟に関連して、州が、牧師の行なった「説教、聖書、聖書の書き込みなどを、全て提出しろ」という要求を行なったという。

 

「その内容が、不適切だったら訴えてやる」という内容。

 

アメリカにおいて、「常供のささげ物」、具体的にはメッセージが取り除かれるようになると思うが、どの様な方法でそれがなされるのか、このニュースから大きなヒントを得た。

 

既に、教会のメッセージに関しても、法律機関がチェックしたりする。

 

例えば、大統領のオバマが「同性婚は合法」と言ったために、それに「反対する者は違法だ」という事になって来ている。

 

そうやって、色々牧師の説教、メッセージする事に関して、国が介入しつつあるというのを見る。これまでは、あり得なかった事。

 

現にそうなって来ている。

 

これは1つの兆候に過ぎないので、これからどんどん来るだろうと思われる。

 

聖書に書かれている、「常供のささげ物」は、いずれ取り除かれると思うが、その方法は、法律に訴え、どんどん牧師のメッセージを検閲するというやり方。

 

アメリカの国と教会は、501C3教会法などで合意を結んで、税金を免除してくれるのならと、合意にサインするなど。 サインしたらその教会は、政治的な事に関して、一切文句を言えないようになる。

 

具体的には、あらゆる正しいメッセージを教会から取り上げてしまうという事。

 

「キリストだけが、救い主、贖い主だ」というメッセージは、いずれ取り上げられていく。

 

聖書に書いてあるから。

 

アメリカが獣の国であるなら、その一歩が始まった。

 

我々は、この事に関して見て行かなければいけない。

 

ペテロが言ったように、聖書の預言こそが、暗い空において、星が正しい方向へ導くように、聖書の預言こそが、暗い時代に、正しい方向に示す教え。

 

その様に見て行くべき。

 

根本的な部分。 アメリカが、国としては「獣の国」であり、バビロンはまさに、獣に乗る女。淫婦バビロン。アメリカのキリスト教会がまさにそうである以上、全てのみ言葉は、成就して行く。 「常供のささげ物」は毎週捧げられる教会のメッセージの事を言っている。

 

それが、取り上げられていく。

 

そこで、「キリストのみに救いがある」のは「不適切だ」という方向に必ず行く。

 

我々はどうしたらいいかと言うと、どこかで腹を決めなければならない。

 

アメリカのキリスト教会は、心が不徹底。

 

税金も免除してもらい、世の中の色々なテレビとか、マスコミにもいい教会だと人気が出たりなど、八方美人みたいなことをしているから、結局は、その足を取られてしまう。

 

どっかで、徹底しなければならないと思う。

 

「然りは然り、否は否」で徹しなければならない。

 

獣の国の政府など、期待してはいけない。

 

やはり、仮庵、地下教会、荒野、こういった方向を見て行かなければならない。

 

下手に、うまいことやろうとするなどと思っていたら、結局今は、足をすくわれつつあると言うように思う。

 

日本は、今のところそういう事が来ていないが、いずれアメリカのトレンドが日本に来ているので、このトレンドも必ず来ると思う。  やはりどこかで腹をくくらなければならないと思う。

 

この世は、裁かれて行くものに過ぎない。

 

歩むべき道を歩むのが正しいし、日本においても神の言葉を第一にして行くべき。