ヨハネの黙示録17章8節~11節           2016.11.20

 

 

 

17:8あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。

 

 

 

黙示録の中に色々キーワードが出て来る。

 

1つは「獣」。  度々出て来るし、ダニエル書にも出て来るので見て行きたい。

 

獣は「国」を表している。

 

世の終わりには、正しいクリスチャンには、色々な困難、問題が起きて来るが、ポイントは、どうもその国が、大きな鍵を握っているらしい。

 

この国が、どこの国だと、色々な人が言っているが、レムナントでは、絶対これが正しいとは言わないが、獣の国は「アメリカ」だと思っている。

 

「角笛」などで言っている様に、アメリカはキリスト教国だと一般的に思われているが、まさに反キリスト的な事。

 

オバマが大統領になった時、「チェンジ」という言葉を繰り返し、強調していた。

 

大きなチェンジは、同性婚が出来る様になった事。

 

そして、今度の大統領はドナルド・トランプ。

 

トランプもその方針を継続すると言っていた。

 

それに引き換え日本はキリスト教国ではないけれども、一部を除いて、同性婚は認めていない。

 

アメリカの政策が、クリスチャンに大きな影響を及ぼすという事がまさに、黙示録の中で、前もって警告されている事なので、これらの事柄は、心に留めておく。

 

アメリカの流行というのは、良くも悪くも、日本にいずれやって来る。

 

アメリカの正しいクリスチャンは、アメリカの国が、どんどんおかしくなっているがために、

 

正しいクリスチャンが逮捕されつつある。 そういうトレンドが起きている。

 

アメリカで、スーパーマーケットの前で聖書を片手に路傍伝道をしていたら、パトカーがやって来て、牧師を連れて行ってしまった。

 

日本でも最近言われるようになったヘイトクライムとかヘイトスピーチ。

 

アメリカでは10年ほど前からそれらに関する法律が施行されている。

 

その法律が曲者で、「他人に、憎しみを思わせたり、不快な思いをさせる者は逮捕される」というもの。

 

牧師が、路傍でメッセージを始めると、無神論者を嫌な気持ちにさせる(地獄の事とか)から、

 

その牧師は、「憎しみ犯罪法に違反する」という理屈で逮捕される。

 

実際に逮捕されている。  アメリカではニュースになっている。

 

こう言う事から、アメリカが獣の国だと思っている。(押し付けるつもりはない)

 

しかし、聖書に書いてある事というのは、どれもみな実現する。

 

だからレムナントは黙示録を学んでいる。

 

我々の現実と関係ない事なら、学んでも意味は無いが、こちらの理解が間違いでなければ、すでに、黙示録のみ言葉は、アメリカの一部で実現しているのではないか。

 

なので、黙示録で学ぶ事は、大いに意味があると思っている。

 

 

 

17:9ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです

 

 

 

「ここに知恵の心があります。」  「知恵」という言葉が出て来る。

 

「知恵」という言葉は、聖書の中にいくつも出て来る。

 

言わんとしている事は、黙示録に書いてある獣の国とか、女の事が書いてある。

 

こう言う事は理解するのに、神の知恵があって、初めて理解出来る。

 

その様に理解出来る。

 

御言葉の、特に終末の事柄に関しての厳しさというのは、ある程度知らなければならない。

 

ダニエル書には、ダニエルに色々な預言が起きた後、「これらの言葉は封じておけ」と神に言われた。  そして、「知恵あるものは、悟るけれども、悪人は、1人も悟る者は無い」とも言われた。」と書いてある。

 

聖書の預言の厳しさと言うのは、「悪人は、1人も悟らない」ということ。封印に関して、預言に関して、真実があるという事を覚えておく。

 

これはダニエル書に書いてある事だが、これは、イエス様の時に成就した。

 

ダニエル書の70週の預言の通りに、「油注がれた者は断たれる」というように、イエス・キリストは来臨された。

 

そして、実際に神殿に来られ、語られたが、その時の律法学者、パリサイ人、祭司らは、1人も悟らなかった。

 

聖書における「悪人」というのは、律法学者、パリサイ人、祭司。誰も悟らなかった。

 

誰も悟らなかったが、彼らは人前では聖さにふさわしい行いをしたり、人から尊敬を受けていたかもしれないが、神の前には悪人だった。

 

目の前におられるイエス・キリストを悟らなかった。

 

だから、彼らは、外側はきれいかも知れないが、内側はあらゆる罪、貪欲に満ちていた。

 

神は、心を見られた。     だから、悟る者がいなかった。

 

今の時代も、こういうパターンは再現される可能性がある。

 

イエス・キリストは本当のメシヤだったけれども、しかし、ダニエル書の預言などを理解して、

 

「このナザレのイエスこそキリストだ」と悟った人は、律法学者、パリサイ人、祭司の中には皆無。つまり悪人は1人も悟らなかった。

 

だから彼らは人の前ではともかく、神の前には「悪人」だった。

 

同じパターンが繰り返される。

 

「ここに知恵の心があります」とか、封印に関しては、今の時代、神の前に「悪人」と見なされたら、その人は、悟らない。

 

聖霊によって知恵が働いた人は、これらの終末の預言を理解するし、悟るけれども、そうでない人というのは、悟らないようになって行く。

 

これらの事を理解すべき。  7つの教会の内のサルデスの事にも書いてある。

 

「あなたには、わたしがいつ来るか、決して解らない」

 

解らない、すなわち悟らない。

 

今のプロテスタントで言われている教理もおかしい。

 

「艱難の前に上げられる」これは、こちらの理解では、かなりずれている。

 

このまま行ったら明らかに、キリストの再臨があっても、誰も悟らない。

 

その時の問題が何かと言うと、やはり聖書には、「悪人は一人も悟らない」と書いてあるので、

 

神は、その人の「心」を見ておられる。

 

だから、終末の預言、または、知恵があって、「獣の国はどこであるか」を悟る事は、心が大事であり、その人の心が本当に神の前に、正しい者と見なされているかどうか。

 

神が悪人と見なした時に、たとえどんなに立派な神学者であろうとも、結局は間違えてしまうというのが、聖書の言わんとしている事。

 

そういう例はある。

 

キリストは、2回来られるが、1回目の初降臨の時には、明らかに、聖書の専門家とか、教会、

 

宗教の専門家の人々は、ことごとく間違えた。

 

「ナザレのイエスはメシヤではない」と断罪して、あろうことか殺してしまった。

 

これは警告の意味で書かれている。

 

同じ事が、もう一度繰り返される可能性があるので、我々はやはり、終末の預言に関連して、

 

我々自身の歩み、特に「悪人は一人も悟る事が無い」と言うので、神の前で、我々が悪人とされてしまうか否かという事。

 

これは非常に大きな問題である事を理解する。

 

その為にここに書いてある。

 

9節で、「ここに知恵の心がある」という事。

 

聖霊の知恵があって、初めてこれらの黙示録に書いてある事、「獣の国がどこであるか」とか、

 

この「女」は何を意味しているとかが解る。

 

逆に、我々の歩みが、神の前に悪人と見なされれば、何も悟れない可能性が大いにある。

 

「七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。」

 

この女が座っている7つの山。

 

その内、5人は既に倒れた。  「ひとりは今おり、もう一人は後から来る。」

 

ひとつは、ヨハネの黙示録が書かれた2000年前の事。

 

その時に「今おり」とは何かというと、ヨハネは、ローマ帝国の下で迫害され、パトモス島に島流しになり、書いているので、これはローマ帝国。

 

「五人はすでに倒れた」というのは、ヨハネの頃は紀元1世紀の頃だが、それよりも以前の国(バビロン、ギリシャ、メディアペルシャ) 

 

「もう一人はこれから来る」というのは、ヨハネの時より後の国。

 

具体的にはアメリカだと思う。

 

建国200年余りの国であるが、まさに、世の終わりに出てきた国だと理解している。

 

9節で見たいのは、「女が座っている7つの山」

 

黙示録で書かれている「女」は、喩えや比喩が使われている。

 

喩えや比喩を理解するのは、勝手な解釈ではなく、イエス様が言われている事。

 

何故なら、主は喩えを理解しない弟子を叱っておられた。

 

「そんなことが理解できずに、どうしてすべての喩えが理解できようか」

 

だから、御言葉は喩えを理解して行くべきであり、聖書は喩えで書かれている。

 

「女」は何を喩えるべきかと言うと、エペソ書に、「結婚の奥義は偉大だ」と書いてある。

 

「これは、キリストと教会を指す」と書いてある。

 

結婚は男と女が結婚する。  男がキリストであるなら女は教会だと言っている。

 

ここにも「女」が出て来るが、これは教会の事だと言っている。

 

そして黙示録は、はっきり理解しなければいけない事は、残念な事だが、個々のクリスチャンにとり、不都合な、耳の痛い真実であろうと、はっきり理解しなければいけない事は、世の終わりの時になると、教会が増々栄光に輝くのではなく、聖書が明らかに語っているのは、女(教会)は背教し、堕落して行き、ずれて行くという事。

 

そこを把握しないと、黙示録の1番基本的な事が理解できない。

 

背教は、新しい事ではない。

 

テサロニケの手紙にもはっきり書いてある。  「まず背教が起こり・・」

 

背教とは、教えに背く事であり・・・これは教会に関する事。

 

だから、多くのクリスチャンは、聖書を読んでいる限り、明々白々な事実だが、耳を塞ぎ、都合のいい事しか聞かないので、理解出来ない。

 

厳しい御言葉には耳を傾けないから。

 

我々は、たとえ耳の痛い真理であろうと、神の言われている真理を聞くつもりがあるなら、段々と見えて来る。

 

多くの人達は、耳の痛い真理を見ようとも聞こうともしないから、黙示録に何が書いてあるかさっぱりと解らない。

 

そういう人は、教会にもいる。

 

何故わからないかと言うと、やはり、耳の痛い事を聞きたくないというから。

 

しかし我々は、もう、黙示録は遠い世界ではない。

 

アメリカで、路傍伝道しているクリスチャンが逮捕されるという。

 

同じような事がたくさん起きている。

 

ホモ達の集会のそばで、聖書の根拠で「同性愛はいけない」と言ったクリスチャンが逮捕され、

 

懲役47年になってしまうなど。

 

オバマの下で実際に起きている事。

 

だから背教になって来ている。

 

問題は、女が、7つの山の上に座っている時、これは何を言いたいのかというと、7つの山は、

 

この世の国。バビロンもこの世の国。ダニエルや彼の友達を迫害したりとか。

 

メディアペルシャもしかり。メディアペルシャの下で、正しく神を信じる人が絶滅されそうになった。

 

ギリシャもしかり。  エルサレムの神殿に、荒らす憎むべき者を最初に捧げ、豚の頭を捧げたりしていた。

 

七つの山とは、この世の国。  そして、7つ目の山に関してはアメリカだと理解しているが、

 

本来教会というのは、キリストのもとに歩み、聖書に示されるように歩むべき。

 

しかし、教会は、キリストの内を歩まず、7つの山(この世の山)、バビロンだったり、ギリシャであったり、メディアペルシャだったり・・・みんなこの世の国。

 

そういう事を語っている。

 

この女というのは、我々と無関係ではない。

 

今は、キリスト教会はそういう方向に向かっている。

 

そして、あらゆるこの世的な影響を受けている。

 

教会の中に、人間的な理性、知性、科学などが、ぐっと入って来ている。

 

キリスト教書店には、「キリストは復活などしていない」という神学的な本が結構ある。

 

しかも有名な神学校ですらその様に教えている所がある。

 

「奇蹟も科学的にはあり得ないので、実際に起きた事ではない」などが教えられている。

 

神学校へ行ったために、まともな信仰を失ってしまう人が結構いる。

 

教会は7つの山に座っている。7つの山の1つは、ギリシャだったり、ローマだったり、色んな西洋科学だとか、近代的な科学、理性など、人間的な知恵をぐっと協調するが、結局それが、

 

教会に影響を与えている。

 

それは、堕落だったり、別の者であったりする。

 

カトリックも無関係ではない。  ローマと関係している。ローマ・カトリック。  バチカン。

 

カトリックとは、「普遍的」という意味がある。

 

教会は本来、あらゆるこの世的なものから、縁を切って、純粋な、聖書の教えに従って行くべきだが、現実は、「女」は7つの頭に座っている。  しかも7つの山は、この世の国。

 

それが、あらぬ形で教会に影響を与えている。

 

それが、黙示録の9章が書いてある事。

 

これは、良い事ではない。

 

アメリカのキリスト教会は、アメリカの国に、かなり影響されている。

 

アメリカのクリスチャンの言っている事を見ていると、殆どアメリカの国に影響されている。

 

7つの山。この世の色々な国、その歩みが、教会に影響を与えている。

 

それを指して、「女がすわっている七つの山」だと言っている。

 

また、7つの頭と書いてある。             

 

本来、教会の頭はキリスト。

 

教会は、たとえ名目は良くあっても、現実問題、この世や国の影響を受けているという事は、

 

まさに黙示録に書いてある事。

 

それは、アメリカを始めとした、色んなキリスト教会を客観的に見るならば、まさに起きている事。  なので、これを通して我々が知り、理解しなければならない時は、やはり教会の中に、

 

この世的なものを入れていってはならない。

 

どこかの牧師が同性婚を祝福している事さえ、今の時代にはある。

 

これがまさに、7つの山、この世の方法に、教会が影響されているという事。

 

これに対して、神は喜んでいない。逆に、さばき、罰の対象。

 

我々は間違えてはならない。 この世の変なトレンドに乗ってはならない。

 

LGBTなど。この世のトレンドはそうかも知れないが、神はそれに怒りを持っておられる。

 

さばき、火の池の対象となってしまう。

 

天地が過ぎ去っても、神の言葉は過ぎ去ることは無い。

 

我々は、どこまで行っても、御言葉にとどまるべき。

 

この世からは非難されたりするかも知れないが、神からは祝福が来る。

 

我々は、この世の方法に沿うなら、さばき、怒り、罰の方向に行く。

 

そこから分離して行く事が、まさに、我々の歩むべき方向。

 

「ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山」とある。

 

これは明らかに祝福ではなく、明らかにこの「女」は、怒り、さばき、罰の対象。

 

だから、勘違いしてはいけない。

 

神は「初めであり、終わりである方。」

 

我々人間は、今の事しか解らない。明日の天気の事すら、よく解らない。

 

神様はこれから起こる未来の事も完全にご存じなお方。

 

だから、こう書いており、実際になりつつある。

 

教会が、7つの山の上にすわるほど、どんどん、この世の色んな事柄の影響を受けるようになっている。なので、ここにはポイントが無いという事を覚えておきたい。

 

9節で言っている事は、女(教会が)、この世のあらゆる国とか方法とか、トレンドとかそういったものに影響を受けてしまう。これが現実。

 

我々は、悪い例に従って行ってはならない。

 

そういう牧師の教会に行っていても、それに従ってはいけない。

 

従えば、同じ罰を受けてしまう。

 

人ではなく、神の言葉に注目すべき。

 

 

 

17:10五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。

 

 

 

こういう7つ目の国に関して、「彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。」と言うように、7つ目の国は、「しばらく」というのは短い期間。他の言葉でも、ほんの少しというニュアンスがある。

 

マタイの714節では、「いのちに至る門は狭く、それを見出す者は稀です」と書かれている。

 

稀とは、少ないという意味。

 

「稀」と「しばらく」はギリシャ語では同じ言葉が使われている。

 

「ほんのちょっと」という意味。

 

なので7番目の国が、まさに終末の獣の国として現われるが、その国の1つの特徴として、短い間しか存在しない事が言われている。

 

そういう意味では、その国に関してヒントが与えられている。

 

結論から言うと、終末の獣の国はアメリカだと思う。  この面、「短い」という事でも当たっている。建国から200年ちょっとしかない。

 

日本の歴史に比べたら、ずっと短い。

 

しかしアメリカは、世界一の大国。

 

「しばらくの間留まる」といった、アメリカがそういう条件を満たしている。

 

 

 

17:11また、昔いたが今はいない獣について言えば、彼は八番目でもありますが、先の七人のうちのひとりです。そして彼はついには滅びます。

 

 

 

難しい事が書かれている。

 

1つは、「八番目でもありますが、先の七人のうちのひとりです。」

 

これは謎。

 

世界の歴史の中に7つの国が起きて来るという事は、「7人の王が立つ」という事は、聖書が言っている事。

 

バビロン、メディアペルシャ、ギリシャ、アメリカがあるが、7つの、世界の歴史で大国が起きて来る。

 

しかし突然、8番目の国が出て来る。

 

それは、7人のうちの1人。

 

ここで言っている事は、8番目。 これは、言わんとしている事は、7つの内の1つの国が、

 

一人二役をやっていると理解出来る。

 

8という数は、聖書によれば復活の数。 旧約の割礼も「8日目」

 

イエス・キリストも、週の初めの日に復活したと書いてあるから、これは、8番目の日。

 

言わんとしている事は、1つは、おそらく、アメリカという国は、1度、瀕死の災害を受けて、その後甦る。(今の段階では想像)

 

7番目であり、しかも8番目という事は、1度瀕死状態になるが、生き返って来るという事を語っているのではないか。

 

それを語っている聖書箇所がある。

 

 

 

13:13その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従い、

 

 

 

とある。     獣は国だから、「国が撃ち殺された」という事は、致命的な打撃をその国は受けるという事と思う。

 

しかし、生き返って来ると書いてある。

 

聖書通りに考えれば、これからアメリカは戦争によって致命的な傷を受け、壊滅したかのような日を迎えるのではないか。しかし速やかに、復活して甦り、8番ルの国になる。

 

「全地は驚いて、その獣に従い」とあるので、その時にみなアメリカに従うようになってしまう事になる。

 

その一つの例は、いわゆる9.11テロ。

 

一度崩壊したが、速やかに甦って来たけれども、あのような形でアメリカは大ダメージを受ける時があるのではないか。

 

しかし、速やかに復活し、速やかに回復する。

 

この事自身は、信仰とは直接関係は無いけれど、アメリカがその様な感じになったら、聖書が

 

預言した事になると理解出来る。

 

「先の七人のうちのひとりです。そして彼はついには滅びます。」

 

ここにある「滅び」という言葉は、他の聖書箇所にある、「いのちに至る門は狭く、その道も狭く、それを見出す者はまれです。しかし、滅びに至る門は大きく、その道も広い。そしてそこから入って行く者が多い。」

 

そこで書いてある「滅び」という言葉が、「彼はついには滅びます。」という言葉と同じ。

 

この事を通して言っている事は、もしアメリカが獣の国だとするならば、我々が、それに従って行くなら、獣と一緒に滅んでいく、いのちに至る広い門ではなく、滅びに至る広い門に入って行くという事。

 

そういう意味では、多くのクリスチャンにとって、アメリカは惑わしや、滅びに引っ張って行く、人間の理解とはかなり違う。

 

アメリカは、日本の牧師になる人でも、「アメリカの神学校帰り」だと言うと、尊敬されたりする。

 

しかし、これは「この世的、人間的」な考え方であって、聖書的な視点は、アメリカはいずれ滅ぶし、それに従って行った人たちも滅んでいく。

 

例えば、同性婚を祝福しているアメリカの牧師達も滅んでいく。

 

だから、我々はそういう意味では、アメリカのキリスト教会のトレンド、歩みに関しては、よくよく注意をし、吟味をし、聖書的な警告に従って見て行くしかない。

 

そうでないと、何でもかんでも、トレンド、流行だとか、キリスト教会の歩む方向だとか言って行くと、同じように滅びに入って行く可能性があると思う。

 

聖書には「ついには滅びます」と書いてある。

 

「滅び」は永遠の滅び、地獄だったりする。

 

今の時代の惑わしというのは、未信者からは来ない。

 

キリスト教国と言われるアメリカを通して、多くのクリスチャンを惑わしの方向へ引っ張って行くというのが、まさに今の時代におけるサタンのうまい方法だったりする。

 

けっこうそれに引っかかっているクリスチャンは多いし、日本のキリスト教会でも、アメリカに「右へならえ」している教会は多い。

 

それは聖書的には滅びの方向なので、我々はそれに気を付けなければならない。

 

同性婚を容認する牧師がいるのも一例にすぎない。

 

クリスチャンをおかしなトレンドに引っ張って行くものがアメリカにはいっぱいある。

 

しかし、それに引っ張って行かれると、聖書的には、滅びの方向に向かってしまう事になるので、我々は気を付けなければならないという事。