ヨハネの黙示録18章11節~14節                2017.1.8

 

 

 

18:11また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。

 

 

 

黙示録は喩えによって書かれている。

 

主は、喩え、謎を通して語られる。

 

本当に御国の奥義を理解するつもりがあるなら、それらを理解し、悟る努力をしたりして読んでいく習慣が無いなら、御国の奥義は理解できないと思う。

 

主は、マタイの13章で、弟子たちが、「何故たとえで語られるのですか」と問うた時、「あなた方には御国の奥義を知る事が許されているが、群衆はそうは行かない」と言われた。

 

だから、喩えを理解するかしないかで、御国の奥義が理解できるかできないかがわかれる。

 

「地上の商人」・・・これを理解しないと、この箇所は殆ど理解不能。

 

「商人」は、明らかに、売ったり買ったりの意味合いで、贖いに関係している。

 

教会の働き人。  牧師、神父、教師など。

 

その事が書いてある。その事を理解しないと殆ど意味が無い。

 

「地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。」

 

ここでは、バビロンが消滅してしまう。

 

我々の理解だと、バビロンは、アメリカのキリスト教会。

 

「消滅する」というのは、神の怒りを買っての事だが、具体的に言うと、アメリカという国自体が、本当に滅んでしまう。聖書の他の箇所にも書いてある。  7つの頭。

 

その内の1つが致命的な攻撃を受ける。 これは「国」を指している。

 

7つ目の国が撃ち殺されたような傷を受け、8つ目の国として蘇るというのは、まさにアメリカ。 その時にバビロンすなわちアメリカのキリスト教会が滅びるという事が実現すると思われる。

 

聖書はあらゆる角度で、アメリカの滅びや裁きについて預言する。

 

決してファンタジーやSFの世界などではない。

 

これは実際に、アメリカという国が炎上して行くという事柄。

 

そういう計画が裏の方にあるらしいという事を故・小石泉牧師が書いている

 

それは大事な警告だと思う。   それはまさに、聖書が預言している事だと思われる。

 

それに関して、「地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。」

 

何故泣き悲しむかというと、親しい人が死んでしまったから。

 

言わんとしている事は、多くのクリスチャン、キリスト教会、牧師は、アメリカのカラーについた、教理、キリスト教、リバイバル、いろんな方法で、または、CSの方法とか、そういうものにすっかり親しんでしまっているという事。

 

いわばファンになっている。  しかしそれは、神が意図している事、神が喜んでおられる事とは違う。地上の商人は悲しむが、神の前には、バビロン(アメリカのキリスト教会)は怒りの対象で、いずれ滅ぶ。焼き尽くされる。

 

このギャップを、聖書が語っているのは、見なければならないという事。

 

我々は今のキリスト教会において、多くのクリスチャンが、好むと好まざると、アメリカのキリスト教会に影響されてしまっている。

 

それが滅びる時、「地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。」

 

それは、神の意図、思いと違うという事は、理解しなければならない。

 

親しんでいるキリスト教会が、実は神の怒りの対象になっていたりする。

 

今の時代のクリスチャンが好む事が、神の怒りの対象だったりする。

 

だから、神との間に大分ギャップが出て来ている。

 

あるべき事は、やはり、神の視点と我々の心が全く一つになっていれば良い。

 

アメリカのキリスト教会の、あらゆるトレンドというのは、地上の商人に象徴されるように、

 

この世的なものであり、この世についたクリスチャンが喜ぶような方向。

 

「艱難に遭わない」、「聖書には書いてあるが、艱難には遭わない」など。

 

これは地上の考え。  この世についた考え。

 

アメリカのキリスト教会の特徴は、この世についた教えをする。

 

この世についたクリスチャンはそれを喜ぶ。

 

だから、それが無くなる時に、大いに悲しむ。

 

それは、神の御心と違うし、この世についた様なアメリカのキリスト教会で言われている事は、

 

聖書の言っている事とは違う。

 

それを見抜けないという事は問題。

 

そのクリスチャンは、この世についたクリスチャンに過ぎない。

 

しかしそれは、御心に適った事ではない。

 

彼ら(地上の商人)は、この世についているから、バビロンが滅ぶ事に悲しみを持っているのであって、本来あるべき姿ではない。

 

アメリカを通しての、全世界のキリスト教会に対する影響は、計り知れないものがある。

 

それを通して、多くの国のクリスチャンが、地に着くようになってしまっている。

 

我々はバビロンの中に入ってしまっている。 だから、出なければならない。

 

誰も彼もバビロンに捕囚されている。これは霊的な事実。

 

今の時代に育つクリスチャンは、いやでも応でも、どこかバビロン的な、地上的な影響を受けている。

 

ポイントは、聖霊によって、何処がバビロン的なポイントなのか、違う教理なのかを悟り、そこから出て来るという事。  非常に大事。

 

たとえ事故義認していても、神の前に「地上の商人」と、あっさり見なされてしまう場合がある。神の言葉は非常にシビア。

 

神の言葉が正しいので、そう言われることの無いように、求めて行きたいと思う。

 

 

 

18:12商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、

 

 

 

これは、12節も13節もみんな、クリスチャンと関係のある用語。

 

「金」は信仰を指す。信仰は、教会のクリスチャンに関係する事。

 

宝石は賜物に、麻布、紫布、絹、緋布、布は義の衣に関係して来る。

 

これは教会の事柄。

 

そういったものを、地上の商人が扱うという事が、何を意味するかというと、「金や銀」信仰も、アメリカナイズされて、地上についた様な信仰があるという事。

 

だから、信仰があれば良いというわけではない。  地についた信仰ではダメ。

 

「さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、」と、書いてある。

 

「器具」・・・KJVでは、「器」という言葉が使われている。

 

だから、「の象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器」

 

「器」はクリスチャンの喩え。

 

新改訳には、惑わしの部分がある。 コロッと騙されてしまう。

 

 

 

18:13また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのちです。

 

 

 

これは、みなクリスチャン、教会に使われる用語。

 

香料、香、乳香は祈りに対する喩えであるし、香油、ぶどう酒、オリーブ油は聖霊の働き。

 

麦粉、麦は御言葉、パンの喩え。  牛、羊は、クリスチャンの喩え。

 

教会に関しての事。

 

だから、明らかに地上の商人は、教会の働き人。

 

喩えを理解すれば、それは明確。

 

然りは然り、否は否で、喩えを理解する事。

 

12節、13節で言っている事は、あらゆる教会の働きが、バビロン化されるという事。

 

だから器もバビロン化されてしまう。 また、祈りもアメリカナイズ、バビロン化した祈り、

 

香油、ぶどう酒、オリーブ油、これらも聖霊に喩えられるが、ベニーヒンの様に、違う霊が下される。バビロン特性の悪霊が下されるという事。

 

あらゆる教会がバビロン化して行くという事実は見て行かなければならない。

 

 

 

18:14また、あなたの心の望みである熟したくだものは、あなたから遠ざかってしまい、あらゆるはでな物、はなやかな物は消えうせて、もはや、決してそれらの物を見いだすことができません。

 

 

 

「熟したくだもの」とは、御霊の実の事を言っているのかも知れない。

 

聖霊の賜物、聖霊の実、そういった事柄。

 

しかしそれも消え失せてしまう。

 

何故かというと、それらは神から来たものではないから。

 

聖霊の賜物、聖霊の実のように見えるけれども、実はそれらが神から来たものではないために、神の怒りを買っているがために消え失せてしまう。

 

バビロンの1つの特徴は、如何にも聖霊の働きに似ている、御霊の実、賜物に似ている。

 

しかし、神の怒りを買う、別の霊からの賜物とか、働きだという、こういうところにあるという事は覚えておく。

 

世の終わりの時には、聖霊以外の霊による賜物とかの働きがぐっと広がる。

 

それに引っかかる者は神の怒りを買うという事を覚えておく。

 

聖書の他の箇所でもそういう事を言っている。

 

「にせキリスト、にせ預言者が大勢現われて、大きなしるしや不思議を行なう。」

 

これらのしるしや不思議は、神からのものではない。

 

アメリカのリバイバルで、明らかに進んでいるのは、確かに何らかのしるしや奇蹟がある。

 

沢山の人が1度に倒れる現象や、癒しらしいものや、金粉が舞うなどの超常現象が現実に起きる。 しかしそれは、神からのものではなく、別の霊によっての賜物。

 

惑わしは恐ろしく、見分けが難しい。

 

相手は御使いなので、人間の知恵など超えている。

 

 

 

18:14また、あなたの心の望みである熟したくだものは、あなたから遠ざかってしまい、あらゆるはでな物、はなやかな物は消えうせて、もはや、決してそれらの物を見いだすことができません。

 

 

 

聖霊ではない、他の霊からの賜物は、いずれ消え去る。

 

それらに引っかかったら、ろくな目に遭わない。

 

「主よ、主よ、私たちはあなたの名によって悪霊を追い出しました、奇蹟を行ないました」と言っても、主から退けられるのは、その人個人の歩みが悪かったせいもあると思うが、このように、別の霊に引っかかった可能性もあると思う。

 

奇蹟は行なっているが、神の霊ではない。

 

今の時代に、クリスチャンが引っかかる大きな罠は、「賜物」

 

特に、ペンテコステ系、カリスマ系の「賜物」で、心の奥底で、優越感にひたっている思いがあり、それで変なものを掴んでしまう。

 

それで、「あなたの心の望みである熟したくだものは、あなたから遠ざかってしまい」とある。

 

そういう密かな欲望が罠となって、変な霊を掴む。

 

結局それは、聖霊を追い出してしまう結果となる。

 

世において、オレオレ詐欺があり、多くの警告が成されているが、それでも引っかかってしまう人がいる。やはり、騙すポイントがあると思われる。

 

終末の日に、クリスチャンを惑わすポイントは、「くだもの=賜物」

 

ピーターワグナーをはじめとした、聖霊の第三の波系のおかしなリバイバルを初めとした働きは、明らかにクリスチャンを聖霊から引き離し、悪霊の働きに引っ張って行く働き。

 

それを、目が眩んで見えない人は、いつの間にか聖霊の働きが消え、悪霊の働きに入っているが、見えないという問題がある。

 

「あらゆるはでな物、はなやかな物は消えうせて」とあるように、いずれ消え失せて行くモノ。

 

これは、神の怒りの対象。

 

そんなものを掴んで行った時には、ろくな目に遭わない。

 

こういったものは、正しく見て行く。

 

「あらゆるはでな物、はなやかな物は消えうせて、もはや、決してそれらの物を見いだすことができません。」

 

今アメリカでいろいろ起きている、世界のキリスト教会のリーダーとして、あらゆるキリスト教会で行われている働き、方法、教理、賜物、霊の働き、リバイバル。

 

これらはすべて、いずれ神の怒りの中で、消え失せて行くという事は、ここに書いてある。

 

ここは理解する。

 

17節でも、あれほどの富も荒れすたれてしまったとか、18節でも、彼女が焼かれる煙とか、

 

19節で、「それから、彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲しみ、叫んで言いました。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。海に舟を持つ者はみな、この都のおごりによって富を得ていたのに、それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。』

 

一瞬で滅びるという事。  20節では、「あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。」 さらに21節では「ひき臼のような石を取り上げ、海に投げ入れて言った。「大きな都バビロンは、このように激しく打ち倒されて、もはやなくなって消えうせてしまう。」という事。

 

バビロンは、消え失せる。

 

具体的には、アメリカのキリスト教会が消え失せる。  アメリカも炎上するのか。

 

それを通して、アメリカという国が燃え尽きてしまうので、そこにいるクリスチャンはみな滅んでしまうという事。

 

我々は、クリスチャンの常識と、黙示録にある神の怒りとのギャップを理解しないといけない。

 

多くのクリスチャンにそういう事を言っても、殆ど寝耳に水。

 

それでも警告者は角笛を吹かなければならない。

 

ちゃんと角笛を吹けば、いのちを得る。吹かないで黙っているのはダメ。

 

辛い面があるが吹いておいた方が良い。

 

我々は、全てが起きてから、アメリカが燃え尽きてクリスチャンが滅んでから角笛を吹いてもダメ。遅すぎる。

 

遠くの火事を見て、ガンガン鳴らすのが我々の役目。

 

我々は、幸か不幸か、そういう奉仕なので、見える。  肉体の視力ではない。

 

警告のために、霊的には見えている。

 

我々も正直ギャップを感じないでもないが、見えたらそれは神が見せているので、それは語って行かなければいけない。

 

何故なら必ず起こる事だから。

 

我々は、神の言葉を真実として見て行かなければならない。

 

バビロンは神の怒りの対象であり、いずれは、1時間のうちに滅ぶような対象だという時に、

 

「そういうものだ」という目で見て行かなければならない。

 

逆にアメリカのゴスペルシンガーとか、「イレズミ入れててかっこいい」などと思うのはちょっと違う。

 

バビロンという言葉の象徴は、ダニエル書を読んでわかる事は、「バビロンは1日で滅ぶ」

 

宴会の時、壁のところに指が出て来て、「メネ・メネ・テケル・ウ・パルシン」「足りない」という事。

 

だからダニエルは、「バビロンは滅びる」という解釈をした。

 

そして、宴会で指が出たその夜に、「バビロンは滅んだ」と書いてある。

 

一夜のうちに滅んだ。

 

大国が1日で滅ぶのは珍しい。

 

しかしそれは未来への預言。

 

アメリカ・バビロンも1日で滅ぶ。

 

そういった事の預言。神の怒りは凄まじい。

 

我々は、神の視点で見る事が出来るようにならなければならない。

 

逆に人間的な、地上的な思いで、「艱難前携挙がいい、理想的な教え、素晴らしい教え」などと、そうなってしまうと、バビロンの滅び、裁きに巻き込まれるので、我々は、主の憐れみによって、霊の世界で正しい事を求めて行く。

 

主の憐れみで、アメリカのキリスト教会という事に関して、覆いを取り除いていただき、神の視点で見ることが出来るように求めて行く。

 

そうでないと警告にならない。   霊においての事柄。