ヨハネの黙示録18章11節           2017.1.1

 

 

 

18:11また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。 

 

 

 

「彼女」とは、前の節(10)を見ても解る通り、

 

 

 

18:10彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。』

 

 

 

バビロンが滅びるという事に関しての事柄。

 

我々の理解が正しければ、バビロンは、アメリカのキリスト教会。

 

黙示録の中には、「女が獣に乗っている」と書いてある。

 

獣という言葉が出て来る。これは、やはり我々の理解が正しければ、獣の国=「アメリカ」  バビロンは、「教会」としての特徴を持っている。

 

1つは、「女」、「彼女」とか「淫婦」とか書いてある。

 

教会に関する特徴がある。

 

「女性」は、パウロが言っていた通り、「結婚の奥義は偉大である」

 

「これは、キリストと教会を指す」とある。

 

結婚は何かというと、男と女が結ばれるわけだが、これも「教会」。

 

しかし、明らかに天の御国を継ぐような教会、神に喜ばれる教会であって、男はキリストの喩えであり、女は教会の喩え。

 

バビロンは女性。これは教会。  最後には神の怒りを買って滅びてしまう教会。

 

バビロンは獣と不可分の関係。一身一体。

 

アメリカのキリスト教会は、まさに獣の国と一体化した働きをしている。

 

アメリカの国の、あらゆる不品行とか、この世の価値観とか、アメリカのキリスト教会はまさに影響を受けている。

 

また、離婚問題、牧師でも離婚している人が多い。

 

それはアメリカという「国」に大いに影響されてしまっている。

 

例えばアメリカという国の中で、刺青などが奨励されて来れば、キリスト教会においても、刺青をたっぷり入れたゴスペルミュージシャンとかが出て来る。

 

アメリカの国が、イラクを攻撃して爆撃する(人を殺すという事)事がフランクリングラハムは、「正しい神の御心だ」と、すっかりその気になって、「殺すな」という十戒よりも、自分の国のトレンドの方が価値がある者としている。

 

そういう意味では、アメリカのキリスト教会は、獣に引っ張られている。

 

それは、神の怒りを買う存在であるという事は、理解しなければならない。

 

アメリカのキリスト教会を理解するという事が、終末における我々には大事なポイント。

 

サタンは、神とは真逆の事を言う。

 

エデンの園でも、神は「この実を食べれば必ず死ぬ」と言われたが、その後に蛇が出て来て、エバを騙す。 「決して死なない」と。

 

エバは、サタンの言葉を信じてしまったが、そういう意味で、正しい教理とは全く違う真逆のサタン来の教理が、結構キリスト教会の中に出て来ている。

 

アメリカこそ、ダニエル書の時以来、終末の獣の国として預言され、黙示録でも、7つの頭を持ち、10本の角を持つ獣として預言されている、まさに終末の時代の中心的な国として預言されている例外的な国。

 

さらに、アメリカのキリスト教会も、大いに預言されている。

 

神の怒りによって、全く滅んで消えてしまう事に関して明確に、黙示録の何章かを使って預言されている。

 

「聖書にはアメリカのキリスト教会という言葉は出てこない」という、インチキ話に思える。

 

そういう意味で、何でもキリスト教会で言われている事柄を鵜呑みにしてしまってはいけない。アメリカのキリスト教会こそまさに、終末のポイントであり、大事なポイントなので、この辺りをどの様に正しく理解するというのが、大きな問題。

 

11章では「地上の商人」という言葉が出て来る。

 

「地上の商人」という言葉に、1つのポイントがあると思える。

 

「地上の商人」は、12章にも出て来るし、15節には「富を得た商人」と書いてある。

 

「地上の商人」という言葉。 黙示録には地上という言葉が出て来る。

 

「地に定住している人々。」  黙示録の183節で、「地上の王たち」

 

「地」という言葉が度々出て来る。

 

これは何を意味するかというと、聖書の言葉の中で意味の無い言葉は1つも無い。

 

黙示録は、神の知恵、また、黙示、啓示によって書かれたものであり、喩えや謎が使われているが、それを解いていく時に、大事な教えがある。

 

「地上」いうのは、こちらの理解では、「地」の反対語は「天」

 

天に関しては、ピリピ書の320節で、「我々の国籍は天にある」と書かれている。

 

 

 

ピリピ書

 

3:20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

 

 

 

我々の国籍は「天」    これこそまさに「地上」の反対語。

 

主は「天」から来られる。  国籍が、天にある人しか、そこに住めない。

 

ポイントは、我々が、国籍が天にある者として歩むかどうかという事が、大事。

 

サルデスの教会のところに、「いのちの書に名が記されている」、または、義の白い衣を着ている数人の人達に対しては、「それを消し去る事は無い」と書いてあるが、逆にいのちの書から名前を消されてしまう人が結構いるのではないか。 また、国籍が、本当は天にあったけれども、地上に移されてしまった人もいると思われる。

 

そういう意味では、「国籍」という言葉が大事だと思われる。

 

また、黙示録の中で、あまりはっきりとは書かれていないが、暗示されている事がある。

 

そもそも我々の国籍が、天に留まり続けるのか、それとも色々な惑わしの中で、いつの間にか、地に属する者になってしまうのかが、黙示録の中では、我々に見る目があるなら、聞く耳があるのなら、度々警告されている。

 

「地に住む者」は、ろくな事をやっていない。

 

例えば黙示録の中では、

 

 

 

黙示録

 

6:10彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」

 

   

 

だから、地に住む者、ようするに、国籍が地に移った者(クリスチャンの事)

 

「地に住むクリスチャン」「天に住むクリスチャン」両方存在する。

 

アブラハムは、全てのイスラエルの先祖であり、新約のイスラエルであるクリスチャンの先祖であるけれども、「あなたの子孫は、天の星、地の砂の様になる」と言われている。

 

だから「天」に住むクリスチャン、「地」に住むクリスチャンの両方がいる。

 

地に住む事に関しては、災いであったり、御心から外れているという事がある。

 

黙示録の中では、地に住む者というのは、色々この黙示録の中では、

 

 

 

8:13また私は見た。一羽のわしが中天を飛びながら、大声で言うのを聞いた。「わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る。地に住む人々に。あと三人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。」

 

 

 

この辺りでは詳しくは書いていないが、暗示している事、喩えで語っている事を我々は理解しなくてはならない。

 

そうでないと、読んだ事にならない。

 

 

 

11:10また地に住む人々は、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う。それは、このふたりの預言者が、地に住む人々を苦しめたからである。

 

 

 

「彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う。」

 

地に住む人々は、クリスチャンであるけれども、この世の常識に従って、聖書の真理が見えなくなり、逆に、正しい預言者とかを迫害する。

 

それによって災いが起きるという事が考えられる。

 

黙示録14章においても、

 

 

 

14:15すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」

 

 

 

「地の穀物」

 

 

 

14:16そこで、雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。

 

 

 

14:18すると、火を支配する権威を持ったもうひとりの御使いが、祭壇から出て来て、鋭いかまを持つ御使いに大声で叫んで言った。「その鋭いかまを入れ、地のぶどうのふさを刈り集めよ。ぶどうはすでに熟しているのだから。」

 

14:19そこで御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。

 

14:20その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。

 

 

 

ここは「地」に住む人々に対して言っている。

 

この人たちは、キリストの再臨の時、良い事が起きるか否かというと答えは「否」

 

厳しいさばき。

 

我々が、地に住む人々として歩んで行くなら、災いがやって来るという事を、聖書は語っている。  それは黙示録全体を通して語っているが、あまり理解されない、

 

しかし、聖書はいろんな事が対称的に書かれているけれども、1つは「天」に国籍があり住む者と、「地」に住む者、地上の事柄を、ずっと第一にしている者。自分では、神の働きを行なっている様であり、世の人と区分していると思ってはいるが、神の前には、地に住む者として分離されてしまう人々がいる。 それだと、キリストの再臨の時にろくな目にあわないという事が、暗示されている。 だから、クリスチャンはすべからく、キリストの再臨を待ち望むべきだが、その前に、自分が神の前に「地に住む者」として分離されてしまうのかという事を確認する事が大事。  そうでないと、その日が災いになってしまう可能性がある。

 

これは、黙示録全体を通して語られている。

 

それを理解し、そもそも自分が「地」に住む者として、分離されているのかどうかを、神の前にどのように見られているかを理解しなければならない。

 

エキュメニカルに賛成している人などは、最も危ない。

 

エキュメニカルという言葉の中には「地」が入っている。

 

クリスチャンであっても、明らかな分離がある。

 

「天に住む者」「地に住む者」 

 

これは理解して行きたい。

 

 

 

18:11また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。

 

 

 

「商人」とは何か。  ここにも喩えが使われていると思われる。

 

商人というのは、売ったり買ったりする。

 

だから、贖いに従事する人。 教会の、牧師、教師などの働き人に関しての言葉。

 

問題は、地上の商人とは、地上についた牧師、教師、働き人。

 

そういった人達は、アメリカのキリスト教会が災いにあって、アメリカからの物が来なくなってしまったので、それが「地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。」という事。

 

その時に、理解しなければいけない事は、神の言葉が、このように語っているのなら、必ず成就する。聖書中に無意味な言葉は無い。

 

必ず、そういった類の商人、働き人がいる。

 

神の前に、「天の商人」と言われる類の商人、働き人、牧師、教師もいるだろうが、反面、神の前に、「地の商人」と言われる類の牧師、教師はいる。

 

この事は、大事。   何故なら、バビロンの特徴というのは、「地上の教会」、この世につく教会だという事。

 

アメリカのキリスト教会こそバビロンだと理解しているが、その1つの特徴として地上の商人たちがバビロンと関わりを持っているという事は、地につく教会だという事。

 

アメリカのキリスト教会のトレンドとか、特徴は、神の前には明らかに、この世、地上についている、世の価値観や、世の方法、手段が、大いに用いられている教会。

 

この辺りを理解しなければならない。

 

アメリカのキリスト教会は、大いに神の怒りを買っている。

 

「ここを出るように」とまで言われているので、我々は正しくクリスチャンの常識ではなく、聖霊の語り掛けに従い、聖霊によって、正しく今の事を吟味し悟らなければならない。

 

もしそうしないならば、我々もアメリカの滅びと一緒に滅んでしまったり、神の前に地に住む者として見なされてしまう可能性があるので、そこは理解しなければならない。

 

アメリカのキリスト教会は、我々の目が開かれるなら、この地に、この世のトレンドに大いについており、この世的なもの。

 

アメリカでは、この世の人と同じように、離婚も堕胎も当然のように起きている。

 

同性愛も、結構受け入れられ、「問題なし」というようなトレンドも入って来ている。

 

また、艱難前携挙説も。要は、聖書の教えよりも、この世の考えを優先している教理。

 

あらゆる事柄がそう。

 

例えば「ヤベツの祈り」(神に対し、自分の要求を強制しようとする)もそう。   また、目的主導型教会(パーパスドリブンチャーチ・・・目的が満たされるのなら、手段を選ばないこの世のロック歌手すら用いる)    また、他の宗教とぶつかり合いがあってはまずいから、イスラム教徒キリスト教を合わせて、クリスラムという、名を合体させたような、わけの分からない事を言い出したり。 まさにこれは、この世的な教えであり、注意すべきもの。

 

しかし、リックウォレンなど、まがい物にしか見えないが、地に住む者、牧師であろうとクリスチャンであろうと、この地に住むようなもの、この世的な常識やら、この世的な考えを優先する人たちは、そういうモノに引っかかるようになっている。

 

それは神の前に喜ばれるものではない。

 

キリスト教会のトレンドの中では、メジャーであり、主流であるかも知れないが、神に喜ばれるかどうかはまた別の事。

 

ビリーグラハムも、「カトリックには何の問題も無い」などとインチキな事を言っている。

 

これらの事に問題を感じないというのは、そもそも聞いている人達が「地に住む者」である可能性が大いにあると思われる。

 

そういう意味で、アメリカ・バビロンを通しての惑わし、引っ掛け、クリスチャンの選り分けという事に関しては理解しなくてはならない。

 

本当に、国籍が「天」にある人々は、その様な、地上的な、この世的な、アメリカからの教理や、教えがあったとしても、受け入れず、正しく留まるようになると思う。

 

しかし、この世的な要素があり、この世的な事を喜んでいる人達は、アメリカ由来の、地に住むような教えを喜んで受け入れてしまう。

 

そして、聖書にある、「地上の商人」と言われるような人々になってしまう。

 

我々は理解しなくてはならない。

 

アメリカのキリスト教会を通して、全世界のクリスチャンに対して、揺り動かしや選り分けが来ている。

 

それで、「とりこにされる者はとりこにされて行く」と書いてあるように、それを通して真に

 

残る者は僅かな者であろうとも、アメリカがいくら地上的、この世的な教えを語って来ても、真に留まるべき人は、留まる。そういう人達の国籍は、天に留まると思う。

 

しかし残念ながら、日本の神学校で尚且つ福音的な神学校であっても、どんどんアメリカ的な教えが入って来ているので、その中で、福音派の牧師であろうと、クリスチャンであろうと、どんどん引っかかったり、影響を受けたり、ずらされたりしている。

 

そういう意味でも大いに選り分けが起きている時代。

 

それを理解しなければならない。

 

エデンの園の蛇の惑わしというのは、1つのパターン。

 

エバが騙されて終わりというわけではない。

 

そうでなくて、それは、教会に対して、教会内で繰り返し起きて来る蛇、サタンによる、誘惑、惑わし、インチキな教えの1つのパターン。

 

そのパターンが、繰り返ししつこく行なわれてきている。

 

今、サタンが用いている大きな方法は、理解に間違いが無ければ、アメリカのキリスト教会、バビロンを通しての、惑わしであり、インチキであり、揺るがしであるというように思う。

 

これを通して多くのクリスチャンは揺るがされ、選り分けられている事を理解しなければならない。

 

とりこにされる者はとりこにされる、ただそれだけのもの。

 

「アメリカでこう言っているから」と言って、「これがキリスト教会の主流」だからと言って、「うちの牧師もそう言ってた」からと言って、この世的なキリスト教を受け入れて行く人は、非常にシビアだが、それだけのもの。

 

エバの時も助けは来なかった。  エバは神の正しい言葉を聞いている。

 

「この実を食べたら必ず死ぬ」と。

 

 しかし、エバの自己判断で、蛇の声に耳を傾けて、結局その実を取って、自分で食べた。

 

結局彼女は、死を選んでしまった。

 

これは聖書のパターン。

 

そういう意味合いで今も、アメリカのキリスト教会を通して、蛇が、再度、エバ(女性=教会)世界のキリスト教会の揺るがし、誘惑が来ている。

 

判断は個々のクリスチャンが行なう事。  自己判断。

 

エデンの園でも助けが来なかったように、今回も、守りは来ていない。

 

でもやはり、自己責任。

 

何故なら、ある人は、神の言葉に留まるし、ある人達は、神の言葉からずれて行く。

 

残る人々もいる。

 

艱難前携挙説も「これは間違いだ」と、神の言葉に留まる人はいる。

 

なので、アメリカのキリスト教会の惑わしという事に関して、目を開かなければならない。

 

そういう概念自体が無い。

 

逆に日本だと、福音派でも、アメリカの神学校を出たとかで、「権威だ」とか言うのは間違い。

 

逆に、アメリカ帰りの牧師、神学生などは気を付けなければならない。

 

どんなわけの分からない教理を言い出すか分からない。

 

そのような感じに見るべきではないかと思う。

 

聖書が、明らかに語っている事に関しては、理解しなければならない。

 

「地に住む者」という事に関しても。

 

そして、今の現状を言うなら、バビロン、アメリカの影響は、全世界のキリスト教会に影響をもたらしており、覆っている。

 

影響されていないのが例外的。

 

外国のキリスト教書店も、メインはアメリカからの本。ピーターワグナーなど。

 

結局、影響は大きい。

 

これはある意味では、神の許しの中で起きている事。

 

しかし、我々はそれを悟らなければならない。

 

「地に住む者」にならないように。

 

バビロンに関係して、「地上の商人」という言葉が出て来るという事は、アメリカのキリスト教会こそ、地上的な、この世的な事、トレンドをどんどんキリスト教会に持ち込む。

 

ある教会は、どんどんそれを受け入れる。

 

ゴスペルに、ロック調のミュージックが入って来る。

 

そういうのを受け入れるのかどうか。

 

これは、各自の判断。

 

たとえアメリカ由来のものであろうと、おかしな霊の音楽とか、刺青とか、それを受け入れるとかは、神の前では、地上の商人になったにすぎない。

 

それは天にある国籍から、どんどん外されて行くというトレンド。

 

いくら最新のトレンドだからと言って、何も考えずにくっついて行くべきではない。

 

我々はクリスチャンであり、御言葉はすべてのものを吟味せよと書いてあるので、我々はそれを見て行くべきだと思う。

 

そういった意味合いでは、明らかにこの世のトレンドに入って行く時代だと思うが、そういったモノに入る事が無いように。

 

 

 

18:11また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。 

 

 

 

地上の商人が売った物が、彼女、アメリカ・バビロンのキリスト教会で買われるという事は、バビロン、アメリカのキリスト教会も当然地上的な教会であり、この世についた教会。

 

大いにその商品が喜ばれる。

 

しかしそれは、神の怒りを買う事になり、バビロンすなわちアメリカのキリスト教会も、滅んで、全く地上から消え去るというように書いてあるので、恐ろしいさばきが待っている。

 

この世的なものを、キリスト教会に入れる入れないという事は、人によっては、「あまりこだわる事じゃないんじゃないの?」とか、「神経質になるな」とか言うが、これは、サタンの持ってきた、非常に強力な方法であるという事は覚えておく。

 

終末を迎え、正しく神の前に喜ばれて再臨を迎えるクリスチャンとなるつもりがあるのなら、黙示録が繰り返して書いてあるように、「地に住む」、この世的なものについているかどうかという事を、聖書は繰り返し警告をしている。

 

目が開かれるなら、そういう事を見る筈。

 

そこを読まないと、黙示録を読んだ事にならない。

 

「見るには見るが悟らず」になってしまうから、意味が無い。

 

聖書には明らかに、「地に住む者」に災いが来ると書いてあるので、我々があらゆるこの世的なモノとか、「地に住む者」的なものから、離れ、清められ、分離し、そういったモノを除外して行かないなら、我々も同じような裁きに遭ってしまう。

 

再臨の日に、刈り取られて天国に入る予定が、刈り取られて、都の外で踏まれて、とんでもない事になってしまうので、大違い。

 

それは、我々の常識とかなり違う。

 

誰も言わないと思う。  「アメリカのキリスト教会に気を付けよ」

 

逆にあらゆるトレンドが、アメリカから来る。

 

だから、「良い」トレンドがみなアメリカから来ると思ってしまうクリスチャンが多い。

 

アメリカから来るものに関しては、要吟味であり、これにどんどん巻き込まれて行けば、我々も同じような「地に住む者」として分離され、同じ裁きに遭うというポイントは、正しく見て行かなければならない。