ヨハネの黙示録18章19節~20節      2017.1.22

 

 

 

18:19それから、彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲しみ、叫んで言いました。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。海に舟を持つ者はみな、この都のおごりによって富を得ていたのに、それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。』

 

 

 

主は、喩えの理解に関して語られた。

 

マルコの4章では、「喩えによらないで話される事はなかった。」とまで書いてある。

 

チェーンバイブルは、「この箇所は誇張的表現」などと、とんでもなく勝手な解釈をつけている。

 

主の語られた事のみが正しい。

 

まして黙示録は喩えの書。 

 

19節も、「海に舟を持つ者」と書いてある。  これに関しての喩えを理解しなければならない。

 

黙示録18章の中には、船に関する事が出て来る。

 

19節では、「海に舟を持つ者」、17節では「すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも」と、これはみな、船に関しての事。

 

「船、舟」が出て来る。これは喩え。

 

言わんとしている事の事柄は、聖書のあらゆる箇所は、伝道の書では、「一人のひとによって書かれた」とあるように、著者はそれぞれ違うが、真の著者は1人。

 

あらゆる聖書箇所は、不思議だが、多くの人が書いている様でも、結局は神の霊感によって書かれた。

 

一貫として、人が書いたが、全て、神の意志、霊感によって書かれた。

 

あらゆる箇所に意味がある。

 

船という事に関して、福音書の中に出て来る。

 

ペテロ、ヨハネは、舟で漁に出て、魚を捕っていた。

 

その時に、「私にしたがって来なさい」と主が言われた。

 

彼らは漁師だったが、父も舟も捨てて主に従って行った。

 

主は、「わたしに従って来なさい。あなたがたを人間を捕る漁師にしてあげよう」

 

船とか、船長とか、これはまさにその箇所と関係する。

 

船は喩え。簡単に言えば、教会に関しての喩え。

 

舟は網を降ろして魚を捕る。  同じように、教会も色々伝道して人を導いたり、伝道集会や、

 

救いに導いたりする。

 

そういう意味では、船は教会の喩え。

 

なので、ここに書いてある、船長は、教会の牧師、リーダー。

 

「全ての船客」 船客とは、集会に集まる人々。水夫は働き人。 奉仕をしたり、海で働く者。

 

「船」は教会のどういう部分を表しているかというと、海があって初めて、漕いで行ける。

 

海は、霊的な事を表すので、聖霊の働きによって、動いている。

 

聖霊の中を動いているという意味合いの中の船は、教会の喩え。

 

聖霊の海で働く者としての教会という事を理解出来たら、あらゆる事柄が解って来る。

 

喩えを理解していく時に、御言葉は難しくはない。

 

そういう意味で黙示録は、喩えの理解をして初めて、意味合い、深い意味合いが解って来る。

 

残念だが、今のキリスト教会では、あらゆる所が、曲がっており、ずれており、変形しているが、根本的な聖書理解に関しても、ずれている。

 

しかし、バプテスマのヨハネが来た時も、聖書に書いてある通り、「主の道を備えよ。その道を真っ直ぐにせよ。あらゆる谷は埋められ、平らにして、山、でこぼこ道を真っ直ぐにされる。」

 

とあるように、我々は、あらゆる意味合いで、教会の歩むべき道を、正して行かなければならないが、聖書の理解、喩えの理解も、正しい道に関しても、曲がった、凸凹も、そういった惑わされた解釈を、真っ直ぐに、喩えを理解していく時に、はじめて理解出来るという事を、見て行きたいと思う。

 

「船」に関しての事柄。

 

19節で、「彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲しみ、叫んで言いました。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。海に舟を持つ者はみな、この都のおごりによって富を得ていたのに、それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。』」

 

この部分が何を言っているのかというと、海に船を持つ者、ようするに、教会。「船」

 

霊的な事柄で、人々を呼び込んでいた教会の事。

 

リバイバル集会など。ベニーヒン、ピーターワグナー(最近亡くなった)など。

 

そういった人達に関して、「一瞬のうちに荒れすたれる」という事。

 

何を言っているのかというと、本当にこれが、神から来た霊であり、聖霊の海の中で、教会が働いていたら、この都が、聖霊を提供していたなら、一瞬のうちに荒れすたれるという事は無い。 しかし、違う。これは、別の霊を下しており、別の、神ならぬ霊を下している。

 

 

 

18:3それは、すべての国々の民が、彼女の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女と不品行を行ない、地上の商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。

 

 

 

「それは、すべての国々の民が、彼女の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、」、これは聖霊に関しての、別の表現。  「御怒りのぶどう酒」が聖霊である筈がない。

 

逆にこれは、悪霊の杯を飲んでおり、それによって、悪霊と交わる事によって、不品行をなすので、神の怒りを積み上げている、という事。

 

神の御心だと思って、ベニーヒンの集会にたくさんの人を呼び込み、教会が繁盛したのに、荒れすたれるのは、不品行のぶどう酒を飲ませたから。

 

聖書は、そういう意味で言うなら、同じ事が表現を変えて、方法を変えて、繰り返し繰り返し書かれている本。

 

聖霊が、悪霊とチェンジする。

 

黙示録の183節は、バビロンは、悪霊のリバイバルを用いているという事を、表現を変えて書いてある。

 

言わんとしている事、喩えが語っている事は、わりと単純な事柄。

 

だが、神の知恵によって書かれている。

 

喩えを理解しない人、素直に真理に従って行こうとしない人には、さっぱり解らない。

 

アメリカはまさに、バビロンの霊。

 

なので、アメリカ由来のリバイバルの霊に関しては、聖書の視点に従うなら、気をつけなければならない。この事は理解する。

 

例えばロドニーハワードのリバイバルは、聖霊に導かれて見るなら、かなり異様。

 

ロドニーハワードから霊を下された人が笑うと、気持ちの悪い笑い声がマイクを通して聞こえて来る。「エヘヘ・・イヒヒヒ」など。

 

端から端まで、悪霊によるものと理解出来る。

 

「すべての国々の民が、彼女の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、」

 

ロドニーハワードの集会で起きている事は、まさにこの御言葉の成就。

 

「御怒りのぶどう酒」とあるから、その霊を受ければ受けるほど、神の怒りを積み上げる事になってしまう。  恐ろしい事。

 

非常に深刻な事柄が起きている。

 

「キリスト教の集会」だとクリスチャンは思っているが、そこで悪霊が下されるという悪い冗談みたいなことが起きている。

 

 

 

18:19それから、彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲しみ、叫んで言いました。『わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。海に舟を持つ者はみな、この都のおごりによって富を得ていたのに、それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。』

 

 

 

アメリカ由来のリバイバルで、「凄い賜物を受けた」とか、「神の素晴らしい賜物が来た」とか、「癒しの賜物を受けた」とか、「これで教会も大繁盛だったのに、何故なんだ」とか。

 

それは、聖書には、無駄な事は書いていない。

 

この事を通して理解しなければならないのは、みんなすっかり騙されるという事。

 

悪霊のリバイバルを「神からのものだ」と、すっかり信じ込んでいるという事。

 

しかし、すごいギャップがあるという事を、この18章を読んで理解しなければならない。

 

その為に書いてある。

 

「すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも」・・・これらは「教会」の喩え。

 

これらの人達が、「これはバビロンからのものだから、神の霊とは違う」と解ればよいが、ここの箇所では、これらの人々はみな、嘆いている。

 

何も理解していない。

 

何でこのような事が起きたかも理解してない。

 

逆に、すっかりと心が浸透してしまっている。思い込みが入っている。

 

それで、影響を受けてしまっている。

 

アメリカ由来のリバイバルの霊とか、ベニーヒンさまさまとか。

 

追っかけている。ロドニーハワードのも同じ。

 

彼らは、災いが来たら嘆く。しかしそれは、個人的な好き嫌いではなく、大きな惑わしに入っているという事。

 

悪霊が聖霊に見えるというのは、全く神の聖霊の声も聞いていないし、霊の見分けも出来ていないし、そもそも永遠のいのちに関わる事において、根本的な大間違いをしている。

 

それが、まさに18章に書いてあるように、すべての国(アメリカだけではない)のクリスチャンが、アメリカ由来の霊に惑わされ、日本も、韓国も、台湾も、多くのクリスチャンが惑わされて行くという意味。

 

それは神の前では全く大きな誤解であり、根本的に間違っている。

 

神の霊と悪霊を見間違えれば、霊の見分けなどあったものではない。

 

黙示録に書いてある事は、ショックな事だが、実際における未来に関して預言している。

 

こう言う日が、来つつある。

 

ベニーヒンに惑わされたクリスチャンはたくさんいる。  これは大問題。

 

しかし結局は、それは知恵、知識の問題ではなく、どうしてクリスチャンが惑わされるかというと、聖霊のいう事を聞いていないから。

 

聖霊が去って行って、変なものを掴んでいる。  そういう意味では自己責任。

 

しかし、恐ろしい時代が来るという事を、黙示録は預言している。

 

それは、多くのクリスチャンが、聖霊に聞き従わない故に、「聖霊」といいながら別の霊を掴んでしまう。しかも全く気付かない。

 

それを暗示している箇所は、聖書にいくつもある。

 

賢いおとめ、愚かなおとめとは、まさにそう。

 

愚かなおとめも、その日まで、自分たちが聖霊を持っていないと、主に会う日まで気付かない。

 

「我々の持っているのは聖霊ではなかったのか!」という感じ。

 

また、「主よ、主よ」という人達もまさにそう。

 

神の霊によって、悪霊を追い出したり、力あるわざを行なったりと思っている。

 

しかしそれは、バビロン由来の賜物であり、彼らは確かに、悪霊を追い出している。

 

預言もしているし、奇跡を行なったりもしている。

 

しかしそれは、神の霊ではない、別の霊によって、奇跡を行なっているのが大きな問題。

 

世の終わりの問題というのは、多くのクリスチャンが、賜物、奇蹟、預言、癒しとか、現象にグッと魅かれて行って、そもそもそれが、神の霊から来たものか、悪霊由来か、理解出来ない、

 

区分出来ない、吟味出来ないという問題が出て来る。

 

それを黙示録は、繰り返し、いろんな形で語っているが、盲目な人は、その1つの喩えも理解出来ない。

 

18章の中でも、悪霊的な事を表現して、「激しい御怒りのぶどう酒」ぶどう酒は、霊的な事に関しての喩えであり、また、水夫、船長など、水に関する事を言って、ここでも「霊が違う」と言っているが、残念な事に、喩えを理解しない人は、その1つをも理解しない。

 

この箇所だけでなく、黙示録の中で、何度も色んな事が書いてある。

 

「ユーフラテスの水が枯れた」とか、「かえるのような汚れた霊」など、みんな同じ事を言っている。  そのどれをも理解しない。

 

だから、今は残念ながら、キリスト教界全体が、盲目になっている。

 

霊的にも盲目になっており、教理的にも、何を書いてあるのかさっぱり解らない。

 

何の助けにもならない。逆に「艱難前携挙説」が正しいとか、インチキな教理で惑わされて行くような時代。

 

なので、我々は恐れを持って、今の時代を見なければならない。

 

神の怒りの中でこの様な事が許されている。

 

19章で、「それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。」とあるように、KJVでは一瞬ではなく1時間と書いてある。

 

アメリカのキリスト教会が、1日とか、1時間で滅ぶという事は、文字通り起こるだろうと思われる。 そういう具体的な時間とか、日を指定している。

 

実際に、旧約のバビロンも1日で滅びた。

 

「大きな都が1日で滅びる」とは、想像に難いが、これは未来の預言。

 

アメリカ・バビロンすなわちアメリカのキリスト教会は1日で滅びるだろうと思う。

 

なので、理解しなければならない事は、神の怒りという事に関して、今は、多くのクリスチャンが、何も理解していない。逆にレムナントで語られている事が異常に見えてしまう。

 

問題は、明らかに、黙示録18章は、「バビロンは滅びる」と書いてある。

 

しかも「1時間」で滅びると。

 

だから、凄まじい神の怒りを買っているという事を理解しなければならない。

 

今、アメリカの行なっている事、進んでいる事に対して、神の怒りは頂点に達しつつあるという事。しかし、多くの人にとっては、神の顔が見えない。

 

「御顔を隠す」という事があるけれども、神の怒っている表情が見えない。

 

逆に、「ゴッド・ブレス・アメリカ」などと言っている。

 

しかし、霊的な感覚で、神の凄まじい、爆発寸前な怒りが読めるなら正しい。

 

神のアメリカのキリスト教会に対する神の怒りをちらっと感じる。

 

さすがに祝福しているとは思えない。

 

今は、多くのクリスチャンが盲目になっているという事を覚えておく。

 

残念だが、そういう時代。だから、何でも信用してしまってはいけない。

 

霊的に盲目な時代。

 

 

 

18:20おお、天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。」

 

 

 

ここでは、天とか、聖徒たち、使徒たち、預言者たちを指して、「この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。」

 

 

 

これは何を言っているのかというと、この言葉から理解出来ることは、「バビロン」

 

アメリカのキリスト教会に対して、「天」=「地」に住む者とは反対。

 

「天」に住む者に対して、あらゆる迫害、非難、攻撃が来るという事。

 

場合によっては殉教も起きる。

 

だから、そういう事に対する神の裁き(KJVでは「復讐」)をするという事は、害を受けている、その仇討ちという事。

 

だから、その前に、正しい聖徒たちが、残念な事だが、いずれバビロンは滅びて、背教的なアメリカクリスチャンも滅ぶ。

 

ソドムとゴモラの様に、一瞬(1時間)で。

 

その前に暗示される事は、やはり、天とか、聖徒たち、使徒たち、預言者たちが、アメリカにおいて、迫害が起きるという事。

 

 

 

18:24また、預言者や聖徒たちの血、および地上で殺されたすべての人々の血が、この都の中に見いだされたからだ。」と書いてある。

 

 

 

「都」は、バビロン。

 

なので、理解しなければならない事は、アメリカはこれから、正しいクリスチャンに対しての迫害国になって行く。

 

そうとしか読めない。   そして、アメリカでは、殉教の血も流れるという事。

 

縁起でもない話だが、アメリカに、ギロチンが輸入されているとの事。

 

この話はずいぶん前からある。

 

20年程前までは、冗談のように思えたが、今現在はそれがどんどんリアル化して来ている。

 

ただ単に、アメリカの法律、政府に留まればいいのだが、「この都」と書かれている。

 

都は、バビロンでありすなわちアメリカのキリスト教会。

 

預言者や聖徒たちの血、および地上で殺されたすべての人々の血が、この都の中に見いだされたからだ。」

 

エルサレムは神の都だが、エルサレムで、預言者が殺された。

 

主も嘆いて言われた。  「エルサレム、エルサレム、預言者達を殺し、遣わされた者を石で打つものよ」  「あなたを何度も集めようとした。」と、「預言者はエルサレム以外の所で死ぬ事はあり得ない」とも言われた。

 

神の民の中心地がまさに、正しい人が殺される地になっていたが、そういう意味で、アメリカはキリスト教の中心地だったが、そこでクリスチャンが殺されるようになる。

 

アメリカの法律はおかしい。  オバマも同性婚を認めたりなど。

 

クリスチャンがみな正しいわけではないが、これから起きて来る問題は、クリスチャンが惑わされ、正しいクリスチャンを殺す事に同意したり、告発するという事。

 

「兄弟が兄弟を訴える」という事が、アメリカで実現していく。

 

訴えたり、告発したりなど。 「父が子を死に渡す」とか、「子は父を訴える」とか。

 

これは、喩え。

 

父と子は、実際の肉親関係という事があるかも知れないが、もう1つは、教会における父である牧師とか、子である信徒とか、そういった人達に訴えられるとか、そう言う事柄についての喩え。

 

これからそういう時代に入って行くという事。

 

「天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。」というのは、

 

そういう時が来るという事。

 

その他では、

 

 

 

マタイ

 

24:7民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

 

24:8しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

 

24:9そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

 

24:10また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。

 

24:11また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

 

24:12不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

 

24:13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

 

 

 

ここに書いてある事が、まさにこれから起きて来る。

 

アメリカを起点に、これから起きて来る。

 

「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり」・・・これは喩え。

 

民族とか国は、神の民の教団などが、分裂して行くという事。

 

「あっちの教団では、同性愛認めないが、こっちの教団では、聖書が認めてる」とか、互いに言い争ったり、そういう事が来る。今来つつある。

 

全然聖書と違った事がまかり通る様になる。

 

「方々にききんと地震が起こります。」・・・これも喩え。

 

地震は、教会を揺るがすような、揺るがし、動揺させる事とか、世間が変わって、「同性愛に反対する者は法律に違反している」とか、教会が攻撃されたり、揺るがされたりする時が来る。「ききん」は、わけの分からないメッセージが語られたりする。

 

「同性愛者は神に1番喜ばれている」とか、まともなメッセージが無くなる。

 

「しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。」

 

「そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。」

 

残念だが、この様に書いてあるから、これらの事は、アメリカ限定ではなく(起点ではあるが)、全世界に起きて来る。  日本も例外ではない。

 

全員が殉教するわけではないが、殉教は起きて来る。

 

どちらかを選択しなければならない。

 

主は、「身体を殺せても、魂を殺せない者たちを恐れてはならない。むしろ、身体も魂も共にゲヘナで滅ぼす権威のある方を恐れなさい。」と言われた。

 

再臨直前の、最後の、土壇場の戦いになるので、サタンはあらゆる手段で惑わして来るので、心を定めていきたい。

 

間違っても「艱難前携挙説」とかを信じて惑わされてはいけない。

 

「あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。」とある。

 

苦しい目に遭わせるから、残念だが、艱難前に携挙はあり得ない。

 

もし我々が、同性愛を受け入れたり、「キリスト以外にも救いがある」と言えば、苦しい目に遭わないが、正しく命を得て、キリストに留まろうとする時には、迫害などを避けることは出来ない。

 

全世界を覆う試練の時と書いてあるから、楽観的に思ってはいけない。

 

そうでないと、その日に、「聞いていない」という事になってしまう。

 

「苦しい目に遭わせる」と書いてあるから、必ず起きる。

 

どうしたらそういう日が来るかは分からないが、これからどんどん世界が変わって来る。

 

論調とか、意見が、劇的に逆転すると思われる。

 

キリストに対しての評判は特に。

 

「キリストはとんでもないインチキだ」という考えが、世界中に広まって行く。

 

「福音書はインチキ。キリストは結婚し、子供までいた、世界一のペテン」とか言って来る。

 

群衆が興奮状態になる。  キリストに対する憎しみがすごい勢いで覆う。

 

これはサタンから来たもの。

 

世界中がそのようになる。感情が揺り動かされて、キリストに対する憎しみが勢いよく世界中を回って、キリストを正しく信じているクリスチャンを襲う。

 

しかしその時、どうするか、いう事。

 

「わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。」

 

それらの事が押し迫って来るから、我々はそれに備えて行く。

 

へこたれない事!

 

かなり非難されたり、色々悪口を言われたりとかでも、「そんなものか」と。

 

その中で、「また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。」

 

これもクリスチャンの事を言っている。

 

クリスチャンは大勢躓く。  少なくとも過半数以上。

 

「互いに裏切り、憎み合います。」

 

密告したりする者が出て来る。 これは教会の中の事。

 

13節で、「また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。」

 

「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」

 

「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」

 

これからの艱難時代は、明らかにサバイバルゲーム。

 

聖書がこういう事を預言している。

 

福音書を見てもわかる事は、弟子たちは最後の晩餐まで残って、そして、主が直々に声をかけている。3年半の最後に言われた。

 

弟子たちはサバイバルゲーム状態。

 

4千人5千人の時に、群衆が来たが、みな裏切っている。

 

また、「ダビデの子にホサナ」から「十字架につけろ」まで。

 

多くの弟子たちが、ある日を境に去って行った。

 

キリストがペテロに声をかけた。

 

「あなた達も去って行くのか」と。その時ペテロは留まった。

 

「私たちはどこへ行きましょう。」

 

明らかに、サバイバルゲームの事に関して語っている。

 

ゲームではなくリアルだが。

 

聖書が書いてある、リアルな現実、きれいごとではないリアルな真実は、これから明らかに12弟子のように、ふるわれるという事。

 

それもまた、神が「よし」とされる事。

 

神様の考えというものを、多くのクリスチャンが根本的に間違えている。

 

神は明らかに、そういった地震や、揺るがしを通してのこっている人に、目を注いでいる。

 

そういう時がこれから来る。 我々は、よりによって、そういう時に遭遇しようとしている。ポイントは、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」という事。

 

そこで救いに入る。

 

サバイバルして、救われて、永遠のいのちに入る。

 

「最後まで耐え忍ぶ」とはそういう意味。

 

根本的に今のクリスチャンは、終末に関して、見事に正反対の事を聞かされているので、何も解っていない。

 

「艱難の前に上げられる」などを信じれば、全然艱難時代を理解できない。

 

しかし、聖書は明らかに「艱難を通る」と言っている。

 

艱難を通って、そして12弟子のように、最後まで耐え忍ぶ者が救われる。

 

ペテロもヤコブも、同じ艱難を通った。

 

聖書には、イエスを信じる者が、ユダヤ教の会堂から追い出されると書いてある。

 

ユダヤ人にとって、ユダヤ教の会堂からい出されるという事は、大変な事。

 

「神に見捨てられたという感じ」になってしまうだろう。

 

それでも12弟子は留まった。

 

書いてある事は、書いてある通りに理解しなければならない。

 

「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と書いてある。

 

メッセージする以上、その事は言わなければならない。

 

全然違う事を語る者は、聖書を偽りとしなければならない。

 

ゲヘナ(地獄)には行きたくない。

 

我々が、真理を見て行くつもりがあるなら、難しい事は、聖書は語っていない。

 

なので、終わりの時代に関しては、残念ながら、揺るがしの時代が来る。

 

そういう意味では、公平に来る。

 

「アメリカ人だけ特別」とはならない。    どこの国の人でも公平に来る。

 

世界中の真実。 どのクリスチャンも。

 

「全世界に及ぶ試練の時から、」と書いてあるから、クリスチャンなら、皆同じに来る。

 

ある人は揺るがされて、すぐに「やめてしまう」

 

同じ試練が来る。 しかし、ある人は留まり、ある人は躓く。

 

そういう意味では平等。

 

世の終わりに関連しては、1つはそういう日が来る。

 

その為に聖書のあらゆる箇所にその事が警告されている。

 

「そうであってもいのちを救え」という事。

 

もう1つはやはり、「攻撃は最大の防御」というこの世の言葉があるが、我々は打って出るように、伝道をしたり、主の御心を増々行って行く、結局そういう人が留まる。

 

12弟子がそうであったように。

 

御心の奉仕を行なう事こそ、サバイバル。

 

聖書の中に模範は出ている。見る目があるのなら。

 

我々も同じようにやって行くというのが結局は、賢いと思う。

 

危ないから身を隠すとかは、ポイントがずれている。

 

こういった事は見て行く。