ヨブ記5章 2012.7.15

 

メッセージの前に・・・

ヨブは神様から太鼓判を押されている

 

参照 ヨブ記1:8,2;3

1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」

2:3 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」

 

世の終わり、正しいクリスチャンをサタンがふるいにかけられることがゆるされる

ヨブを慰めに友人が来るが的外れことばかりを言う、そして、彼らは最後、神様に怒られている、すなわち、ヨブが正しかった

そういう視点でヨブ記を読んでいく

艱難時代の苦難

      ↓

1.息子や娘、羊、牛、ろば、らくだ、すなわち、信者を失う

2.肉体に攻撃が来る

3.友人が入れかわり立ちかわり来て「ここが違っている、あそこが違っている」という攻撃が来る

このことは、多くのクリスチャンの声で惑わされるということを言っている、クリスチャンの声で、ぐら

つかされてしまう

攻撃が来るということについて、ヨブ記の中では、ここに時間を使っている

友人との言い争いがポイント

このことは、ある意味、選民を惑わすということに通じる

 

参照 マタイ24:24

24:24 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

 

ここからはメッセージです。

 

5:1 さあ、呼んでみよ。だれかあなたに答える者があるか。聖者のうちのだれにあなたは向かって行こうとするのか。

ヨブは間違えているという前提で言っている

 

5:2 憤りは愚か者を殺し、ねたみはあさはかな者を死なせる。

ヨブのことを言っている

なぜ、ヨブがここまで言われているのか?→不幸に見えたから、神からの災いに会っているから

 

5:3 私は愚か者が根を張るのを見た。しかし、その住みかは、たちまち腐った。

5:4 その子たちは危険にさらされ、門で押しつぶされても、彼らを救い出す者もいない。

5:5 彼の刈り入れる物は飢えた人が食べ、いばらの中からさえこれを奪う。渇いた者が彼らの富をあえぎ求める。

愚か者が根を張る:今まで裕福だった、でも、愚か者だった、住みかが腐ったと言っている

このことは、ヨブ個人もそうだけれども、イエス・キリストのことを、ヨブを通して証している

イエス様の宣教の当時、男だけで5千人、6千人の人が集まった、女や子どもを合わせるなら1万人位の人が集められたのでは?

でも、皆、ずっと着いていったわけではなく、最後は群集が怒り、十字架に付けられた

ある意味、人間的には失敗した型

外見的な事柄で一喜一憂してはダメなことをここから学ぶ

人間的な考えと神の方法は違う

人間は外側しか見ない

主のするべきことをして、なおかつ、批難されたら甘んじて受けていく

一喜一憂しないこと

主の御心はどうかを正しくとらえる

 

5:6 なぜなら、不幸はちりから出て来ず、苦しみは土から芽を出さないからだ。

意味があって不幸が起きた

神がヨブを罰するために災いを与えたと言っている

こういうことを言われるかも知れない

訳の分からないクリスチャンから聖書的、信仰的に言われても引いてはダメ、正しくとどまる

正しい奉仕をするときに的外れな批難が来る、しかし、引いてしまったら他の人へ奉仕が行ってしまう

 

5:7 人は生まれると苦しみに会う。火花が上に飛ぶように。

5:8 私なら、神に尋ね、私のことを神に訴えよう。

5:9 神は大いなる事をなして測り知れず、その奇しいみわざは数えきれない。

5:10 神は地の上に雨を降らし、野の面に水を送る。

5:11 神は低い者を高く上げ、悲しむ者を引き上げて救う。

5:12 神は悪賢い者のたくらみを打ちこわす。それで彼らの手は、何の効果ももたらさない。

5:13 神は知恵のある者を彼ら自身の悪知恵を使って捕える。彼らのずるいはかりごとはくつがえされる。

5:14 彼らは昼間にやみに会い、真昼に、夜のように手さぐりする。

5:15 神は貧しい者を剣から、彼らの口から、強い者の手から救われる。

5:16 こうして寄るべのない者は望みを持ち、不正はその口をつぐむ。

5:17 ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。

ヨブはじつは悪賢い者だと言っている

それが暴露されたと言っている、このことは、御言葉に沿ってもっともらしいことを言っている

でも、実際はサタンがヨブを試みた不幸

ヨブが、あまりにも正しいのでサタンが意地悪をした

しかし、艱難で終わるのではなく、永遠の祝福に入る

 

5:18 神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。

5:19 神は六つの苦しみから、あなたを救い出し、七つ目のわざわいはあなたに触れない。

5:20 ききんのときには死からあなたを救い、戦いのときにも剣の力からあなたを救う。

5:21 舌でむち打たれるときも、あなたは隠され、破壊の来るときにも、あなたはそれを恐れない。

5:22 あなたは破壊とききんとをあざ笑い、地の獣をも恐れない。

5:23 野の石とあなたは契りを結び、野の獣はあなたと和らぐからだ。

5:24 あなたは自分の天幕が安全であるのを知り、あなたの牧場を見回っても何も失っていない。

5:25 あなたは自分の子孫が多くなり、あなたのすえが地の草のようになるのを知ろう。

5:26 あなたは長寿を全うして墓にはいろう。あたかも麦束がその時期に収められるように。

ヨブの苦しみは入るべきところに入るための全能者の懲らしめ

エリファズが言っているのはヨブに来ている災いは神の懲らしめ、それを悔い改めるなら祝福に入る、でも、これは間違えている

同じようなことをイエス様も言われている

 

参照 イザヤ書53:3-5

この箇所では、苦難の召しのイエス・キリストについて書かれている

53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

 

3:イエス・キリストの歩みについて、このことはヨブにも通じる(悪性の腫れ物が出来た→参照 ヨブ記2:7)

4,5:キリストの苦難も、そのように思われた、キリストの十字架や罰や逮捕も罪があるから罰せられたということを言われている

 

私たちも艱難時代に入ったら同じようなことが起こる

逮捕されたら「悪いのでは?」という風に見なされる

Ex:アメリカがおかしいのを私たちは知っている、しかし、皆が皆、そう思うわけではない、それでも正しく御言葉に立つかどうか?正しいことをして逮捕や有罪にされたときに神の罰と思ってはダメ、主に言われていることは貫き通さなければいけない

神に従っての災いという点については、よくよく、とらえておく

 

5:27 さあ、私たちが調べ上げたことはこのとおりだ。これを聞き、あなた自身でこれを知れ。

正しければ悪いことは起きないと言っている

悪いことが起きるのは神からの罰

でも、それは、違う

このことは、イエス様にも起きた

 

参照 マタイ27:1

27:1 さて、夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエスを死刑にするために協議した。

 

ヨブの友人や祭司長や律法学者やパリサイ人の常識:ヨブやイエス様には罪や問題がある

イエスには罪がある、だから処刑にする

クリスチャンが自分たちの常識に従って正しい人々を処分する

 

参照 ヨハネ16:2

16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。

 

時代が曲がっているゆえ、クリスチャンの常識が間違えている

だから人からのことは期待してはダメ

キリスト教会の常識に従ってはダメ

パリサイ人やヨブの友人の常識がおかしい

人からの常識に振り回されてはダメ

神の民も背教のゆえに間違えている

そういう人に限って、神の名前や御言葉をもって、正しい人を間違えていると決め付ける、批難する

すべての人の声を無視するわけではないにしても、正しく主に示されたことに従っていく

神の御心によって艱難は来る、しかし、人の言葉によって揺るがされたり歩みを変えたりしてはダメ