ヨブ記6章 2012.7.22

 

6:1 ヨブは答えて言った。

6:2 ああ、私の苦悶の重さが量られ、私の災害も共にはかりにかけられたら。

6:3 それは、きっと海の砂よりも重かろう。だから、私のことばが激しかったのだ。

6:4 全能者の矢が私に刺さり、私のたましいがその毒を飲み、神の脅かしが私に備えられている。

あらゆる御言葉は終末に焦点が置かれている

ヨブ記は艱難時代の予表

ヨブ記の特徴:ヨブとヨブの友人との論争→このことは、終末における1つのポイントになっていく

終末の日の大きなポイント:クリスチャンとの関係、私たちの歩みを最後の最後まで妨害するのは信仰の友であるクリスチャン

Ex:イエス様を妨害したのは、パリサイ人や律法学者

海の砂:群集

ヨブのように苦難に会うのは群集ではなく、弟子の歩み

反対に群集は妨害になる

艱難時代の問題:困難

4節で、ヨブはあらゆる災いは神から来ていると思っている

でも、実際は違う、サタンから来ている、神の赦しのもとの試み

しかし、ヨブは分かっていない

ヨブの苦難:突然、状況が変わった、風向きが変わった

このことは、艱難時代に経験する事柄

どこの教会でも起きてくる、ただし、動揺してはダメ

なぜ、突然、風向きが変わったのか?分からないのが苦難、試練

私たちも似たようなことを経験する

突然、すべてのことが災いのように見える

正しい人をサタンが試みた災いであることを理解しておく

艱難時代も、ヨブと同じパターン

正しいがゆえに、サタンが試みる、試練に会わせるというパターン

天の御国に入るための最後の試練

キリストの民という風に、晴れて認められたから、艱難に会う

このことを理解するかどうかで艱難時代の過ごし方が変わってくる

 

6:5 野ろばは若草の上で鳴くだろうか。牛は飼葉の上でうなるだろうか。

6:6 味のない物は塩がなくて食べられようか。卵のしろみに味があろうか。

6:7 私はそんなものに触れるまい。それは私には腐った食物のようだ。

食物:教理

6節 塩で味付けられた:教理、御言葉

なぜ、突然、困難が現われてくるか?

正しいがためにサタンが試した

 

6:8 ああ、私の願いがかなえられ、私の望むものを神が与えてくださるとよいのに。

6:9 私を砕き、御手を伸ばして私を絶つことが神のおぼしめしであるなら、

6:10 私はなおも、それに慰めを得、容赦ない苦痛の中でも、こおどりして喜ぼう。私は聖なる方のことばを拒んだことがないからだ。

6:11 私にどんな力があるからといって、私は待たなければならないのか。私にどんな終わりがあるからといって、私は耐え忍ばなければならないのか。

6:12 私の力は石の力であろうか。私の肉は青銅であろうか。

6:13 私のうちには、何の助けもないではないか。すぐれた知性も私から追い散らされているではないか。

苦難がずっと続いている

力が無いのに苦難が終わるのを待たなければいけないのか?

ヨブの問題:永遠と続いて、いつ、終わるか分からない、それに耐える力が無い

それがあるがゆえに聖書は艱難時代の期間に関してくり返し語っている

Ex:(1290日、半週の間、ひと時とふた時と半時の間)→ダニエル書、(1260日、三日半の間)→黙示録

こんな風に、色々な表現を変えて言っている、そして、わざわざこのように書かれているということは、これ以上は一日も延びることは無いと言っている

そして、耐え忍ぶなら、のちに受ける恵みは大きい

 

6:14 落胆している者には、その友から友情を。さもないと、彼は全能者への恐れを捨てるだろう。

6:15 私の兄弟たちは川のように裏切った。流れている川筋の流れのように。

6:16 氷で黒ずみ、雪がその上を隠している。

6:17 炎天のころになると、それはなくなり、暑くなると、その所から消える。

6:18 隊商はその道を変え、荒地に行って、滅びる。

6:19 テマの隊商はこれを目当てとし、シェバの旅人はこれに期待をかける。

6:20 彼らはこれにたよったために恥を見、そこまで来て、はずかしめを受ける。

6:21 今、あなたがたは、そのようになった。あなたがたは恐ろしいことを見ておびえる。

6:22 私が言ったことがあるか。「私に与えよ。」とか、「あなたがたの持ち物の中から、私のために贈り物をせよ。」と。

6:23 あるいは「敵の手から私を救い出せ。横暴な者の手から私を贖え。」と。

14節 友情を:友であった人々や兄弟として歩んでいた人々が、かえりみてくれなくなった

このことが艱難時代に起こる

クリスチャンの知り合いや友情から愛情や聖徒の交わりが期待できない

そういうことを期待しない、そうすれば、ショックが少ない

15節 兄弟たちが裏切る、同じ信仰のクリスチャンが信頼できないのが艱難時代

16,17節 今まで聖霊の交わりがあったが、それが消える

18-20節 友は川のように裏切る、クリスチャンの友情を期待すると裏切られる

21,22節 贈り物をしなくても、友情を保って欲しいと思っても、それも与えられない

 

6:24 私に教えよ。そうすれば、私は黙ろう。私がどんなあやまちを犯したか、私に悟らせよ。

6:25 まっすぐなことばはなんと痛いことか。あなたがたは何を責めたてているのか。

6:26 あなたがたはことばで私を責めるつもりか。絶望した者のことばは風のようだ。

ヨブは自分で正しいと思っている、神からも正しいと認められている

正しいけれども、友達から批難されている

こういったことは、世の中の常識とは異なる、正しいがゆえに批難される

 

6:27 あなたがたはみなしごをくじ引きにし、自分の友さえ売りに出す。

売り出す:裏切られる

くじ引き:殉教と関係する、預言的な言葉

クリスチャン仲間から裏切られたり、密告されたり、売りに出されたりする

                               懸賞金に関係するのでは?

このことも艱難時代に起きてくる

イエス様も、そうだった、ユダに銀貨30枚で引き渡された

このことも、これから再現する

しかし、このようなときでも、地下教会をするなら、守られたりする可能性がある、もちろん、殉教もあり得るが・・・

そうではあっても、穏やかな時代ではない

 

6:28 今、思い切って私のほうを向いてくれ。あなたがたの顔に向かって、私は決してまやかしを言わない。

6:29 どうか、思い直してくれ。不正があってはならない。もう一度、思い返してくれ。私の正しい訴えを。

6:30 私の舌に不正があるだろうか。私の口はわざわいをわきまえないだろうか。

ヨブは、私は潔白だと言っている

不正が無いヨブが批難されるのがヨブ記の特徴

艱難時代に正しいクリスチャンが周りのクリスチャンから攻撃をされるのが艱難時代の特徴

艱難時代の終わりは太陽や地球が破壊され、正しいクリスチャンは栄華されるとき

主にあって正しい選択ができるように求めていきたい