ヨブ記8章 2012.8.5

 

8:1 シュアハ人ビルダデが答えて言った。

8:2 いつまであなたはこのようなことを語るのか。あなたが口にすることばは激しい風のようだ。

シュアハ人ビルダデが登場

シュアハ:富、ビルダデ:双子

正しいのはヨブ一人、しかし、周りや友人が、よってたかって、ヨブを批難する

御言葉に沿って、周りで批難する人は多い

このことが、艱難時代に起きてくる、そして、クリスチャンを揺るがすものとなる

ビルダデ(双子)についての事柄が黙示録にも出てくる

 

参照 黙示録13:11,12

13:11 また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。

13:12 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。

 

小羊のような二本の角:終末の二本の角のこと、キリスト教会のことを指す、キリスト教会の二つの勢力、すなわち、カソリック&プロテスタントのこと

ちなみに主は人の心を見る

 

参照 黙示録2:23

2:23 また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行ないに応じてひとりひとりに報いよう。

 

これから教会は背教に入っていく

背教化した教会から批難されるときが、いずれ来る

 

8:3 神は公義を曲げるだろうか。全能者は義を曲げるだろうか。

8:4 もし、あなたの子らが神に罪を犯し、神が彼らをそのそむきの罪の手中に送り込まれたのなら、

8:5 もし、あなたが、熱心に神に求め、全能者にあわれみを請うなら、

8:6 もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。

8:7 あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。

神は正しいがヨブは正しくないと言っている

私たちが神に罪を犯した、おきてを破ったと言われるときがくる

艱難時代に、おかしな法律を守らないことに対して批難される

 

参照 マタイ10:21

10:21 兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。

 

曲がった時代には、正しい人が訴えられたり、批難されたりする

イエス様も有罪にされ、死罪にされた

神の名によって罪ある人とされた

神の名によって、罪に任ぜられたり判決が下されたりする

時代が曲がっているがゆえに、こういうことがゆるされる

 

8:8 さあ、先代の人に尋ねよ。その先祖たちの探求したことを確かめよ。

8:9 私たちは、きのう生まれた者で、何も知らず、私たちの地上にある日は影だからである。

8:10 彼らはあなたに教え、あなたに語りかけ、その心からことばを出さないだろうか。

その先祖たちとは、アブラハム、イサク、ヤコブたちのことを指す

彼らは祝福され、持ち物が増えた

それに比べて、ヨブはどうなのか?と、言っている

先祖の祝福に比べてヨブは、ろくでもないことをしていると言っている

7節みたいなことが祝福だと言っている

艱難時代に、こういったことが必ず言われる

教会が神から祝福されていないという風に言われる

教会に人が増えれば祝福、減れば呪いというような風潮がある

でも、ヨブのときは、サタンが試したことだから、そうではないし、イエス様のときにも、そのことは実現した

一時期、男子だけで、4000人、5000人が集まった

しかし、パリサイ人や律法学者がカルトと呼ばわって、一人、二人と、どんどん減っていって、最後は12弟子だけが残った

こういったことは人間的には失敗に見える

でも、それでも、従っていくのか?

このことは、サタンを通した主への試みでもあった

イエス様はあらゆるものを失って、神に従い、帰るべき所に帰った

艱難時代、正しいクリスチャンが困難に会ったり、人が減っていったりする、このことはキリスト教会の常識とは違う

そのことを理解しないと、ひっくり返される

イエス・キリストが模範、あるべき姿

そういった揺るがしの中でも、とどまるのか?が問われる

とどまるべきところにとどまっていく

 

8:11 パピルスは沼地でなくても育つだろうか。葦は水がなくても伸びるだろうか。

8:12 これは、まだ若芽のときには刈られないのに、ほかの草に先立って枯れる。

8:13 すべて神を忘れる者の道はこのようだ。神を敬わない者の望みは消えうせる。

8:14 その確信は、くもの糸、その信頼は、くもの巣だ。

8:15 彼が自分の家に寄りかかると、家はそれに耐えきれない。これにすがりつくと、それはもちこたえない。

8:16 彼が日に当たって青々と茂り、その若枝は庭に生えいで、

8:17 その根は石くれの山にからまり、それが岩間に生えても、

8:18 神がもし、その場所からそれを取り除くと、その場所は「私はあなたを見たことがない。」と否む。

8:19 見よ。これが彼の道の喜びである。ほかのものがその地から芽を出そう。

11節の「水」は聖霊のたとえ

神の祝福によって私たちはのびていく

神から離れたから祝福が消えていくということを言っている

こういった批難が艱難時代に来る

神から離れているから祝福が来ないと

主もそうだった

戦い、戦いの連続だった

 

参照 マタイ27:46

27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

 

このように思うような試練や困難が来る

これから似たような状況が来る

サタンのシビアな惑わしが来る、しかし、その中でもとどまることが大事

 

参照 マタイ24:8-13

24:8 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

24:9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

24:10 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。

24:11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

24:12 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

 

神の前に正しくとどまるのが難しい時代が来る

しかし、13節に書かれているように、このような揺るがしの中で、最後まで耐え忍ぶ者は救われると言っている

残る人は少ないと思われる

主イエス・キリストが模範、最後まで耐え忍び、のちに栄光を受けた

艱難時代は特殊な時代であることを理解する

神の前に価値あるものをゲットするために試しがある

最後まで耐え忍ぶことにポイントがある

途中でGive upする人がいる

しかし、耐える人に恵みや祝福がある

 

8:20 見よ。神は潔白な人を退けない。悪を行なう者の手を取らない。

8:21 ついには、神は笑いをあなたの口に満たし、喜びの叫びをあなたのくちびるに満たす。

8:22 あなたを憎む者は恥を見、悪者どもの天幕は、なくなってしまう。

これはこれで、無理の無い潔白な理論

こういうような論調で艱難時代に言ってくる

自分が間違えているのかも知れない?と、思うことがある、しかし、騙されてはダメ

サタンにひっくり返されないように気をつける

訳の分からない論理に、ひっくり返されないようにする