ヨブ記10章 2012.8.19

 

10:1 私は自分のいのちをいとう。私は自分の不平をぶちまけ、私のたましいの苦しみを語ろう。

10:2 私は神に言おう。「私を罪ある者となさらないように。なぜ私と争われるかを、知らせてください。

世の終わりの艱難の型

正しいクリスチャンが憎まれる

ヨブは罪を犯していないが、不満を言っている

多くのクリスチャンがヨブと同じような姿に艱難時代になる

世の終わり、攻撃するのはサタン

私たちもヨブのように艱難に会う

ヨブは正しいのに神に罪ある者とされている

艱難時代、正しいクリスチャンが罪ある者とされる

世の終わりは、今までの常識が通用しない、異常なとき

いつまでも今までの常識を持っていてはダメ

Ex:アメリカの現状→聖書研究をしていた牧師が逮捕、罰金を科せられる

そのときにどうするのか?

罪はないけれど、艱難時代だから、そうなんだと思う→仮庵の祭りを行なう

主も、そのようなことを前もって語っている

 

参照 ルカ6:21-23

6:21 いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。

6:22 人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。

6:23 その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。

 

艱難時代は永遠に続くわけではない、やがて、笑うときが来る

あしざまに言われたり憎まれたり除名されたりする、しかし、このようなことは神の前に幸い

聖書の常識と、この世の常識は異なる

これからは正しいゆえに悪いとされる

聖書の視点に立って物事を見ていく

 

10:3 あなたが人をしいたげ、御手のわざをさげすみ、悪者のはかりごとに光を添えることは良いことでしょうか。

これから悪が、はびこるとき

Ex:同性愛者が大手を振って、正しいクリスチャンをあしざまにする

 

10:4 あなたは肉の目を持っておられるのですか。あるいは、人間が見るように、あなたも見られるのですか。

神もそういうことをゆるしておられるのか?という思いになるときが来る

 

10:5 あなたの日々は人間の日々と同じですか。あるいは、あなたの年は人の年と同じですか。

10:6 それで、あなたは私の咎を捜し、私の罪を探られるのですか。

人間の常識に従ってクリスチャンが色々と悪く言われる

そして、「神もそうなのですか?」と、そんな心境になってしまう

 

10:7 あなたは、私に罪のないことを知っておられ、だれもあなたの手から救い出せる者はいないのに。

罪が無いのに、なおかつ、責められたり逮捕されたり罰金が科せられたりする

これから、そういうときに入っていく

そのような時代が来る

 

参照 Ⅰペテロ4:12-14

4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、

4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。

4:14 もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

 

これから、特に、アメリカが、そうなっていく

キリストのために苦しみを受ける、しかし、再臨のときに喜び踊る

神の視点で物事を見られるように祈り求めていく

神の言われることが正しいので、主の言われることにとどまる

 

10:8 あなたの御手は私を形造り、造られました。それなのにあなたは私を滅ぼそうとされます。

10:9 思い出してください。あなたは私を粘土で造られました。あなたは、私をちりに帰そうとされるのですか。

10:10 あなたは私を乳のように注ぎ出し、チーズのように固め、

10:11 皮と肉とを私に着せ、骨と筋とで私を編まれたではありませんか。

10:12 あなたはいのちと恵みとを私に与え、私を顧みて私の霊を守られました。

:御言葉の乳

せっかく聖霊によってクリスチャン生活を歩み、今までクリスチャンとして成長してきたのに逮捕されたりして何のためにやってきたのですか?と、艱難時代にクリスチャンが疑問を抱く

サタンが正しいクリスチャンを試みるために神がゆるされたということを正しく理解する

サタンが正しいクリスチャンを揺るがすことが神にゆるされるのが、世の終わり、艱難時代

正しく御言葉にとどまる

 

10:13 しかし、あなたはこれらのことを御心に秘めておられました。私はこのことがあなたのうちにあるのを知っています。

10:14 もし、私が罪を犯すと、あなたは私を待ちもうけておられ、私の咎を見のがされません。

10:15 もし、私が罪ある者とされるのなら、ああ、悲しいことです。私は、正しくても、私の頭をもたげることはできません。自分の恥に飽き飽きし、私の悩みを見ていますから。

10:16 私の頭が上がると、あなたはたける獅子のように、私を駆り立て、再び私に驚くべき力をふるわれるでしょう。

10:17 あなたは私の前にあなたの新しい証人たちを立て、私に向かってあなたの怒りを増し、私をいよいよ苦しめられるでしょう。

新しい証人たちが立てられる

色々とヨブが罪を犯していると言っている

イエス様も、そうだった

 

参照 マタイ26:59-61

26:59 さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。

26:60 偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、

26:61 言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。』と言いました。」

 

今、まさにアメリカがそうなっている、特に、同性愛者がそう

クリスチャンに同性愛者のTシャツを作って欲しいと依頼し、しかし、断られて・・・そして、人権をそしったという理由で訴えた

同性愛者が証人になる→差別をした、牢屋に入れてくれと

これから、こういうことが出てくる

ヨブには神がそうしていると思っている、しかし、これは、間違い

ヨブの気持ちが分からなくもない

しかし、神から出たことではない、サタンが、そう思わせる、しかし、違うので間違えないようにする

 

10:18 なぜ、あなたは私を母の胎から出されたのですか。私が息絶えていたら、だれにも見られなかったでしょうに。

10:19 私が生まれて来なかったかのように、母の胎から墓に運び去られていたらよかったものを。

10:20 私の生きる日はいくばくもないのですか。それではやめてください。私にかまわないでください。私はわずかでも明るくなりたいのです。

10:21 私が、再び帰らぬところ、やみと死の陰の地に行く前に。

10:22 そこは暗やみのように真暗な地、死の陰があり、秩序がなく、光も暗やみのようです。」

どうして赤ちゃんとして生まれたのか?どうして、クリスチャンとして救われたのですか?

こんな苦難に会うならクリスチャンにならなかったほうが良かったというクリスチャンの嘆き

艱難時代にクリスチャンも、こういうことを言いそう

しかし、艱難時代だけを見てしまうのは違う、そのときだけを見てはいけない

神の計画や方法がある

 

参照 ヨブ記42:12,13

42:12 主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。それで彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。

42:13 また、息子七人、娘三人を持った。

 

ヨブは苦難を受けたが、後半生に神の祝福を受けた

このことを通して理解できること

  主にあって困難はゆるされていく

  神の導かれている導きが正しい

主の苦難(キリストの公生涯)を見ても分かるように、主の生涯の歩みはこの世では失うばかり、私たちもそれと似たようなもの

ヨブの前半生はこの世のこと、後半生は後の世のこと

後の世は永遠

主の歩まれた道が模範

へたにこの世に期待しない

キリストに従うなら場所を備えられる、期待するのは後の世

種は死なないと実を結ばない、一粒の麦は死ぬこと、生きたままではダメ

こういったことに徹していくときに後の世において栄光を受ける

でも、実際に多くのクリスチャンが引っかかり、徹しきれていない、ゆえに、聖書に書かれていない艱難前携挙説を受け入れている

それだけ、サタンが脅かし、揺るがしをかけるということは、後の世に受ける報いは偉大であることが理解できる

そして、神は真実なお方なので、後の世に大きな報いをくださる

20節では、生きる日が短いと、絶望的なことをヨブは言っている

ヨブは神を疑ったが、正しかったのは神

艱難時代にクリスチャンもヨブのような心情になる

たしかに、艱難は経る、しかし、後の世は、はっきりしている、逆転が来るので不信仰にならないようにする