ヨブ記12章 2012.9.2

 

12:1 そこでヨブが答えて言った。

12:2 確かにあなたがたは人だ。あなたがたが死ぬと、知恵も共に死ぬ。

12:3 私にも、あなたがたと同様に、悟りがある。私はあなたがたに劣らない。だれかこれくらいのことを知らない者があろうか。

ヨブ記は艱難時代の型

 

12:4 私は、神を呼び、神が答えてくださった者であるのに、私は自分の友の物笑いとなっている。潔白で正しい者が物笑いとなっている。

12:5 安らかだと思っている者は衰えている者をさげすみ、足のよろめく者を押し倒す。

ヨブは理不尽な目に会っている

4節では、大変なことを言っている、神が祈りに答えてくださると・・・このことは、特別なこと

ただし、残念ながら、すべてのクリスチャンの祈りが答えられるわけではない

このことは、神は人をかたより見ないお方であることに準じる

クリスチャンであっても、私たちが不忠実であったり、罪ばかり犯していると答えられない

では、あっても、歩みを正すなら、答えられる

でも、ヨブが言っているように、祈りに答えてくださり、義とされても、艱難時代には、人々の物笑いになってしまう

理不尽にも、犯罪者扱いをされてしまう

Ex:アメリカでは食事の前に祈りをしていたこどもが教師に注意されて椅子ごと、外に出されてしまった

 

12:6 荒らす者の天幕は栄え、神を怒らせる者は安らかである。神がご自分の手でそうさせる者は。

荒らす者の天幕→「天幕」は礼拝の場所

神の怒りを呼ぶような教会は益々、栄える

Ex:イエスの名で祈らない教会は人がさらに集まる

艱難時代に、このことが大規模に実現していく

艱難時代は、たしかに実現する、ゆえにその後のキリスト統治の時代も実現する

ゆえに、悲観ばかりしてはダメ

ただし、しばらくの間は、荒らす者の天幕の勢いが続く 

たとえば、同性愛が盛んになり、無神論者が正しいクリスチャンに難癖をつけたりする

ヨブもこういったことを経験したが、私たちも経験するようになる

 

12:7 しかし、獣に尋ねてみよ。それがあなたに教えるだろう。空の鳥に尋ねてみよ。それがあなたに告げるだろう。

12:8 あるいは地に話しかけよ。それがあなたに教えるだろう。海の魚もあなたに語るだろう。

12:9 これらすべてのもののうち、主の御手がこれをなさったことを、知らないものがあろうか。

12:10 すべての生き物のいのちと、すべての人間の息とは、その御手のうちにある。

12:11 口が食物の味を知るように、耳はことばを聞き分けないだろうか。

12:12 老いた者に知恵があり、年のたけた者に英知があるのか。

12:13 知恵と力とは神とともにあり、思慮と英知も神のものだ。

世の中には人よりも優る知恵や知識がある

でも、聖書は、知恵と力は神にあると言っている

知恵と英知を本当に求めるなら、神のところに行く

啓示や教えは神から来る

エレミヤ牧師の証・・・以前行っていた神学校で注解書を薦められたが買わなかった、そして、神様に「知恵と啓示を教えてください」と祈ったら、あらゆる啓示が開かれた

つまり、神の知恵を優先し、実践していくときに、神が報いてくださる

 

12:14 見よ。神が打ちこわすと、それは二度と建て直せない。人を閉じ込めると、それはあけられない。

教会のことを言っている

神が教会を壊すと言ったら、直せない

Ex:カソリックは壊されている→進化論を唱え、創世記は神話などと言っている、ゆえに、建て直すことができない

 

12:15 見よ。神が水を引き止めると、それはかれ、水を送ると、地をくつがえす。

神が聖霊を働かせないと決めたら働かない

水を送る:悪い霊が送られる

 

12:16 力とすぐれた知性とは神とともにあり、あやまって罪を犯す者も、迷わす者も、神のものだ。

あやまって罪を犯す者も、迷わす者も、神のもの(英語訳):惑わす者も惑わされる者も神のもの

世の終わりのときには、惑わす人が出てくる

Ex:悪霊のリバイバルとか艱難前携挙説とかカソリックが正しいとかが意図的に入ってくる

インチキの教えや悪霊のリバイバルも神のもの

このようなものが用意されて教会が惑わされるのも神から来たもの

このことは、教会、クリスチャンの背信のゆえにゆるされた

神の御手の中で、惑わされる、そして、惑わされる人は自業自得

Ex:12弟子(ユダを除いて)は、惑わされなかった

しかし、律法学者やパリサイ人は自分の罪のゆえに惑わしに入った、そして、さばきに入っていった

神のゆるしの中で惑わしに入る

それぞれの自業自得で惑わしに入る

罪、プライド、隠れた偽善によって、変なものをつかんでしまう

惑わされるのも、神の御手なので、神を恐れる

惑わされるか否か?については、行いによって区分される

ただし、惑わされていても、神が目を開かれるときに、霊的に正しいことが見えるようになる

 

12:17 神は議官たちをはだしで連れて行き、さばきつかさたちを愚かにし、

12:18 王たちの帯を解き、その腰に腰布を巻きつけ、

12:19 祭司たちをはだしで連れて行き、勢力ある者を滅ぼす。

17:さばきつかさたちを愚かにし→これからアメリカを中心に偽善的な教師が愚かなことをつかむ

Ex:同性愛が正しい

このことも神のゆるしの中、神から出たこと

 

12:20 神は信頼されている者の弁舌を取り除き、長老たちの分別を取り去り、

とんでもないことが起きる

教会の指導者は分別が無くなる

Ex:同性愛を容認

 

12:21 君主たちをさげすみ、力ある者たちの腰帯を解き、

12:22 やみの中から秘密をあらわし、暗黒を光に引き出す。

12:23 神は国々を富ませ、また、これを滅ぼし、国々を広げ、また、これを連れ去り、

12:24 この国の民のかしらたちの悟りを取り除き、彼らを道のない荒地にさまよわせる。

やみの中:イエスを否定する

神がゆるして、起きている

アメリカは自分の行いにふさわしい実を見る

隠れた罪、問題、スキャンダルがあらわになり、実質にふさわしいようなものになり、実現していく

艱難時代に教会の実質があらわされていく

神は、その人の心の隠れたところをあらわにされる

 

参照 へブル人への手紙4:12

4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

 

ゆえに、恐れ、誠実をもって神に仕えていく、そして、最後は正しさを証明してくださる

 

12:25 彼らは光のない所、やみに手さぐりする。神は彼らを酔いどれのように、よろけさせる。

終末の教会は変な霊に惑わされ、戦いに入っていく

酔いどれ:あらゆる惑わしの霊が働く