ヨブ記16章 2012.9.30

 

16:1 ヨブは答えて言った。

16:2 そのようなことを、私は何度も聞いた。あなたがたはみな、煩わしい慰め手だ。

16:3 むなしいことばに終わりがあろうか。あなたは何に興奮して答えるのか。

16:4 私もまた、あなたがたのように語ることができる。もし、あなたがたが私の立場にあったなら、私はことばを連ねてあなたがたを攻撃し、あなたがたに向かって、頭を振ったことだろう。

16:5 私は口先だけであなたがたを強くし、私のくちびるでの慰めをやめなかったことだろう。

友達の言葉が空しいと言っている

他の的外れなクリスチャンの意見は、あてにしない

ヨブの立場に立つ

 

16:6 たとい、私が語っても、私の痛みは押えられない。たとい、私が忍んでも、どれだけ私からそれが去るだろう。

16:7 まことに神は今、私を疲れさせた。あなたは私の仲間の者をことごとく荒らされました。

荒らされました:荒らす憎むべき者

参照 マタイ24:15

24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

ヨブ記に書かれていることは艱難時代に実現する

教会が「荒らす憎むべき者」で荒廃してしまう、大事なものが、すべてダメになる

Ex:キリストが贖い主とかの教理が、根本的に覆されてしまう

そして、ダニエル書には、聖徒に戦いをいどんで打ち勝つことが書かれている

参照 ダニエル7:21

7:21 私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。

また、聖所の基が、覆されることについても言われている

参照 ダニエル8:11

8:11 軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。

そして、終末のことは宮の崩壊から語られている

参照 マタイ24:1,2

24:1 イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。

24:2 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

多くのクリスチャンは、たとえを理解しないので、第三神殿が崩壊してからと、的外れなことを言っている

「宮の崩壊」とは、教会の方向に関して言っている、そして、今、まさに起きつつある

アメリカのキリスト教の土台が、ひっくり返されようとしている

アメリカは全世界を支配しているので、このことは全世界に及ぶ

参照 黙示録3:10

3:10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

7節に書かれているように、そういう日が来る、そして、イエス様のとき、すなわち、2000年以上前から、このことは見えていた

 

16:8 あなたは私を、つかみました。私のやせ衰えた姿が、証人となり、私に向かって立ち、面と向かって答えをします。

16:9 神は怒って私を引き裂き、私を攻めたて、私に向かって歯ぎしりした。私の敵は私に向かって目をぎらつかせる。

16:10 彼らは私に向かって口を大きくあけ、そしって私の頬を打ち、相集まって私を攻める。

16:11 神は私を小僧っ子に渡し、悪者の手に投げ込まれる。

16:12 私は安らかな身であったが、神は私を打ち砕き、私の首をつかまえて粉々にし、私を立ててご自分の的とされた。

ヨブには、神様が自分のことを怒っていると、そのようにしか見えなかった

このことは、艱難期も同じ

サタンが耳元で「神が怒っている」と、そんな風に言ってくる

クリスチャンに対しての迫害がゆるされていく、非難の中に入っていく

Ex:アメリカで起きていること→トラクトを配っただけで、逮捕

 

16:13 その射手たちは私を巡り囲み、神は私の内臓を容赦なく射抜き、私の胆汁を地に流した。

御言葉の論争に関連

御言葉に沿って、論争をいどんできたり、非難されたりする

そういう日が来る

ダビデがサウルに追いかけられたような艱難のときが来る

 

16:14 神は私を打ち破って、破れに破れを加え、勇士のように私に向かって馳せかかる。

16:15 私は荒布をはだに縫いつけ、私の角をちりの中に突き刺した。

16:16 私の顔は泣いて赤くなり、私のまぶたには死の陰がある。

16:17 しかし、私の手には暴虐がなく、私の祈りはきよい。

17節に書かれているように、「罪がある」と、自問自答する必要はない、なぜかと言うと、世の中やキリスト教会がおかしいから

 

16:18 地よ。私の血をおおうな。私の叫びに休み場所を与えるな。

:殉教に関係する

艱難時代、殉教もありえる

 

16:19 今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。

私を保証してくださる方は高い所におられます:(KJV)私の記録は天にあります

今でも天には、私の証人がおられます:この地上に証人はいない

Ex:キリストのときもそうだった、証人はいたが、死刑にするための証人ばかりであった

正しい証人はいない状態、たしかに、ペテロをはじめとする弟子たちは正しい証人だったが、自分たちも殺されてしまうので、出て行くことができなかった

私たちも、艱難時代に訴えられたから、同じようなものと考える

地上の裁判で勝つことは期待しない、これから、正しいクリスチャンは連戦連敗、イエス様でさえ、そうだった

地上で、罪人のままで死んでも心配しなくてよい、真の証人は神御自身、正しいことは神様が証明してくださる→むしろ、永遠のさばきを恐れる!!

どのように正しい歩みをしたか?ということについての記録は、天にある

地上には、罪に陥れようとする変な画策があるかもしれない、しかし、この世に期待してはダメ

この世の裁判ではなく、神からのことを望んでいきたい

教会、獣、サタンは、いずれ、さばかれる

太陽、地球が滅ぼされるときに、正しくない人たちは、すべて滅ぼされる

たしかに、この世において、私たちが正しく認められることは無い

イエス様もパウロも有罪となって亡くなったので、私たちも、それを超えることはできない

 

16:20 私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。

あざけられる

 

16:21 その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。

イエス様が、とりなしてくださる

 

16:22 数年もたてば、私は帰らぬ旅路につくからです。

艱難時代が終わったら、正しいクリスチャンは栄化される

この世のことは、すべて過ぎ去る

ペテロも万物の終わりが近づいたと言っている

参照 Ⅰペテロ4:7

4:7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。

聖書的には、終わりが近いといっている

だから・・・壊す建物をリフォームしても意味が無いのと同じく、いずれ、滅ぼされるこの世を用いすぎないこと!!

この世に拘泥したり、感情移入を過剰にしたりすることのないように気をつける

あらゆることは成就しているので、太陽や地球が滅ぼされることも、いずれ、成就する

しかし、なすべき警告の働きはきちんとして、歩むべきことを歩んでいく