ヨブ記20章 2012.10.28

 

20:1 そこでナアマ人ツォファルは答えて言った。

20:2 それで、いらだつ思いが私に答えを促し、そのため、私は心あせる。

20:3 私の侮辱となる訓戒を聞いて、私の悟りの霊が私に答えさせる。

ナアマ人:きもちの良さ

ツォファル:すずめ

キリスト教の良い面しか受け入れない

艱難時代に、クリスチャンからの同情や憐れみは期待できない、それでも、正しく主にしたがっていくか?

悪く言われて当然と考える

 

20:4 あなたはこのことを知っているはずだ。昔から、地の上に人が置かれてから、

20:5 悪者の喜びは短く、神を敬わない者の楽しみはつかのまだ。

20:6 たとい彼の高ぶりが天まで上り、その頭が雲まで及んでも、

20:7 彼は自分の糞のようにとこしえに滅びる。彼を見たことのある者たちは言う。彼はどこにいるのかと。

ツォファルも、他の友人のようにヨブを非難している、ヨブは悪者だと、じつは、神を敬わなかったから、消えてしまったと

こういったことを艱難時代に言われる

主もおなじだった、ゆえに、キリストの歩みに準じていく

参照 へブル12:2

12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

キリストを十字架に付け、迫害したりした人は、イエスが救い主ではなく、悪者だった、インチキだったと心から思って、十字架に付けろ!と、熱狂的に叫んだ

こんなふうに、艱難時代に正しいクリスチャンも、ほんとうに悪者だと思われる、ゆえに、ある意味誤解の中を歩んでいくことになる

それでもしたがっていくのか?が問われる、このことは、神の前のより分けに通じる、揺るがされても、なおかつ残るのか?が、問われる

参照 イザヤ28:16

28:16 だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。

試みを経ても、なおかつ残るのが尊い

主は、どこかで、挽回してくださる

苦難があったとしても、神のことばに忠実に残るかどうか?

それでも正しく歩むなら、良い結果が出る

 

20:8 彼は夢のように飛び去り、だれにも彼は見つけられない。彼は夜の幻のように追い払われ、

20:9 彼を見慣れていた目は再び彼を見ず、彼のいた所はもはや彼を認めない。

教会で、すばらしいクリスチャンと言われていても、そのときになったら、異端だと思われる

こういう面に関しても、より分けや試しがくる

そして、どうするのか?という主からの問いかけがくる

正しい選択が大事

 

20:10 彼の子らは貧民たちにあわれみを請い、彼の手は自分の財産を取り戻さなければならない。

財産を取り戻さなければならない(KJV):回復を取り戻す、財産を回復しなければいけない

終末の日に、正しく歩む人は回復する、エズラやネヘミヤのときのように、正しい礼拝が回復する

終末、多くの教会が背教化する

公の教会の教理が崩壊していく

しかし、一方、エズラで言われている回復も地下教会の中で、実現されていく

そのことも、一面、見なければいけない

終末のインチキ教理が回復される、その他のおかしな教理も回復される

 

20:11 彼の骨が若さに満ちても、それも彼とともにちりに横たわる。

20:12 たとい悪が彼の口に甘く、彼がそれを舌の裏に隠しても、

20:13 あるいは、彼がこれを惜しんで、捨てず、その口の中にとどめていても、

20:14 彼の食べた物は、彼の腹の中で変わり、彼の中でコブラの毒となる。

20:15 彼は富をのみこんでも、またこれを吐き出す。神がこれを彼の腹から追い払われる。

20:16 彼はコブラの毒を吸い、まむしの舌が彼を殺す。

20:17 彼は川を見ることがない。すなわち、蜜と凝乳の流れる川を見ることがない。

たとえの意味合いを見ていく

コブラ、まむし:教理のこと

参照 マタイ23:33、創世記3:1-14

23:33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。

 

3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」

3:2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。

3:3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」

3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。

3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

3:8 そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。

3:9 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」

3:10 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」

3:11 すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」

3:12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」

3:13 そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

3:14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。

「蛇」とは、つまり、偽教師のこと

終末、艱難時代に避けて通れないことは、蛇やまむしの人たちとの教理的な戦い

イエスさまも、蛇やまむしの末であるパリサイ人や律法学者とは、論争につぐ論争だった、そして、彼らは、なんとかしてイエスさまのことば尻をつかもうとチャンスを狙っていた

参照 マタイ22:17-22

22:17 それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」

22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。

22:19 納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。

22:20 そこで彼らに言われた。「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」

22:21 彼らは、「カイザルのです。」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」

22:22 彼らは、これを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。

艱難時代、正しいクリスチャンもイエスさまと同じような目に会う

しかし、教理に関して勝利を得ることができる、大事なことを主がおしえてくださる

Ex:終末の獣の国がどこか?とか、反キリストがどのような人物であるか?など

主がおこなった方法に準じる、イエスさまがそうであったように、間違いを指摘する、そして、そのことをとおして真理を見る人がいる

いままで通り、正しい教理をかたっていく

 

20:18 彼は骨折って得たものを取り戻しても、それをのみこめない。商いで得た富によっても楽しめない。

20:19 彼が寄るべのない者を踏みにじって見捨て、自分で建てなかった家をかすめたからだ。

20:20 彼の腹は足ることを知らないので、欲しがっている物は何一つ、彼はのがさない。

20:21 彼のむさぼりからのがれる物は一つもない。だから、彼の繁栄は続かない。

20:22 満ち足りているときに、彼は貧乏になって苦しみ、苦しむ者の手がことごとく彼に押し寄せる。

この世に着いたクリスチャンは見捨てる

正しいクリスチャンは貧乏になる、しかし、パウロがそうだったように、霊的には富んでいる

参照 コリント6:10

6:10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。

 

20:23 彼が腹を満たそうとすると、神はその燃える怒りを彼の上に送り、憤りを彼の上に降らす。

20:24 彼は鉄の武器を免れても、青銅の弓が彼を射通す。

20:25 彼がそれを引き抜くと、それは彼の背中から出る。きらめく矢じりが腹から出て、恐れが彼を襲う。

20:26 すべてのやみが彼の宝として隠され、人が吹きおこしたのではない火が彼を焼き尽くし、彼の天幕に生き残っているものをもそこなってしまう。

20:27 天は彼の罪をあらわし、地は彼に逆らって立つ。

20:28 彼の家の作物はさらわれ、御怒りの日に消えうせる。

20:29 これが悪者の、神からの分け前、神によって定められた彼の相続財産である。

(24,25)弓とか矢じり:色々と攻撃がくる

(27) 天は彼の罪をあらわし、:「天」とか「地」は、教会のたとえ、そして、教会が私たちの罪を告白する、つまり、おかしいのは教会

しかし、カソリックは、唯一正しいのは教会だと言っている、しかし、このことは聖書とは逆のおしえ

実際は、キリストのことばのみが唯一動かないもの

教会(天地)は変わる

教会は移り変わり、変化する、だから、キリストを十字架に付けた

教会や集会が変わる

教会が反対に立ったからといって、おどろくことはない

しかりはしかり、否は否とする

ゆえに、色々と悪く言われる、教会には、ヘタな期待をしない

多くのクリスチャンにとって、教会は絶対、しかし、正しく歩んでいるなら配する必要は無い

主の言われていることを正しくおこなっていきたい