ヨブ記25章 2012.12.2

 

25:1 シュアハ人ビルダデが答えて言った。

ヨブの友人→悪役、艱難時代に正しいクリスチャンを間違えて非難する型

ビルダデ:混乱した愛

神のことを愛している、しかし混乱している、ゆえに的外れ

艱難時代に、こういう類の非難がくる

参照 ヨハネ16:2

16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。

神に仕えていると思って正しい人を殺す→なぜ、こういうことが起きるのか?

クリスチャンであっても、不従順に歩むときに、いいようにサタンに用いられてしまう

サタンは場合によっては神への熱心を用いる

Ex:イスカリオテのユダは自分の正義感があったのでは?しかし不従順だから悪く用いられた

不従順なときにコロッとサタンにやられるので気を付ける

それぞれの人が、それぞれの道を選んでいる

忠実に従う人は真実を見る

クリスチャンでありながら、罪に加担してしまうことがある

不従順に歩むときに、みごとに悪い霊に用いられる、このことに恐れを持つ!!

しかし従順に歩むときに、聖霊に導かれる

 

25:2 主権と恐れとは神のもの。神はその高き所で平和をつくる。

「主権」(KJV):支配

ビルダデは、「神は支配する者」だと言っている

しかし神の方法は、かなり自由、それぞれの選択に任せている、しかし結果は刈り取る、それぞれの自由意志を尊重される

神は、強制はしない、しかし語りかけを与える方

自分の意志で従っていくときに真理を見るようになる

神は自由意志を尊重、しかし結果はついてくる、ゆえに正しくおこなっていきたい

 

25:3 その軍勢の数ほどのものがほかにあろうか。その光に照らされないものがだれかいようか。

25:4 人はどうして神の前に正しくありえようか。女から生まれた者が、どうしてきよくありえようか。

「神の前に絶対に正しくなれない」とビルダデは言っている

4節の「女」は創世記の「エバ」のことを指している

「罪を犯した女性から生まれたから、皆、正しくない」とビルダデは言っている

たしかに私たちには原罪がある、ゆえに一見マイナスばかりにも見える

しかし本当に聖書を読むと、そうではない

聖書に「最初のアダムと最後のアダム」について書いている箇所がある

参照 Ⅰコリント15:21,22,4549

15:21 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。

15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。

15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。

15:46 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。

15:47 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。

15:48 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。

15:49 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。

45節の「最後のアダム」とはキリストのことを指す、すなわちキリストによって義に満ち溢れるということを言われている

贖いを経験することでキリストに結び付き、それ以上の恵みを受けるようになる

キリストの恵みはプラスマイナス「0(ゼロ)」ではない

罪を犯しても、キリストの力を受けることによってプラスに転じていく

失敗以上にキリストの贖いによって恵みに入っていく、普通以上に恵みに入っていく

 

25:5 ああ、神の目には月さえも輝きがなく、星もきよくない。

「月」「星」:器のたとえ

「どんなクリスチャンもきよくない」とビルダデは言っている

しかし、このことも混乱している

 

25:6 ましてうじである人間、虫けらの人の子はなおさらである。

このことも混乱している

参照 イザヤ書41:14

41:14 恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。――主の御告げ。――あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。

マイナスはある、しかし神は買い取って贖って下さる方、そしてそれが神の方法、ゆえに一面だけを見ないこと!!

私たちは惑わしに入る、しかし神さまが贖って買い取ってくださる、そして神の贖いの御手によって、見えないものをだんだんと見ていくようになる

敵の惑わしによって見えないことがある、しかしキリストが贖ってくださって真理を見させてくださる

ビルダデは一生懸命神に仕えようとしている、しかし混乱しているので的外れになってしまっている

このような類の非難が出てくる、しかし惑わされてはダメ

ビルダデは一面しか見ていない、贖いを見ていない

こんな風に一見、正しい教えのようなものがある、しかし霊の目で正しく見ていきたい