ヨブ記27章 2012.12.16

 

27:1 ヨブはまた、自分の格言を取り上げて言った。

27:2 私の権利を取り去った神、私のたましいを苦しめた全能者をさして誓う。

「私のたましいを苦しめた全能者をさして誓う」:ヨブにとっては、「自分を苦しめる神」にしか見えない

これは艱難時代によぎる思い、艱難時代はまさにそんな風に思うとき

しかし実際には、サタンがヨブに意地悪をしている

 

27:3 私の息が私のうちにあり、神の霊が私の鼻にあるかぎり、

27:4 私のくちびるは不正を言わず、私の舌は決して欺きを告げない。

27:5 あなたがたを義と認めることは、私には絶対にできない。私は息絶えるまで、自分の潔白を離さない。

5「あなたがたを義と認めることは、私には絶対にできない」:「あなたがた」とは、ヨブのところに来ている友人のこと、彼らは誰もヨブに味方をしていない

同胞のクリスチャンからの非難

ヨブは最後まで友人を「義」と認めなかった、このことは正しい

惑わされたクリスチャンに屈してはダメ!

艱難時代、ヨブを見習う、なぜなら神が最後に「ヨブは正しい」ということを語っているから

 

27:6 私は自分の義を堅く保って、手放さない。私の良心は生涯私を責めはしない。

このあたりが正しい

サタンや惑わされたクリスチャンが色々と言うかも知れない、しかし正しくとどまる

 

27:7 私の敵は不正をする者のようになれ。私に立ち向かう者はよこしまな者のようになれ。

正しい者を非難する人たちは、いくら神を信じていると言っても実際は不正をしている、ゆえに非難する

色々と非難されたときに・・・「正しくないから非難する」ということをとらえておく

神に忠実な人は妨害しない、逆に助けている Ex:ペテロ、ヨハネ

妨害者=不正をする者 Ex:パリサイ人、律法学者

人の目と神の目は違う

自分の不正のために神の敵となる

正しい人を非難したり敵となる人は、「不正」をする人

おかしな人にかぎって、正しい人を妨害する

だからあまり深刻に考えないほうが良い

 

27:8 神を敬わない者の望みはどうなるであろうか。神が彼を断ち切り、そのいのちを取り去るときは。

「神を敬わない」(KJV):偽善者

「神が彼を断ち切り、そのいのちを取り去るときは」(KJV):彼が魂を得たあと、神がそれを取り去るときは

終末の日→その人が本当にどうなのか?を神があからさまにするとき

イエスさまのときも、偽善者がふるいにかけられたときだった→より分けられた

しかも神のより分けは完全

世の終わりも、それが再現する

偽善者の問題点:一旦は神を信じて救われる、しかし神にもう一度取られる、結果、「ゲヘナ」に直行

世の終わりは、せっかく得た永遠の命を多くのクリスチャンが失うとき

Ex:エサウは長子の特権を失った

私たちに歩みによって、得るものが違ってくる

神の前に裏表なくきちんと歩んでいるかどうか?

 

27:9 苦しみが彼にふりかかるとき、神は彼の叫びを聞かれるであろうか。

27:10 彼は全能者を彼の喜びとするだろうか。どんな時にも神を呼ぶだろうか。

27:11 私は神の御手についてあなたがたに教えよう。全能者のもとにあるものを私は隠すまい。

この箇所でヨブは、「神が偽善的な人どのように扱うか?について語るぞ!」と、言っている

 

27:12 ああ、あなたがたはみな、それを見たのに、なぜ、あなたがたは全くむなしいことを言うのか。

神がクリスチャンに真理を見せているのに、むなしいことや頓珍漢なことを言っている

 

27:13 悪者の神からの分け前、横暴な者が全能者から受け取る相続財産は次のとおりだ。

27:14 たとい、彼の子どもたちがふえても、剣にかかる。その子孫はパンに飽き足ることはない。

神の前に区分がある

いくら信者が増えたとしても、偽善的な歩みをしていると、おかしな教理にやられる

人前だけの歩みをしているということになってしまう

偽善者は仮面を被り、別人のようになる

正しい御言葉、真の御言葉が来ない

Ex:地獄は無いとかという訳の分からない教理をつかんでしまう

 

27:15 その生き残った者も死んで葬られ、そのやもめらは泣きもしない。

「死んで葬られ」:永遠の命を得ない

教会に行っていても、とんでもないことになってしまう

 

27:16 彼が銀をちりのように積み上げ、衣装を土のようにたくわえても、

27:17 彼がたくわえたものは、正しい者がこれを着、銀は、罪のない者が分け取る。

16「彼が銀をちりのように積み上げ、衣装を土のようにたくわえても」:信仰を持っていても、頓珍漢な信仰になっていて、神の前に意味の無い信仰になってしまう

 

27:18 彼はしみが建てるような家を建てる。それは番人が作る仮小屋のようだ。

27:19 富む者が寝ると、もうそれきりだ。彼が目を開くと、もうそれはない。

(教会)を建てても、もうない→教会を一生懸命建てても、偽善だと崩壊してしまう

しかし真実に仕えるときに、必要な啓示が神から与えられる

 

27:20 恐怖が洪水のように彼を襲い、夜にはつむじ風が彼を運び去る。

27:21 東風が彼を吹き上げると、彼は去り、彼をそのいる所から吹き払う。

27:22 神は容赦なくそれを彼に投げつけ、彼は御手からなんとかしてのがれようとする。

27:23 人々は彼に向かって手をたたき、彼をあざけって、そのいる所から追い出す。

「東風」:霊的なこと

世の終わりの一つの特徴:霊的な惑わし

Ex:映画「パッション」→「パッション」(passion)とは、「熱情」とか「激怒」という意味、このような感情は霊からきたもの、すなわち変な霊に惑わされてキリストを十字架に付けた

このことは、世の終わりに再現

クリスチャンがおかしな霊に引っ張られて、正しいクリスチャンを迫害したり死に至らせたりする

しかし、神に導かれていくときに真理を見る

すべてはその人の歩みによって変わってくる

神の前に忠実か?それとも人前だけ良くするのか?

神の前に忠実に歩めるように祈り求めていきたい、そのときに正しいことが示される

 

27章のポイント

偽善者が終末により分けられる、そして永遠の命を失う

今、どのように歩むか?が、とても大事

パリサイ人や律法学者と同じ轍を踏まないようにくれぐれも気を付ける!!