ヨブ記31章 2013.1.13

 

31:1 私は自分の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留めよう。

31:2 神が上から分けてくださる分け前は何か。全能者が高い所から下さる相続財産は何か。

31:3 不正をする者にはわざわいが、不法を行なう者には災難が来るのではないか。

クリスチャン人生→歩みの中で報いを受けるのでおこないを正していきたい

3節後半(KJV):不正の働き人には不思議な罰が下る

思いもかけない罰が、不正な働き人に下る

御言葉に不忠実だと嫌なことがくる

 

31:4 神は私の道を見られないのだろうか。私の歩みをことごとく数えられないのだろうか。

31:5 もし私がうそとともに歩み、この足が欺きに急いだのなら、

31:6 正しいはかりで私を量るがよい。そうすれば神に私の潔白がわかるだろう。

神さまは私たちを見られる

 

31:7 もし、私の歩みが道からそれ、私の心が自分の目に従って歩み、私の手によごれがついていたなら、

31:8 私が種を蒔いて他の人が食べるがよい。私の作物は根こぎにされるがよい。

「自分の目に従って歩み」:見えるところではなく、信仰によって歩む

神の言葉と、目に見えるところと違うことが往々にしてある

未信者だけでなく、クリスチャンでも目に従って歩むことがある

自分の目、判断、考えに従う人は間違える、別のものをつかんだり、真理をないがしろにしたりする

でも神の言葉を優先していくなら、真理が見える

神の言葉を真実としていくときに見える

 

31:9 もしも、私の心が女に惑わされ、隣人の門で待ち伏せしたことがあったなら、

31:10 私の妻が他人のために粉をひいてもよい。また、他人が彼女と寝てもよい。

31:11 これは恥ずべき行ない、裁判にかけて罰せられる罪だ。

31:12 実に、それは滅びの淵まで焼き尽くす火だ。私の収穫をことごとく根こぎにする。

9(第一義的):異性問題で惑わされる

たとえとしての意味合いがある

:教会

教会選びを失敗すると滅びに入ってしまう

あらゆる働きが無駄になってしまう

変なものをつかむと変なことになる

教会を選ばなければいけない

 

31:13 私のしもべや、はしためが、私と争ったとき、もし、私が彼らの言い分をないがしろにしたことがあるなら、

31:14 神が立たれるとき、私はどうすればよいか。また、神がお調べになるとき、何と答えたらよいか。

31:15 私を胎内で造られた方は、彼らをも造られたのではないか。私たちを母の胎内に形造られた方は、ただひとりではないか。

31:16 もし、私が寄るべのない者の望みを退け、やもめの目を衰え果てさせ、

31:17 私ひとりだけで食物を食べて、みなしごにそれを食べさせなかったのなら、

31:18 ――私の若いときから、彼は私を父のようにして育ち、私は、母の胎にいたときから、彼女を導いた。

やもめ、みなしご→地上に夫がいない、キリストのみを頼りにしている、天の父を父としている人

こういう人をないがしろにしてはダメ

 

31:19 もし、私が、着る物がなくて死にかかっている者や、身をおおう物を持っていない貧しい者を見たとき、

31:20 彼の腰が私にあいさつをせず、私の子羊の毛でそれが暖められなかったのなら、

31:21 あるいは、私を助ける者が門のところにいるのを見ながら、みなしごに向かって私の手を振り上げたことがあるなら、

31:22 私の肩の骨が肩から落ち、私の腕がつけ根から折れてもよい。

31:23 神からのわざわいは私をおびえさせ、その威厳のゆえに、私は何もすることができないからだ。

こういうことをしてはいけない

貧しい人に対応していかなければいけない

この世の父がいない人に対して奉仕する

 

31:24 もし、私が金をおのれの頼みとし、黄金に向かって、私の拠り頼むもの、と言ったことがあるなら、

:信仰

器を頼みとするのはダメ

 

31:25 あるいは、私の富が多いので喜び、私の手が多くの物を得たので、喜んだことがあるなら、

31:26 あるいは、輝く日の光を見、照りながら動く月を見て、

31:27 私の心がひそかに惑わされ、手をもって口づけを投げかけたことがあるなら、

日、月→器崇拝

月、太陽→大きな器

 

31:28 これもまた裁判にかけて罰せられる罪だ。私が上なる神を否んだためだ。

器崇拝→神を否むこと、両立はしない

器をみていくときに、変な方向へ引っ張られていく

器には間違いがある

 

31:29 あるいは、私を憎む者の衰えているのを私が見て喜び、彼にわざわいが下ったとき、喜び勇んだことがあろうか。

31:30 私は自分の口に罪を犯させなかった。のろって彼のいのちを求めようともしなかった。

31:31 いったい、私の天幕の人々で、「だれか、彼の肉に飽き足りなかった者はいないか。」と言わなかったことがあろうか。

31:32 異国人は外で夜を過ごさず、私は戸口を通りに向けてあけている。

31:33 あるいは、私がアダムのように、自分のそむきの罪をおおい隠し、自分の咎を胸の中に秘めたことがあろうか。

31:34 私が群集の騒ぎにおびえ、一族のさげすみを恐れて黙り、門を出なかったことがあろうか。

31:35 だれか私に聞いてくれる者はないものか。見よ。私を確認してくださる方、全能者が私に答えてくださる。私を訴える者が書いた告訴状があれば、

31:36 私はそれを肩に負い、冠のように、それをこの身に結びつけ、

31:37 私の歩みの数をこの方に告げ、君主のようにして近づきたい。

31:38 もし、私の土地が私に向かって叫び、そのうねが共に泣くことがあるなら、

31:39 あるいは、私が金を払わないでその産物を食べ、その持ち主のいのちを失わせたことがあるなら、

31:40 小麦の代わりにいばらが生え、大麦の代わりに雑草がはびこるように。ヨブのことばは終わった。

ヨブはそのように罪を犯さなかった

正しかった、しかしサタンが試みた

艱難時代、正しいクリスチャンがサタンに試される

でも、守ってくださることも書いてある

参照 黙示録3:8,10

3:8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

3:10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

主の言葉に忠実に歩むなら守られる

少ししか力が無くても、御言葉を守るなら守られる