ヨブ記32章 2013.1.20

 

32:1 この三人の者はヨブに答えるのをやめた。それはヨブが自分は正しいと思っていたからである。

32:2 すると、ラム族のブズ人、バラクエルの子エリフが怒りを燃やした。彼がヨブに向かって怒りを燃やしたのは、ヨブが神よりもむしろ自分自身を義としたからである。

32:3 彼はまた、その三人の友に向かっても怒りを燃やした。彼らがヨブを罪ある者としながら、言い返すことができなかったからである。

エリフは、突然消える

ヨブ記の最後(4279)を読むと、エリフの名が出てこない

ここではヨブが3人の友人のためにとりなして罪が赦されたことについて書かれている

しかし、エリフの名が入っていない、ゆえに彼は赦されなかった可能性がある

エリフも3人の友人と同様、ヨブの罪を強く指摘している

参照 ヨブ記34:79

34:7 ヨブのような人がほかにあろうか。彼はあざけりを水のようにのみ、

34:8 不法を行なう者どもとよく交わり、悪人たちとともに歩んだ。

34:9 彼は言った。「神と親しんでも、それは人の役に立たない。」

エリフは、ヨブがしゃべっていないことを言っている

ヨブは3人の友人には言い返している、しかし、エリフに対しては何も言い返していない、代わりに神自身が答えている

特に艱難時代に、クリスチャンの友人や人からの評価は期待できない

人の理解は表面しか見ずに、面と向かって非難しに来る

艱難時代はどんなに正しくても、言葉を変え、品を変え、方法を変えて、正しいクリスチャンを非難する、そしてエリフのように行き過ぎるという人が出てくる

参照 ヨハネ16:2

16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。

エリフも「神の名」において、ヨブを非難している

艱難時代、そのことと同じパターンが来る

「神の名」において、殉教に追い込む人がいる

間違えた人の中で、赦される人と、赦されない人がいる

神のしもべが苦難を受ける

行き過ぎた人や悔い改めない人は危ない

ヨブの友人で「2種類」の結末がある

艱難時代、神が弁明してくださる

訴えたり、死罪に定める人がいる、その中で赦される人とそうでない人がいる

神が、いざというとき、弁明してくださる

不当な目に会っても、必ずしもすべて答えなくて良い

2「ヨブが神よりもむしろ自分自身を義とした」:これは良くない

40章のはじめを読むと理解できるように、人間は限られた時間しかいられない

人間には限界があるということを言われている、この論点を見ておく

人は自分の範囲しか分からない、神の深い配慮が分からない

人の知識は限られている

参照 ヨブ記38:1,2

38:1 主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。

38:2 知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。

すべては見ていない

知識や将来は、神にある

 

32:4 エリフはヨブに語りかけようと待っていた。彼らが自分よりも年長だったからである。

32:5 しかし、エリフは三人の者の口に答えがないのを見て、怒りを燃やした。

32:6 ブズ人、バラクエルの子エリフは答えて言った。私は若く、あなたがたは年寄りだ。だから、わきに控えて、遠慮し、あなたがたに私の意見を述べなかった。

32:7 私は思った。「日を重ねた者が語り、年の多い者が知恵を教える。」と。

32:8 しかし、人の中には確かに霊がある。全能者の息が人に悟りを与える。

32:9 年長者が知恵深いわけではない。老人が道理をわきまえるわけでもない。

8節で言われているのは正しい

参照 ヨハネ6:63、Ⅰコリント2:14,15

6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。

2:15 御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。

「油」が悟りを与える

神の霊が知識や悟りを与える

Ex:たとえの意味合いの解釈をする

 

32:10 だから、私は言う。「私の言うことを聞いてくれ。私も、また私の意見を述べよう。」

32:11 今まで私はあなたがたの言うことに期待し、あなたがたの言い分を調べ上げるまで、あなたがたの意見に耳を傾けていた。

32:12 私はあなたがたに注意を払っていたのに、ヨブに罪を認めさせる者はなく、あなたがたのうちで彼のことばに答える者もいない。

32:13 だが、おそらくあなたがたは言おう。「私たちは知恵を見いだした。人ではなく、神が彼を吹き払った。」と。

32:14 彼はまだ私に向かってことばを並べたててはいない。私はあなたがたのような言い方では彼に答えまい。

32:15 彼らはあきれて、もう答えない。彼らの言うことばもなくなった。

32:16 彼らが語らず、そのままじっと答えないからといって、私は待っていなければならないだろうか。

32:17 私は私で自分の言い分を言い返し、私の意見を述べてみよう。

32:18 私にはことばがあふれており、一つの霊が私を圧迫している。私の腹を。

32:19 今、私の腹は抜け口のないぶどう酒のようだ。新しいぶどう酒の皮袋のように、今にも張り裂けようとしている。

32:20 私は語って、気分を晴らしたい。くちびるを開いて答えたい。

エリフは霊に圧迫されて語っている→神からの霊ではない

本当に神から来たものかどうか?

Ex:映画「パッション」

私たちは霊に導かれやすく、影響されやすい

悪い霊に導かれると、滅びに入る

よくよく、霊に気を付けていきたい

「木のよしあしはその実によって知られる」と言われているように、「御霊の実」にポイントがある

霊はたしかに人を動かし、場合によっては、悪い霊の働きが神の霊に見えてしまう

特に世の終わりがそう

参照 黙示録9:1418

9:14 その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。」

9:15 すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。

9:16 騎兵の軍勢の数は二億であった。私はその数を聞いた。

9:17 私が幻の中で見た馬とそれに乗る人たちの様子はこうであった。騎兵は、火のような赤、くすぶった青、燃える硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は、ししの頭のようで、口からは火と煙と硫黄とが出ていた。

9:18 これらの三つの災害、すなわち、彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された。

霊が熱狂的に人に働き、正しい人を迫害する

変な霊に導かれる人は、妨害する

 

32:21 私はだれをもひいきしない。どんな人にもへつらわない。

32:22 へつらうことを知らないから。そうでなければ、私を造った方は今すぐ、私を奪い去ろう。

艱難時代は、仲間のクリスチャンが惑わされて、助けにならない

人の言葉に重きを置いてはダメ

艱難時代は、うまい言葉で正しいクリスチャンを責めるとき

しかし、最後の最後に神が弁明してくださる

主が弁明するので、一言も答えたりする必要は無い

言い負けたからといって、気にする必要は全く無い