ヨブ記33章 2013.1.27

 

33:1 そこでヨブよ。どうか、私の言い分を聞いてほしい。私のすべてのことばに耳を傾けてほしい。

33:2 さあ、私は口を開き、私の舌はこの口の中で語ろう。

33:3 私の言うことは真心からだ。私のくちびるは、きよく知識を語る。

33:4 神の霊が私を造り、全能者の息が私にいのちを与える。

私たちが弱ったとしても、神の霊が来るなら「命」を与えられ、強くされる

神の霊は見えない、しかし、私たちを生かす

神の霊に触れるには、「祈る」→祈りの中で神の霊に触れる

ちなみに「霊」と言っても、「神の霊」だけでなく、「惑わしの霊」もあるので気を付ける

人間は「霊」によって動かされる

正しい「神の霊」に導かれることが大事

参照 マタイ12:33

12:33 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。

その人が、どんな霊に導かれるか?

エリフは正しいヨブを悪者扱いしているので、別の霊に導かれている

正しい霊の導きを祈り求めていきたい

 

33:5 あなたにできれば、私に返事をし、ことばを並べたて、私の前に立ってみよ。

33:6 実に、神にとって、私はあなたと同様だ。私もまた粘土で形造られた。

33:7 見よ。私のおどしも、あなたをおびえさせない。私が強く圧しても、あなたには重くない。

33:8 確かにあなたは、この耳に言った。私はあなたの話す声を聞いた。

33:9 「私はきよく、そむきの罪を犯さなかった。私は純潔で、よこしまなことがない。

33:10 それなのに、神は私を攻める口実を見つけ、私を敵のようにみなされる。

33:11 神は私の足にかせをはめ、私の歩みをことごとく見張る。」

エリフは正しいヨブを非難している

「正しい」と言っていること自体、非難される

アメリカでは、本当に正しい人が非難されている

そういう時代にこれから入っていく、そういう日が来ることを理解する

曲がった時代に入っていく

正しい人々が非難される

キリストの時もそうだった

ピラトは「この人に何の罪も見つからない」と言っている、しかし、パリサイ人はそうではなかった

それは、時代が曲がっているから、このことは正しくとらえておく

そして、世の終わりに同じことが再現する

 

33:12 聞け。私はあなたに答える。このことであなたは正しくない。神は人よりも偉大だからである。

33:13 なぜ、あなたは神と言い争うのか。自分のことばに神がいちいち答えてくださらないといって。

33:14 神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。

33:15 夜の幻と、夢の中で、または深い眠りが人々を襲うとき、あるいは寝床の上でまどろむとき、

33:16 そのとき、神はその人たちの耳を開き、このような恐ろしいかたちで彼らをおびえさせ、

33:17 人にその悪いわざを取り除かせ、人間から高ぶりを離れさせる。

33:18 神は人のたましいが、よみの穴に、はいらないようにし、そのいのちが槍で滅びないようにされる。

33:19 あるいは、人を床の上で痛みによって責め、その骨の多くをしびれさせる。

エリフの言っていることは一般的に正しい、しかし、ヨブに対しては正しくなかった

色々な災いや問題は、神が警告のために起こしている

 

33:20 彼のいのちは食物をいとい、そのたましいはうまい物をいとう。

33:21 その肉は衰え果てて見えなくなり、見えなかった骨があらわになる。

33:22 そのたましいはよみの穴に近づき、そのいのちは殺す者たちに近づく。

神から離れていくときに、滅びやよみに入っていく

 

33:23 もし彼のそばに、ひとりの御使い、すなわち千人にひとりの代言者がおり、それが人に代わってその正しさを告げてくれるなら、

33:24 神は彼をあわれんで仰せられる。「彼を救って、よみの穴に下って行かないようにせよ。わたしは身代金を得た。」

自分の力で天の御国に入るのは難しい

しかし、だからと言って、「御使い」が出てくるのは怪しい

世の終わりは御使いが色々と出てくる

御使いが惑わしを持ってくる Ex:しるしと奇跡と不思議

奇跡はある、しかし、すべて神からとは限らない

エリフは惑わされている、たしかにまともなことも言っている、しかし、惑わしにも入っている

御使いには、要注意

 

33:25 彼の肉は幼子のように、まるまる太り、彼は青年のころに返る。

33:26 彼が神に祈ると、彼は受け入れられる。彼は喜びをもって御顔を見、神はその人に彼の義を報いてくださる。

33:27 彼は人々を見つめて言う。「私は罪を犯し、正しい事を曲げた。しかし、神は私のようではなかった。

33:28 神は私のたましいを贖ってよみの穴に下らせず、私のいのちは光を見る。」と。

エリフはヨブに関して言っている

エリフは惑わしの中にいる

エリフの言っていることは一般的には正しい、しかし、正しい人を非難している→気にしてはダメ

ヨブは罪を犯したと思い込んでいる

世の終わり、正しく歩んでいる人に「絶対に罪を犯している」という人がいる

しかし、主の時に、名誉を回復してくださるので心配しなくても良い

忠実な人には、神は報いてくださる

人からの非難は、拘泥する必要は無い

このような人々がこれから出てくる

分かっていない人にかぎって、声が大きかったりする

 

33:29 見よ。神はこれらすべてのことを、二度も三度も人に行なわれ、

33:30 人のたましいをよみの穴から引き戻し、いのちの光で照らされる。

33:31 耳を貸せ。ヨブ。私に聞け。黙れ。私が語ろう。

33:32 もし、言い分があるならば、私に言い返せ。言ってみよ。あなたの正しいことを示してほしいからだ。

33:33 そうでなければ私に聞け。黙れ。あなたに知恵を教えよう。

ヨブは一言もエリフに答えられない

こういう人が世の終わり、のさばる時代

しかし、最後に神が弁明してくださる

だから人間的な仕返しをしてはダメ

試される時だということを念頭においていく

Ex:イエスさまもつばを吐かれたり、「十字架から下りてみろ」と言われたりした、しかし、そういう声には、まったく乗らなかった

サタンは、最後の最後でコケさせるという惑わしを入れてきて、行動を起こさせようとする→しかし、絶対に乗ってはダメ!!(せっかくの歩みや働きがすべて台無しになるので気を付ける)

エリフは一部正しい、しかし、惑わしに入っている

一部当たっていて、一部間違えているので見分けが難しい

正しい人がクリスチャンから悪く言われてしまう時が来る