ヨブ記36章 2013.2.17

 

36:1 エリフはさらに続けて言った。

36:2 しばらく待て。あなたに示そう。まだ、神のために言い分があるからだ。

36:3 私は遠くから私の意見を持って来て、私の造り主に義を返そう。

36:4 確かに私の言い分は偽りではない。完全な知識を持つ方があなたのそばにいるからだ。

神の言葉をもって、クリスチャンからの揺るがしがくる

艱難時代の特徴:神の言葉を持ち出して正しいクリスチャンを非難する

エリフの特徴→なぜこんな風に口角泡をもってヨブを非難しているのか?

神のために間違えたヨブを非難している、自己中心の動機では無いというのがエリフの主張

参照 ヨハネ16:2

16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます

ヨブがされていることは、この御言葉の再現、主もこのことを経験した

参照 マタイ26:64,65

26:64 イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」

26:65 すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。

大祭司:神に仕える人

神に仕える立場の人がイエスに対して「神を冒涜した」と言った→66節に続く

参照 マタイ26:66

26:66 どう考えますか。」彼らは答えて、「彼は死刑に当たる。」と言った。

イエス・キリストが死刑にされた理由:(実際はそうではないのに)神を冒涜したと言われたから

彼らは神のために死刑にしたと主張→しかしこのことは勘違い、間違い、大きな誤り

神のためと言いながら、実際はサタンの論理、感情のすりかえだった、そのことに気付かずにまんまとサタンの計略に乗せられてキリストを十字架に付けて殺した人たちが沢山いた(サタンに悪く用いられた)サタンは良い動機を持ってくる、しかし結果として間違いに入る、終末も同じようなパターンで来る

もし啓示に従っていくならヨブやイエスさまと同じような目に会う、しかし動揺してはダメ

結局はその人の歩みが関係してくる

エリフも神の前に問題がある、だから頓珍漢になる、表面のことで騙されてはダメ、聖書の言葉を持ち出してはいても別の霊に引っ張られているという点はよくよくとらえておく

神の言葉を持ち出されても、主の示された道から外れてはダメ

 

36:5 見よ。神は強い。だが、だれをもさげすまない。その理解の力は強い。

36:6 神は悪者を生かしてはおかず、しいたげられている者には権利を与えられる。

36:7 神は、正しい者から目を離さず、彼らを王たちとともに王座に着け、永遠に座に着かせて、高められる。

36:8 もし、彼らが鎖で縛られ、悩みのなわに捕えられると、

36:9 そのとき、神は、彼らのしたことを彼らに告げ、彼らがおごり高ぶったそむきの罪を告げる。

36:10 神は彼らの耳を開いて戒め、悪から立ち返るように命じる。

36:11 もし彼らが聞き入れて仕えるなら、彼らはその日々をしあわせのうちに全うし、その年々を楽しく過ごす。

罪があるから鎖で縛られた、驕り高ぶったから縄に捕らえられると言われる

パウロも福音のために鎖につながれた、しかしこのことは神の前に正しい、でも人々の前には逆

鎖で縛られるということに関しても、2パターンの意見が出てくる

エリフの観点で言えば、ヨブは正しいのに縛られているということが理解できない

このことは私たちの時も再現すると思われる

しかし今更、考え方を変えてはダメ、正しい人は鎖につながれる

しかも「罪のため」だと言われる

鎖に縛られたとしても惑わされたり違うことを思わされたりしない

こういうこともある意味奉仕の一環と考える

クリスチャンの許容度がある

もし信仰に不利な法律が制定されたとして・・・法律を犯してまで教会に行かないというクリスチャンは多いのでは?まして鎖につながれても信仰を守っていこうとするクリスチャンはかなり少ないのでは?

こういうことがやがて試しとしてある→「捕まってもいいのか?」という試しがある

参照 ルカ14:3133,2830

14:31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうかを、まずすわって、考えずにいられましょうか。

14:32 もし見込みがなければ、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和を求めるでしょう。

14:33 そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません

 

14:28 塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。

14:29 基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、

14:30 『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった。』と言うでしょう。

私たちを試みるための色々なメニューがある→悪口、非難、鎖等々

許容度は、ある程度確保する

パウロは鎖のことを気にしなかった

 

36:12 しかし、もし聞き入れなければ、彼らは槍によって滅び、知識を持たないで息絶える。

36:13 心で神を敬わない者は、怒りをたくわえ、神が彼らを縛るとき、彼らは助けを求めて叫ばない。

36:14 彼らのたましいは若くして死に、そのいのちは腐れている。

エリフはヨブのことを言っている

 

36:15 神は悩んでいる者をその悩みの中で助け出し、そのしいたげの中で彼らの耳を開かれる。

36:16 まことに、神はあなたを苦しみの中から誘い出し、束縛のない広い所に導き、あなたの食卓には、あぶらぎった食物が備えられる。

36:17 しかし、あなたには悪者の受けるさばきが満ちている。それでさばきと公義があなたをつかまえる。

ヨブは悪い奴だから捕まったと言われている

イエスさま、パウロも同様→神への冒涜の罪があると言われた

これからサタンに悪く用いられる人か沢山出てくる→卑しいことに用いられる器→NG

艱難時代は、正しいからこそ逮捕される

Ex:アメリカではスーパーマーケットで路傍伝道をしていた牧師が逮捕された

そういう時代に半分来ている

正しく啓示を語っていくゆえに仲間のクリスチャンから悪く言われる

それでも従うのか?という揺るがしが来る

永遠の命はそれに値する

参照 Ⅱコリント4:17

4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

 

36:18 だから、あなたは憤って、懲らしめに誘い込まれないようにせよ。身代金が多いからといって、あなたはそれに惑わされないようにせよ。

36:19 あなたの叫びが並べたてられても、力の限りが尽くされても、それが役に立つだろうか。

36:20 国々の民が取り去られる夜をあえぎ求めてはならない。

36:21 悪に向かわないように注意せよ。あなたは悩みよりも、これを選んだのだから。

ヨブが悪を選んだとエリフは言っている

惑わされた人々は、こういうことを言う

カルト、おかしな教理を選んだと人々から言われる

人から非難されたとしても正しいことを選んでいけるように祈り求めていく

参照 ヨハネ9:35

9:35 イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」

その前を読むと分かるのですが、彼(イエスさまに目が見えるように癒された生まれつきの盲人)は両親から見捨てられている

当時、正しい人はユダヤ教の会堂から追放されるというおきてがあった

しかし39節に書かれているように逆転現象が起きる

参照 ヨハネ9:39

9:39 そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」

エリフは真理に対して盲目だった

今でも見ない人のほうが多い

イエスさまの時でさえ、真理を見ていたのは少数だった

艱難時代にこのことは再現→ヨブのように言われる可能性がある、しかし卑下してはダメ

真理を見たから異端扱いされる→意に介してはダメ

どこかで犠牲を払って選ぶ、中途半端はダメ

Ex:当時の議員たち

参照 ヨハネ12:42

12:42 しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった

両方いい顔をしても得られない、どちらかを犠牲にする

聖書的には生まれつきの盲人が正しい

私たちも同じパターンを踏む

あらゆることを失ったとしても必要な恵みを受けていく

 

36:22 見よ。神は力にすぐれておられる。神のような教師が、だれかいようか。

36:23 だれが、神にその道を指図したのか。だれが、「あなたは不正をした。」と言ったのか。

36:24 人々がほめ歌った神のみわざを覚えて賛美せよ。

36:25 すべての人がこれを見、人が遠くからこれをながめる。

36:26 見よ。神はいと高く、私たちには知ることができない。その年の数も測り知ることができない。

36:27 神は水のしずくを引き上げ、それが神の霧となって雨をしたたらせる。

36:28 雨雲がこれを降らせ、人の上に豊かに注ぐ。

36:29 いったい、だれが雲の広がりと、その幕屋のとどろきとを悟りえよう。

36:30 見よ。神はご自分の光をその上にまき散らし、また、海の底をおおう。

36:31 神はこれらによって民をさばき、食物を豊かに与える。

36:32 神はいなずまを両手に包み、これに命じて的を打たせる。

36:33 その雷鳴は、神について告げ、家畜もまた、その起こることを告げる。

エリフは一面、真理らしいことを言っている

しかしヨブに関しては真理を見ていない

間違えている人は全部間違えているわけではない、しかし根本的なところが違っていたり惑わされていたりするので気にしない