ヨブ記39章 2013.3.10

 

メッセージの前に39章について

一義的:人間には限界がある

たとえの意味合いとして、39章全体は「惑わされた教師」に関して語っている

 

39:1 あなたは岩間の野やぎが子を産む時を知っているか。雌鹿が子を産むのを見守ったことがあるか。

「やぎ」について

参照 マタイ25:32,33,41

25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、

25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。

25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。

羊は祝福されている、しかし「やぎ」は滅び→41節になったらダメ

やぎは悪魔の言うことを聞いてしまったクリスチャンのたとえ→毒麦

教会は、この2種類のコースがある

聞き方や行いによって変わる

やぎ:呪われた者

岩間の野やぎ:「岩」は弟子に通じる、ゆえにサタンの使いみたいに歩みをしながら教師をしているクリスチャンのたとえ、サタンに用いられる教師とかの働き人

終末、教師たちが「やぎ」になっていく

世の終わりのときになると、サタンに用いられるとんでもない教師が蔓延し、そこから生まれる信者が出てくる Ex:パリサイ人、律法学者

ここでの結論:「世の終わりにサタンに用いられる器が出てくることを知っているか?」ということを言っている

 

39:2 あなたはこれらがはらんでいる月を数えることができるか。それらが子を産む時を知っているか。

39:3 それらは身をかがめて子を産み落とし、その胎児を放り出す。

信者がまともに育たないときが来る

 

39:4 その子らは強くなり、野原で大きくなると、出て行って、もとの所には帰らない。

その子らは強くなり(KJV):その子らは、よく似ており

Ex:パリサイ人、律法学者→信者を自分にまさるゲヘナの子にした

参照 マタイ23:15

23:15 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするからです

 

39:5 だれが野ろばを解き放ったのか。だれが野生のろばの綱をほどいたのか。

39:6 わたしは荒れた地をそれの家とし、不毛の地をその住みかとした。

39:7 それは町の騒ぎをあざ笑い、追い立てる者の叫び声を聞かない。

39:8 山岳地帯はその牧場、それは青い物を何でも捜す。

5:「ろば」は聖霊、しかし「野ろば」は悪い霊

霊を解き放つことがある Ex:ベニー・ヒンは、「悪霊を解放せ!」と集会の中で言っている

神の怒りの中で解放される

悪霊のリバイバルはヨブのときから預言されている

6:悪霊の下では、何一つ育たない

8:青い物を何でも捜す→食べ物(正しい教え)は、みな取られてしまう

 

39:9 野牛は喜んであなたに仕え、あなたの飼葉おけのそばで夜を過ごすだろうか。

39:10 あなたはあぜみぞで野牛に手綱をかけることができるか。それが、あなたに従って谷間を耕すだろうか。

39:11 その力が強いからといって、あなたはそれに拠り頼むだろうか。また、あなたの働きをこれに任せるだろうか。

39:12 あなたはそれがあなたの穀物を持ち帰り、あなたの打ち場で、これを集めるとでも信じているのか。

9:野牛→悪い霊の働き人、言うことを聞かない働き人

10:働き人だけれども、畑を耕さない

11:働きを任せられない

12:穀物を持ち帰らない、集めない→神の御言葉を扱う立場なのに、何の役にも立たない働き人が出てくる→今、実現している Ex:艱難前携挙説

 

39:13 だちょうの翼は誇らしげにはばたく。しかし、それらはこうのとりの羽と羽毛であろうか。

39:14 だちょうは卵を土に置き去りにし、これを砂で暖めさせ、

39:15 足がそれをつぶすことも、野の獣がこれを踏みつけることも忘れている。

39:16 だちょうは自分の子を自分のものでないかのように荒く扱い、その産みの苦しみがむだになることも気にしない。

39:17 神がこれに知恵を忘れさせ、悟りをこれに授けなかったからだ。

39:18 それが高くとびはねるとき、馬とその乗り手をあざ笑う。

だちょう:間違えた働き人

15:全然信者を育てない働き人

16,17:もっとも大事なことを見ていない、神が見せないので正しく真理を語れない

 

39:19 あなたが馬に力を与えるのか。その首にたてがみをつけるのか。

39:20 あなたは、これをいなごのように、とびはねさせることができるか。そのいかめしいいななきは恐ろしい。

39:21 馬は谷で前掻きをし、力を喜び、武器に立ち向かって出て行く。

39:22 それは恐れをあざ笑って、ひるまず、剣の前から退かない。

39:23 矢筒はその上でうなり、槍と投げ槍はきらめく。

39:24 それはいきりたって、地を駆け回り、角笛の音を聞いても信じない。

39:25 角笛が鳴るごとに、ヒヒーンといななき、遠くから戦いをかぎつけ、隊長の怒号と、ときの声を聞きつける。

(勇士のたとえ)に関連して

この馬も良くない、まともな働き人ではない

力は与えられている、しかし22節に書かれているように、神からの恐れや警告を気にしない

警告の角笛を信じない

25:ヒヒーン(KJV)アハハ(あざ笑い)

警告の声を聞いてもあざ笑う人

警告をまともに取らない働き人

偽りの剣を神が出しているのに恐れない、悟らない→終末に起きてくる

惑わされた教師の型

聖書が書いていることをまともに信じない

 

39:26 あなたの悟りによってか。たかが舞い上がり、南にその翼を広げるのは。

39:27 あなたの命令によってか。わしが高く上がり、その巣を高い所に作るのは。

39:28 それは岩に宿って住み、近寄りがたい切り立つ岩の上にいる。

39:29 そこから獲物をうかがい、その目は遠くまで見通す。

39:30 そのひなは血を吸い、殺されたものがある所に、それはいる。

たか、わし:霊的なこと、悪い霊

悪い霊が働く

石、岩→弟子の歩みをしていても、世の終わり、惑わされた霊にやられる

30:血→聖霊、ここでは変な霊→聖霊の働きを奪う

参照 マタイ24:28

24:28 死体のある所には、はげたかが集まります。

死体:

罪のある所に悪霊はいる

悪霊的な働き人が蔓延している Ex:トロント・ブレッシング

教会がちゃんと歩まないときに災いになり、教師が偽りを教える時代に入っていく

今の教会は、野やぎや野ろばに支配されている

世の終わり、悪い霊が蔓延する、そして最後まで正しく歩まない人は盲目にされる

歩むべき道を歩んでいきたい