ローマ人への手紙2

 

2:1 ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。

2:2 私たちは、そのようなことを行なっている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。

2:3 そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。

クリスチャン人生に必ず結論がくる

人は一度死ぬ

死んだ後、裁きを受ける

行いを正していかなければならない

忍耐を持って善を行うか、悪を行うかによって、死後の行き先が変わってしまう

参照 エゼキエル33:11-20

正しい人でも、罪に陥ってしまったら、神の前に善とされない

罪があっても、正しく歩んでいくなら、罪は赦される

 

2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

私たちが間違えた時に、豊かな慈愛と忍耐と寛容を持って、正しい方向を示し、導いて下さる

神は、色々な方法で教えてくださる

 

2:5 ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。

頑なはNG

ずっと頑なであると、神の怒りを積んでしまう

 

2:6 神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。

行いによって、裁かれる 参照 黙示録20:12 行いに応じて裁かれた

行いを正していく

正しく行いが出来るように、祈り求める

 

2:7 忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

永遠の命は、ゴール

忍耐を持って善を行い続けるクリスチャンになっていく

善を行うことに対して、必ず、チャンレンジがくる→結構大変→こういった果てに、永遠の命がある→忍耐を持った歩みが必要

 

2:8 党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。

今のクリスチャンは、真理に従わない、御言葉に耐えられない、真理を偽りに変える→裁かれる

真理を投げ捨てることについて、神は怒っている

 

2:9 患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行なうすべての者の上に下り、

2:10 栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行なうすべての者の上にあります。

2:11 神にはえこひいきなどはないからです。

患難と苦悩を受けるクリスチャン→悪を行うクリスチャン 神の前にどこかに悪がある

善を行うクリスチャン→以前に比べて、善を行おうとしている

方向として、善を求めていきたい

神にえこひいきは一切無い→神において、善or?

神によって、私たちの環境は支配されている

悔い改めるべき点は悔い改め、歩むべき道は歩む

 

2:12 律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。

律法:聖書の教え

クリスチャンは、律法によって、裁かれる

しかし、異邦人も裁かれる

 

2:13 それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行なう者が正しいと認められるからです。

律法を行う者が正しい

参照 申命記30:1

祝福と呪いがある

主の言葉を行う・・・祝福に入る

主の言葉を行わない・・・呪いに入る

すべてのクリスチャンが祝福に入るわけではない

参照 申命記28:1-11

御心を行い、更に行うなら、祝福の歩みに入る

問題の中にあっても、解決に導かれる

御言葉や奉仕が祝福される

参照 申命記28:15-20

御言葉を絶対に行わないクリスチャンについて書かれている

ろくでもない御言葉しか与えられない

ろくでもない信者しか育たない

どんな奉仕をしても、ろくでもならない

御言葉を行うかどうかによって、祝福or呪いを受けるかが決定付けられる

御言葉を守ることにポイントがある

 

2:14律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをするばあいは、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。

2:15 彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。

聖書を持たない異邦人も弁解の余地は無い

 

2:16 私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行なわれるのです。

Kjv:隠れたことを神は裁かれる

人前にいくらよくても、意味が無い

世の中はバレなければよい

隠れた時の行いを、神は知っている

人が見ていようと、見ていないと、神の言葉を正しく行う

御心を行わない人:真理(イエス・キリスト)を理解しない Ex:パリサイ人、律法学者

(偽善の歩みをしている人は、真理を見ない)→神の裁きと関係する

 

2:17 もし、あなたが自分をユダヤ人ととなえ、律法を持つことに安んじ、神を誇り、

2:18 みこころを知り、なすべきことが何であるかを律法に教えられてわきまえ、

2:19 また、知識と真理の具体的な形として律法を持っているため、盲人の案内人、やみの中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だと自任しているのなら、

2:20 前節に合節

2:21 どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。

2:22 姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌みきらいながら、自分は神殿の物をかすめるのですか。

2:23 律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか。

2:24 これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている。」と書いてあるとおりです。

律法を行うかどうか?

教師や牧師に対して、この箇所は語られている

 

2:25 もし律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。

2:26 もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。

2:27 また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。

2:28 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。

2:29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。

御言葉を忠実に行っていくなら、誉を受ける

御言葉を行っていくときに、神から誉れがくる