使徒の働き14

 

14:1 イコニオムでも、ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂にはいり、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人が信仰にはいった。

パウロとバルナバは聖霊に遣わされた 神の業に入るときに、神から選ばれる→公平な選び

二人で遣わされる 一人だと弱い

 

14:2 しかし、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせた。

ユダヤ人は悪いことばかりしている ユダヤ人は罪がある→終末にかかわってくる

ユダヤ人の現状、聖書的なパターンを見ていく 神の働きに何かと反対している

偽ユダヤ人が入り込んでいる

ハム:黒人、ヤペテ:白人、ユダヤ人:黄色人種 参照 第十三氏族

ユダヤ教:悪魔教、タルムード(秘密の本)

            問題点:冒涜的な内容(ルターより)ユダヤ人と白人の嘘

偽ユダヤ人→キリスト教の崩壊を目指している

キリスト教界に入り込み、教理を曲げてしまうEx:ベニーヒン、ビリーグラハム

黙示録はそのことを語っている 福音にブレーキをかけているのは、ユダヤ人

 

14:3 それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行なわせ、御恵みのことばの証明をされた。

主がしるしをもって、証明される

 

14:4 ところが、町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側についた。

14:5 異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てたとき、

14:6 ふたりはそれを知って、ルカオニヤの町であるルステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、

14:7 そこで福音の宣教を続けた。

石打ち:ユダヤ人の死刑の方法

本当に正しいことを伝えようとするなら、命がけであることを理解する

本当に大事なポイントに入っていくときに、敵がとどめようとする、場合によっては命を狙う

ものすごい妨害をしてくる→生半可ではない

 

14:8 ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった。

14:9 この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、

14:10 大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。

14:11 パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ。」と言った。

14:12 そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。

14:13 すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。

14:14 これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら、

14:15 言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。

14:16 過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。

14:17 とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」

14:18 こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。

パウロがすごい奇跡を行った しかし、群集はパウロを神としてしまった

器を崇めることは、偶像崇拝になる 人を崇めていけにえを捧げたり、牛を捧げたりするのは、偶像崇拝

聖書で言われている偶像崇拝は、器崇拝のこと 旧約で言う、阿修羅崇拝は型

神に仕えずに人に仕えるのが、偶像崇拝 人は偶像崇拝しやすい→何を拝むかで、違う結果になる

聖書の言葉に立たなければならない 皆、間違いやすい 生ける神に仕えていかなければならない

偶像崇拝=空しいこと イスラエルの民は、度々偶像礼拝を起こしている→同じ過ちに入りやすい

偶像崇拝を止めるのは大変 人は目に見えない神をほっといてしまう

聖霊の雨→神が降らす 食物と喜びとで心を満たしてくださった→神が与える

人は器に仕えてしまう→このことは罪になる

神の言うことと、器が言うことには、違いがあることがある 器を拝むことは、大きな罪になる

 

14:19 ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。

抱き込み:(英語)説得する 群衆:説得される、惑わされる

世の終わり:正しい人がカルト扱いされ その時に群集は説得される 説得される群衆が出てくる

 

14:20 しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。

14:21 彼らはその町で福音を宣べ、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、

パウロとバルバナが多くの人を弟子とする 信仰を持つことと、弟子となることは違う

聖書は明らかに区分を持っている 主の働きを担うのが弟子 キリストから声がけがある(召命)

その時に召命に従うかどうか 弟子の上に教会は建つ

 

14:22 弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言った。

多くの苦しみを経る

    ギリシャ語では、艱難時代→その日に備える

 

14:23 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。

14:24 ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、

14:25 ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、

14:26 そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。

14:27 そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。

14:28 そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした。

戻るべき教会に着いた