使徒の働き22

 

22:1 「兄弟たち、父たちよ。いま私が皆さんにしようとする弁明を聞いてください。」

22:2 パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。そこでパウロは話し続けた。

パウロは誰からも頼まれていない しかし、自分から願って福音を伝えた 話しをさせてくれとパウロは自分から願った

大事なメッセージは、このように語っていく 千載一遇のチャンスであると同時に、命の危険も覚悟する

チャンスは逃さない 時が悪くても語る 本当に神が語ったら危険があっても語っていく

この時「ナザレのイエスに救いがある」ということは、拒否されていた

 

22:3 「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。

22:4 私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。

この道:狭い道=命に至る道 本当に命の道を選んでいく時、その道は狭い→決してwelcomeではない

しかし、正しくその道を選ぶ 今でも滅びに至る道は広い 真理を見る者は稀→ずーっと原則は同じ

世は多数決、しかし、聖書はそうではない 命の道を見出さなければならない→きちんと理解しないと、惑わされる

 

22:5 このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰するためでした。

22:6 ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。

22:7 私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞きました。

22:8 そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ。』と言われました。

22:9 私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。

22:10 私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる。』と言われました。

22:11 ところが、その光の輝きのために、私の目は何も見えなかったので、いっしょにいた者たちに手を引かれてダマスコにはいりました。

22:12 すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、

22:13 私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい。』と言いました。すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。

今までパウロは全く反対の方向を歩いていた→迫害者だった

でも、光を受けて劇的に変わった、光が悔い改めへとパウロを導いた

間違えた歩みをしていたとしても・・・どんなクリスチャンでも大なり小なり間違えを起こす

しかし、キリストが光を与えたら、真理を見る→啓示の光を受けるかどうか

光を受けられるように、求め、願う→真理を見る 光は天から来る

光を受けるかどうかが鍵→光、啓示を求める(方向を正していく、正しいものを見ていく)

 

22:14 彼はこう言いました。『私たちの先祖の神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。

22:15 あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。

KING:御声を聞かせようと選んだ 迫害者だったパウロが神に選ばれた 

なぜか?→間違えていても、パウロはそれまで、熱心に神に仕えていたから だから、光を受けた時に啓示を理解した

神が選ぶかどうかが、ポイント 一人の人に全体像を見せるのが神の方法(あなたに御声を聞かせ・・・)

人の声ではなく、神の声に聞き従っていく パウロは証人だから語った 見たら、言わなければならない

証人→証言しないと、呪われる(旧約聖書)

聞いたこと、見たことを証言しなければならない

パウロは見た、聞いた→そのために、特別選ばれた証人→きちんと承認としての義務を果たした→口や手紙を通して語った

もし、パウロが口をつぐんでいたら、新約の書簡は、ほとんど無い

きちんと語ったことにポイントがある 証言を通して人は救われていく

聖霊の声が聞こえたら、機会がある毎に証をする

世の終わりのことも神は語って下さる→きちんと証言していく(見たり聞いたりしたら、証言していく)

主がどう言われたかを語る

 

22:16 さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』

22:17 こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、

22:18 主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』

22:19 そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。

22:20 また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。』

22:21 すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。』と言われました。」

バプテスマ・・・水で洗礼を受ける→聖霊の水で浸される

聖霊に浸されていく、聖霊に触れる→毎日バプテスマを受けなければならない

                        祈って聖霊に触れる→罪が洗い流される

主の言われたように、パウロは異邦人に遣わされた→福音が伝わった

今の時代も主は人を遣わす→使わされたら出て行く

ポイント:キリストの声を聞いた このことは、キリスト教界の常識と同じとは限らない

 

22:22 人々は、彼の話をここまで聞いていたが、このとき声を張り上げて、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」と言った。

22:23 そして、人々がわめき立て、着物を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、

22:24 千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れるように命じ、人々がなぜこのようにパウロに向かって叫ぶのかを知ろうとして、彼をむち打って取り調べるようにと言った。

22:25 彼らがむちを当てるためにパウロを縛ったとき、パウロはそばに立っている百人隊長に言った。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか。」

話 word(ロゴス) 単数→特別なもの 言葉は神、キリストは言葉

言葉を通して、両極端な反応がある 神の言葉は両極端な反応が出る

パウロの語っていること=キリストの言葉

キリストの福音を正しく語った時に、キリスト教界にありえないことが起こる

もし、神の言葉を正しくとらえたら、両極端な反応がくる→聖書的

 

22:26 これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところに行って報告し、「どうなさいますか。あの人はローマ人です。」と言った。

22:27 千人隊長はパウロのところに来て、「あなたはローマ市民なのか、私に言ってくれ。」と言った。パウロは「そうです。」と言った。

22:28 すると、千人隊長は、「私はたくさんの金を出して、この市民権を買ったのだ。」と言った。そこでパウロは、「私は生まれながらの市民です。」と言った。

22:29 このため、パウロを取り調べようとしていた者たちは、すぐにパウロから身を引いた。また千人隊長も、パウロがローマ市民だとわかると、彼を鎖につないでいたので、恐れた。

22:30 その翌日、千人隊長は、パウロがなぜユダヤ人に告訴されたのかを確かめたいと思って、パウロの鎖を解いてやり、祭司長たちと全議会の召集を命じ、パウロを連れて行って、彼らの前に立たせた。

ローマ市民だということが、パウロにとって、伝道の益となった 主に向く時に、過去のことは、全て益になる