箴言2章 2016.2.28

 

 

 

2:1 わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちにたくわえ、

 

2:2 あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を英知に向けるなら、

 

2:3 もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、

 

2:4 銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、

 

2:5 そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。

 

2:6 主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。

 

 

 

知恵=聖霊

 

 

 

「もし~するなら・・・」とあるように、自動的に聖霊の知恵を得られるわけではない。

 

 

 

聖霊の知恵を得るために・・・私たちのほうで、求めていく作業というのがある。

 

 

 

クリスチャンになり、悟るなら天の御国に入る。

 

 

 

「聖霊の知恵」は、クリスチャン生活&永遠の命に直結する。

 

 

 

「聖霊の知恵」に関して求める者、耳を傾ける者は得られる。

 

 

 

まず、神のことばを受け入れ、信じる。

 

 

 

そして、命令を蓄える。

 

 

 

あらゆる起きてくる事柄において、神に聞く、という習慣をつける。そうするなら、「知恵」を見出す。

 

 

 

参照 Ⅰサムエル記23:913

 

23:9 ダビデはサウルが自分に害を加えようとしているのを知り、祭司エブヤタルに言った。「エポデを持って来なさい。」

 

23:10 そしてダビデは言った。「イスラエルの神、主よ。あなたのしもべは、サウルがケイラに来て、私のことで、この町を破壊しようとしていることを確かに聞きました。

 

23:11 ケイラの者たちは私を彼の手に引き渡すでしょうか。サウルは、あなたのしもべが聞いたとおり下って来るでしょうか。イスラエルの神、主よ。どうか、あなたのしもべにお告げください。」主は仰せられた。「彼は下って来る。」

 

23:12 ダビデは言った。「ケイラの者たちは、私と私の部下をサウルの手に引き渡すでしょうか。」主は仰せられた。「彼らは引き渡す。」

 

23:13 そこでダビデとその部下およそ六百人はすぐに、ケイラから出て行き、そこここと、さまよった。ダビデがケイラからのがれたことがサウルに告げられると、サウルは討伐をやめた。

 

 

 

逃走中にダビデはケイラを救った。普通に考えるなら、ケイラの人たちはダビデの味方になってくれる、と思う。しかしダビデはこれからのことに関して主に聞いた。そうしたら、「彼らは引き渡す。」という風な返答が神から返ってきた。これは意外なことである。でも、このように神に聞いたおかげで、ダビデたちは助けられた。

 

 

 

こんな風に・・・ダビデには、主に聞く、という習慣があった。これが模範。

 

 

 

主に聞くなら知恵を得て、もっともベストな選択をする。

 

 

 

個々の問題に応じて、神は正しい答えをくださる。

 

 

 

主に聞く人たちに、知識&英知を与えてくださる。

 

 

 

2:7 彼は正しい者のために、すぐれた知性をたくわえ、正しく歩む者の盾となり、

 

 

 

神を恐れていくなら、特別な知性が与えられる。これは聖書で言われているひとつの特徴。

 

 

 

2:8 公義の小道を保ち、その聖徒たちの道を守る。

 

 

 

正しく知恵を聞き、聖霊の悟りを得るなら正しい道に入る。

 

 

 

「道」ということに関して、主は言われている。

 

 

 

道はふたつある。ひとつは「正しい道」。もうひとつは「やみの道」。

 

 

 

「やみの道」は危ない、くじく、穴に落ちる。

 

 

 

聖書は結構「道」に関して語っている。

 

 

 

そして正しい道を歩まないと、正しい所に到達しない。

 

 

 

正しい道を主が与えてくださり、悟るようにしてくださる。

 

 

 

2:9 そのとき、あなたは正義と公義と公正と、すべての良い道筋を悟る。

 

 

 

「道」さえ分かれば、ゴールは間違い無い。歩いて行けば、いずれ着く。

 

 

 

2:10 知恵があなたの心にはいり、知識があなたのたましいを楽しませるからだ。

 

 

 

聖霊の知恵を崇めていくときに、聖霊の知恵に基づいていくものとなる。

 

 

 

2:11 思慮があなたを守り、英知があなたを保って、

 

2:12 悪の道からあなたを救い出し、ねじれごとを言う者からあなたを救い出す。

 

 

 

聖霊の知恵に聞いていくときに、曲がったことを言う人から守られる。

 

 

 

2:13 彼らはまっすぐな道を捨て、やみの道に歩み、

 

2:14 悪を行なうことを喜び、悪いねじれごとを楽しむ。

 

2:15 彼らの道は曲がり、その道筋は曲がりくねっている。

 

 

 

クリスチャンであっても、こういうタイプの人がいる。

 

 

 

神の道はまっすぐ。単純で理解しやすいもの。

 

 

 

まっすぐな道を捨てると、正しいことが見えない。やみの道を歩むこととなる。

 

 

 

14,15節もクリスチャンと無縁では無い。けれども、真理が見えなくなる。

 

 

 

曲がりくねっているクリスチャンがいる。

 

 

 

2:16 あなたは、他人の妻から身を避けよ。ことばのなめらかな、見知らぬ女から。

 

2:17 彼女は若いころの連れ合いを捨て、その神との契約を忘れている。

 

 

 

「妻」とか「女」が出てくる。

 

 

 

「男」はキリストを指すことから、「女」は教会のことを言われている。

 

 

 

ことばのなめらかな、見知らぬ女:今まで聞いたことのない新しい教理を言う教会

 

 

 

若いころの連れ合い:聖霊

 

 

 

2:18 彼女の家は死に下り、その道筋はやみにつながる。

 

2:19 彼女のもとへ行く者はだれも帰って来ない。いのちの道に至らない。

 

 

 

「女」(教会)は、永遠の命に関係する。

 

 

 

教会は選ばないとダメ。「闇」に入ってしまう教会があるから。

 

 

 

2:20 だから、あなたは良い人々の道に歩み、正しい人々の道を守るがよい。

 

2:21 正直な人は地に住みつき、潔白な人は地に生き残る。

 

2:22 しかし、悪者どもは地から絶やされ、裏切り者は地から根こぎにされる。

 

 

 

20節が正しい。

 

 

 

正しい道を歩み、守っていくことにポイントがある。

 

 

 

教会は、聖霊にあって吟味する。