箴言9章 2016.4.17

 

 

 

9:1 知恵は自分の家を建て、七つの柱を据え、

 

9:2 いけにえをほふり、ぶどう酒に混ぜ物をし、その食卓も整え、

 

9:3 小娘にことづけて、町の高い所で告げさせた。

 

9:4 「わきまえのない者はだれでも、ここに来なさい。」と。また、思慮に欠けた者に言う。

 

 

 

「知恵」ということばは、英語では女性系として表現されている。

 

 

 

女性系に関して・・・最初の女性であるエバが「助け手」として立てられ、アダムに与えられた。

 

 

 

そして、「助け手」とは、「聖霊」のこと。

 

 

 

「聖霊」に関して・・・イエス・キリストを見るときに、「聖霊」が私たちをどういう風に助けてくださるのか?ということが分かる。

 

 

 

たとえば、ラザロは死(罪)からよみがえった。イエス・キリストが彼を「死」(罪)から救い、よみがえらせた。

 

 

 

私たちも、同じように・・・主が立ち上がってくださるなら、罪の中にいたとしても、義に生きることが出来る。

 

 

 

そして、キリストは、聖霊がどういう方なのか?ということを私たちが理解するために遣わされた。

 

 

 

1節の「家」は、「教会」のこと。「七」という数は、教会の数だから。また、教会を建てるのは、聖霊。

 

 

 

2節の「いけにえ」は、教会に関すること。

 

 

 

「ぶどう酒」とか「食卓」と書かれているように・・・聖霊の働き&パン(みことば)を整えてくださる。

 

 

 

「わきまえのない者はだれでも、ここに来なさい。」という風に書かれているように・・・私たちにわきまえが無かったとしても、聖霊の声を聞いていくときに、知恵が与えられる。

 

 

 

9:5 「わたしの食事を食べに来なさい。わたしの混ぜ合わせたぶどう酒を飲み、

 

9:6 わきまえのないことを捨てて、生きなさい。悟りのある道を、まっすぐ歩みなさい。」と。

 

 

 

「食事」は、「パン(みことば)」、「ぶどう酒」は「聖霊の働き」に通じる。

 

 

 

「教え」に関して・・・聖霊からの教え&人間的な教えがある。

 

 

 

また、「わきまえのないことを捨てて、生きなさい。」と書かれているように、今はわきまえのないクリスチャンが多い時代かも知れない。

 

 

 

Ex:艱難を通らない、と信じていたり、獣の国を理解しない等。

 

 

 

でも、わきまえのある道がある。

 

 

 

エレミヤ牧師の証:聖霊による教えを受けた。以前通っていた教会の弟子訓練の集会の中で、メッセージの訓練があり、そのために祈った。そして、色々と理解した。たとえば、「命に至る道は狭い」等。

 

 

 

ポイント:人間的な知恵が無くても、その都度「教えてください。」と神に祈る。

 

 

 

6節のような類いの教えがある。わきまえのない歩みをしているクリスチャンが多い、と言っている。

 

 

 

しかし、聖霊の知恵を求めていくときに、歩むべき方向が見えるようになる。

 

 

 

9:7 あざける者を戒める者は、自分が恥を受け、悪者を責める者は、自分が傷を受ける。

 

9:8 あざける者を責めるな。おそらく、彼はあなたを憎むだろう。知恵のある者を責めよ。そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。

 

9:9 知恵のある者に与えよ。彼はますます知恵を得よう。正しい者を教えよ。彼は理解を深めよう。

 

 

 

7節の人にはポイントは無い。こういう人には関わらないほうが良い。

 

 

 

たとえ耳に痛い話であったとしても・・・聞くに早い者となっていくなら、霊的に成長することが出来る。

 

 

 

聖霊は人を通して語ることが多いので、耳を傾ける。

 

 

 

9:10 主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。

 

 

 

主を恐れる人が知恵を得たり、真理を見る。

 

 

 

聖なる方を知ることは悟りである。(KJV訳):聖であることを知ることは、悟りである。

 

 

 

そして、きよく歩むことが、悟り&知恵に近い。

 

 

 

参照 マタイの福音書5:8

 

5:8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。

 

 

 

「心がきよい」とは、部屋がきれい、というようなもの。

 

 

 

祝福の方法:心が部屋とするなら・・・部屋(心)をきれいにして歩む。心がきれいでないと、神さまが来てくださらないから。

 

 

 

罪に入ってしまうと、サタンが来る。

 

 

 

罪が無い歩み=心がきよい→これは幸いなこと。神の声が聞こえる。神の考えが分かる。

 

 

 

心がきれいだと、神がグッと近付いてくださり・・・神の考えや教えが分かる。

 

 

 

エレミヤ牧師の証:心をきよくするようになり・・・徐々に神さまが教えてくださるようになった。そして、神の声が聞こえるようになった。

 

 

 

そんな風に・・・神の悟りは、心のきれいな人に与えられる。

 

 

 

9:11 わたしによって、あなたの日は多くなり、あなたのいのちの年は増すからだ。

 

 

 

聖霊の知恵が与えられると、永遠の命に近付く。そして、この世でも長生きするのかも知れない。

 

 

 

9:12 もし、あなたが知恵を得れば、その知恵はあなたのものだ。もし、あなたがこれをあざけるなら、あなただけが、その責任を負うことになる。

 

 

 

人間的な知恵ばかりだと、害を受ける。

 

 

 

神の知恵をどのように扱うか?は大事。また、「神の知恵」は、御霊の賜物のひとつなので、大いに求めていきたい。

 

 

 

9:13 愚かな女は、騒がしく、わきまえがなく、何も知らない。

 

 

 

「女」は「教会」のたとえ。「男」は、「キリスト」のこと。

 

 

 

御国の奥義で「教会」を理解するときに・・・「愚かな女」と呼ばれる教会がある。

 

 

 

愚かな歩みをしている教会の特徴:騒がしい。(色々と行事がある?)

 

 

 

でも、問題は、するべきことをしない教会がある、ということ。

 

 

 

Ex:終末のことや獣の国のことを知らない。

 

 

 

マタイの福音書に・・・「その日、悲惨なのは身重の女や乳飲み子の女」(マタイの福音書24章19節)というみことばがあり・・・柔らかい食物しか食べないのは悲惨だと言っている。

 

 

 

しかし、主によって知恵&悟りが与えられるなら、「屋上」(マタイの福音書24章17節)のことに関しても正しく理解する。

 

 

 

Ex:宮の崩壊は、第三神殿のことではなく、教会の根本的な教理が崩されることを語っている、という風に理解する。

 

 

 

9:14 彼女は自分の家の戸口にすわり、町の高い所にある座にすわり、

 

9:15 まっすぐに歩いて行く往来の人を招いて言う。

 

9:16 「わきまえのない者はだれでもここに来なさい。」と。また思慮に欠けた者に向かって、彼女は言う。

 

 

 

「教会」は招く、ということを言っている。

 

 

 

そういう教会が招くので、油断するな!と言っている。

 

 

 

「まっすぐに歩いて行く往来の人を招いて言う。」と書かれているように・・・まっすぐに歩む人を、そういう教会が招く、と言っている。

 

 

 

9:17 「盗んだ水は甘く、こっそり食べる食べ物はうまい。」と。

 

 

 

この教会で提供するのは、悪霊とか、おかしな教理。

 

 

 

9:18 しかしその人は、そこに死者の霊がいることを、彼女の客がよみの深みにいることを、知らない。

 

 

 

この教会に関わるなら、「よみ(KJV訳:地獄)」に入る。

 

 

 

結果として、滅び&よみに入る教会がある。

 

 

 

教会こそ吟味して、選ばないとダメ。

 

 

 

教会へ行って、滅びに入ることがある。

 

 

 

でも、聖霊の知恵を受けた人は悟る。