箴言15章 2016.5.29
15:1 柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。
その通り。
人さまへの言い方に気を付ける。
怒りを引き起こすような答え方をしないようにする。
15:2 知恵のある者の舌は知識をよく用い、愚かな者の口は愚かさを吐き出す。
このことばは、メッセンジャーに対して言われている。
メッセンジャーは二種類いる。→知識をよく用いる人と、愚かさを吐き出す人がいる。ちなみに、「知識」とは、信仰に関わる知識のこと。
そして、「奥義」という知識がある。御国に達する知識がある。これが無いと、どうしても天国に入れない、という知識がある。
Ex:昨日弟子の歩みの集会で学んだように・・・主を多く愛する者は多く赦され、しかし、主を少ししか愛さない者は少ししか赦されない、という霊的な原則があることを聖書は語っている。
そんな風に・・・大事なポイントについて、聖書はポツンポツンと書いてある。
そういった知識を得ていくときに、入るべき所に入る。
ゆえに、知恵のあるメッセンジャーの所へ行ったほうが良い。
しかし、一方、愚かさを吐き出すメッセージもあるので、気を付ける。
15:3 主の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている。
書かれている通りで・・・どんな所にも、主の目がある。
理不尽&誤解があっても、主が見ていてくださるので大丈夫。
15:4 穏やかな舌はいのちの木。偽りの舌はたましいの破滅。
穏やか(KJV訳):健全
このことは、メッセージや説教に関して言われている。
教会やメッセンジャーを選ぶべき。
そして、健全なみことばのメッセージは、天の御国に通じる。
15:5 愚か者は自分の父の訓戒を侮る。叱責を大事にする者は利口になる。
天の父なる神の叱責があり、色々と指示をしたり、教えてくださる。
天の父の叱責&教えは正しいので、又、私たちよりも思いが高いので、そのことに耳を傾ける。
でも、侮ると、愚か者と見なされてしまう。
天の父が訓戒をしているときに聞き入れて、行っていくときに、御国に入る。
しかし、聞かないと、霊的に成長出来なくなる。
そして、天の父なる神の訓戒や叱責に関しては、パターンがある。
エレミヤ牧師の証:私(エレミヤ)も、天の父なる神に聞くようにしている。最近、「奉仕者が与えられないのは、なぜでしょうか?」と聞いたところ、「それは求めないからだ。」という主からの声が来た。
そんな風に・・・父なる神が語られることがポツンポツンとあるので、聞く習慣を身に付けていきたい。
15:6 正しい者の家には多くの富がある。悪者の収穫は煩いをもたらす。
「家」は、「教会」を指すたとえ。
主の前に正しくないと、「収穫」がトラブルになってしまう。
15:7 知恵のある者のくちびるは知識を広める。愚かな者の心はそうではない。
結構大事な知識があるので、知識は広めるべき。
聖霊の知恵があるときに、神からの知識と言われるメッセージが与えられる。
15:8 悪者のいけにえは主に忌みきらわれる。正しい者の祈りは主に喜ばれる。
いけにえ:賛美、奉仕、メッセージ
神にメッセージを語るたびに、忌み嫌われるメッセンジャーがいる。
しかし、正しく祈っていくなら、喜ばれる。
15:9 主は悪者の行ないを忌みきらい、義を追い求める者を愛する。
行ない(KJV訳):道
クリスチャンであっても・・・「悪者の道」がある。
15:10 正しい道を捨てる者にはきびしい懲らしめがあり、叱責を憎む者は死に至る。
書かれている通りで・・・神からの厳しいムチ打ちが来たとしても、大事な選択なので、心を頑なにせずに、聞き入れていきたい。
15:11 よみと滅びの淵とは主の前にある。人の子らの心はなおさらのこと。
主の前にある。(70人訳):主の前に明らかである。
人の子らの心はなおさらのこと。(70人訳):人の心はどうか?
黄泉とか滅びに関して、人はあまり真面目に考えないかも知れない。でも、主の前には、それは明らか。
しかし、人の前には、黄泉とか滅びは明らかではない。
主の前に、耳を傾けていくことが大事。
15:12 あざける者はしかってくれる者を愛さない。知恵のある者にも近づかない。
15:13 心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ。
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15:14 悟りのある者の心は知識を求めるが、愚かな者の口は愚かさを食いあさる。
この世の知識も良いが・・・しかし、天国に入るための必須の知識がある。
御国に入るための知識が、聖書の中にポツンポツンと書かれている。
それは、聖書の読み込みの中で与えられる。
15:15 悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。
こういうことがある。
そして、心は、「宴会」に近いほうが良い。
15:16 わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。
恐慌(KJV訳):トラブル
財宝:信者
正しく歩んだほうが良い。
15:17 野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。
教会に関して、憎み合うのは良くない。
15:18 激しやすい者は争いを引き起こし、怒りをおそくする者はいさかいを静める。
教会の中で、「争い」がある。
すぐに血が上るのはダメ。怒りが遅い歩みに御心がある。
15:19 なまけ者の道はいばらの生け垣のよう。実直な者の小道は平らな大路。
実直な者(KJV訳):正しい者
怠けていると、とんでもない道に入ってしまう。
正しい道を選ぶことにポイントがある。
15:20 知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな者はその母をさげすむ。
聖霊の知恵によって悟っていく人は、父を喜ばせる。
15:21 思慮に欠けている者は愚かさを喜び、英知のある者はまっすぐに歩む。
主の前に悟りの無い人は、愚かなことを喜ぶ。
主に悟りが与えられるなら、正しい道に入る。
15:22 密議をこらさなければ、計画は破れ、多くの助言者によって、成功する。
密議をこらさなければ、計画は破れ、多くの助言者によって、成功する。(KJV訳):カウンセリング無しで、目的は達成出来ない。しかし、多くのカウンセラーにより、それは立つ。
「カウンセリング」とは、「聖霊のカウンセリング」のこと。そして、聖霊の導きや助言無しで、達成出来るとはかぎらない。
聖霊とよくカウンセリングをする。そして、聞いて、教えていただき、従うときに成功する。
聖霊に聞くときに、なすべき方向性を教えていただける。聖霊がどのように語っているか?
15:23 良い返事をする人には喜びがあり、時宜にかなったことばは、いかにも麗しい。
良い返事をする人には喜びがあり、時宜にかなったことばは、いかにも麗しい。(70人訳):悪い者は、決してカウンセルしない。その上、時に叶ったことも言わず、皆のためになることも言わない。
「悪い者」とは、メッセンジャーや牧師のこと。そして、「カウンセルしない」とは、聖霊に聞かない、という意味。
15:24 悟りのある者はいのちの道を上って行く。これは下にあるよみを離れるためだ。
悟りのある者はいのちの道を上って行く。これは下にあるよみを離れるためだ。(70人訳):賢い者の考えは、命の道にある。それにより、彼は地獄を避け、上る。
賢い人がいつも思い起こすのは、命の道のこと。そのことに思いを馳せ、そして、地獄を免れる。
「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイの福音書16章26節)と書かれているように、「永遠の命」を得ることはとても大事。そして、命の道を考えるときに、命の道をゲットする。
15:25 主は高ぶる者の家を打ちこわし、やもめの地境を決められる。
主の前に高ぶる教会は、破壊してしまう。
しかし、やもめとして歩むときに、入るべき道が守られる。
やもめとして歩んでいくなら、「これ以上先に行ってはいけませんよ。」なんていう風に、神さまが教えてくださる。
15:26 悪人の計画は主に忌みきらわれる。親切なことばは、きよい。
悪人の計画(KJV訳):邪悪な者の心
親切なことばは、きよい。(KJV訳):純粋な心は、心地よい。
15:27 利得をむさぼる者は自分の家族を煩わし、まいないを憎む者は生きながらえる。
その通りで・・・「まいない」、すなわち、わいろは良くない。
15:28 正しい者の心は、どう答えるかを思い巡らす。悪者の口は悪を吐き出す。
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15:29 主は悪者から遠ざかり、正しい者の祈りを聞かれる。
悪者として歩むときに、神は遠くなる。恵みが無い。
でも、正しいと祈りが聞かれ、恵みがある。
15:30 目の光は心を喜ばせ、良い知らせは人を健やかにする。
目の光は心を喜ばせ、良い知らせは人を健やかにする。(70人訳):正しく見える目は、心を喜ばす。良い知らせは、骨を太らせる。
大事なことは、正しく見える目。このことは、益になり、心を喜ばす。
15:31 いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る。
命に至る叱責を聞く耳を持っていたほうが良い。
15:32 訓戒を無視する者は自分のいのちをないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る。
クリスチャン生活の間で、神の叱責をきちんと聞いていくことは大事。
15:33 主を恐れることは知恵の訓戒である。謙遜は栄誉に先立つ。
主を恐れる人は、知恵を得る。
レムナントキリスト教会
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