詩篇18篇 2013.8.4



 



18:1 彼はこう言った。主、わが力。私は、あなたを慕います。



18:2 主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。



18:3 ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。



艱難時代に入った時に、敵に追いかけられる



しかし敵から救われる



 



18:4 死の綱は私を取り巻き、滅びの川は、私を恐れさせた。



18:5 よみの綱は私を取り囲み、死のわなは私に立ち向かった。



18:6 私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。



ダビデはサタンに追いかけられてあっちの洞窟、こっちの洞窟に逃げた



しかしダビデは助けられた



たしかに艱難は来る、しかし主は神の民を守る、救うのが主からのメッセージ



Ex:フィラデルフィヤの教会



参照 黙示録3:810



3:8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。



3:9 見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。



3:10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう



ダニエル書にも通じる



ダニエルの三人の友人は金の像を拝むことを否んだために火の炉に投げ入れられた、しかし助けられた



艱難時代、正しいクリスチャンが一人も残らないというのが聖書の結論ではない



私たちも艱難時代にかぎらず、問題があったときに主に助けを求めていく



Ex:トロントのビデオ→はじめは攻撃があった、しかしのちに多くの人に理解してもらえた→約500枚製作し、ほぼ完売→多くの人が助けられたり、真理を見たりした



敵が来ても、主に呼び求めて救われることを見ていく



 



18:7 すると、地はゆるぎ、動いた。また、山々の基も震え、揺れた。主がお怒りになったのだ。



18:8 煙は鼻から立ち上り、その口から出る火はむさぼり食い、炭火は主から燃え上がった。



神の怒りによって山が動く→不義の神の民や教会の土台が動かされてしまう



今のキリスト教会は根本が違う、基本の基本が違う



Ex:神はクリスチャンであれば誰も裁かない→もっとも根本的なことが間違えている



正しくみことばにつくなら幸い



しかし多くのクリスチャンは勘違いに入っている



 



18:9 主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。



これは再臨のこと



未来の日、特に艱難時代の預言



キリストの再臨の一面について



艱難時代にキリストの再臨の一面はキリストの救い、助けに来る



艱難時代に私たちは追いかけられる



しかし危機一髪の時に、主は来てくれる



二度目は救いのために来られる



参照 へブル人への手紙9:28



9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです



主は絶体絶命の時に来られる



ゆえに失望してはいけない



Ex:不正な裁判官



参照 ルカ18:18



18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。



18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。



18:3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。



18:4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、



18:5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。』と言った。」



18:6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。



18:7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか



18:8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」



主は速やかに裁いてくださる、しかし8節に書かれているように艱難時代は多くのクリスチャンが信仰を失ってしまっていると思われる、ゆえに堪え性の無い者になってはダメ



艱難時代の期限のことを聖書は何箇所かにわたって言っている→三年半



Ex:三日半、半週、42ヶ月、1260日、ひと時とふた時と半時



色々な形で表現している



なぜ期限のことを言っているのか?→人は期限が定まっていないと絶望してしまうから



艱難時代の始まりもきっと分かる、契機になるようなことが起こるのでは?



神はそういうことをもくろんで、このように書いた



人間は期限が分からない我慢はできない



主が信頼できる方だということを今から学ぶ、今からそういう積み重ねをしていく



艱難時代は信仰を捨てる人が多く、反キリストを拝んでしまうから



 



18:10 主は、ケルブに乗って飛び、風の翼に乗って飛びかけられた。



18:11 主はやみを隠れ家として、回りに置かれた。その仮庵は雨雲の暗やみ、濃い雲。



18:12 御前の輝きから、密雲を突き抜けて来たもの。それは雹と火の炭。



18:13 主は天に雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられた。雹、そして、火の炭。



霊的な災いが御心ではない教会を襲う



 



18:14 主は、矢を放って彼らを散らし、すさまじいいなずまで彼らをかき乱された。



御心でない教会はかき乱される



 



18:15 こうして、水の底が現われ、地の基があらわにされた。主よ。あなたのとがめ、あなたの鼻の荒いいぶきで。



聖霊の働きがなくなってしまう



 



18:16 主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕え、私を大水から引き上げられた。



正しく歩む人は霊的な災いから引き上げられる



 



18:17 主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。



強い敵(Ex:律法学者、パリサイ人)



クリスチャンが敵になってもそういう人から救い出される



 



18:18 彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、主は私のささえであった。



クリスチャンが災いになっても主が助けになる



 



18:19 主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。



18:20 主は私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさにしたがって私に償いをされた。



艱難時代の時は良くも悪くもクリスチャンが選り分けられる



正しく歩むなら義に従って主から正しい報いを得る



今からこのことを学ぶ



主が歩みをご覧になって報いをくださる→いつも主の声に聞き従うことにポイントがある



 



18:21 私は主の道を守り、私の神に対して悪を行なわなかった。



18:22 主のすべてのさばきは私の前にあり、主のおきてを私は遠ざけなかった。



18:23 私は主の前に全く、私の罪から身を守る。



18:24 主は、私の義にしたがって、また、御目の前の私の手のきよさにしたがって私に償いをされた。



18:25 あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、



18:26 きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。



これも事実



良い面でも悪い面でも神は鏡のようなお方



 



18:27 あなたは、悩む民をこそ救われますが、高ぶる目は低くされます。



18:28 あなたは私のともしびをともされ、主、私の神は、私のやみを照らされます。



18:29 あなたによって私は軍勢に襲いかかり、私の神によって私は城壁を飛び越えます。



18:30 神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。



18:31 まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。



18:32 この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。



18:33 彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。



18:34 戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。



主にあってどんどん訓練され、小さいことにもあまりこだわらずにタフになっていく



 



18:35 こうしてあなたは、御救いの盾を私に下さいました。あなたの右の手は私をささえ、あなたの謙遜は、私を大きくされます。



18:36 あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした。



18:37 私は、敵を追って、これに追いつき、絶ち滅ぼすまでは引き返しませんでした。



18:38 私が彼らを打ち砕いたため、彼らは立つことができず、私の足もとに倒れました。



18:39 あなたは、戦いのために、私に力を帯びさせ、私に立ち向かう者を私のもとにひれ伏させました。



18:40 また、敵が私に背を見せるようにされたので、私は私を憎む者を滅ぼしました。



戦いにおいてもだんだんと強められていく



 



18:41 彼らが叫んでも、救う者はなかった。主に叫んでも、答えはなかった。



18:42 私は、彼らを風の前のちりのように、打ち砕き、道のどろのように除き去った。



正しく歩むのは非常に大事



歩みが正しくないときに、41節のことが成就してしまう



主の憐れみがあるうちに悔い改めるべきところは悔い改めていきたい



 



18:43 あなたは、民の争いから、私を助け出し、私を国々のかしらに任ぜられました。私の知らなかった民が私に仕えます。



18:44 彼らは、耳で聞くとすぐ、私の言うことを聞き入れます。外国人らは、私におもねります。



18:45 外国人らはしなえて、彼らのとりでから震えて出て来ます。



18:46 主は生きておられる。ほむべきかな。わが岩。あがむべきかな。わが救いの神。



18:47 この神は私のために、復讐する方。神は諸国の民を私のもとに従わせてくださる。



18:48 神は、私の敵から私を助け出される方。まことに、あなたは私に立ち向かう者から私を引き上げ、暴虐の者から私を救い出されます。



18:49 それゆえ、主よ。私は、国々の中であなたをほめたたえ、あなたの御名を、ほめ歌います。



18:50 主は、王に救いを増し加え、油そそがれた者、ダビデとそのすえに、とこしえに恵みを施されます。



正しく歩んでいくときに、だんだんと主によって高く上げられていったりする



主が用いてくださるので真理を見たり正しいことを教えられる人がいる



正しく主のことを守っていくときに誉れが与えられる