詩篇25篇 2013.9.22

 

25:1 主よ。私のたましいは、あなたを仰いでいます。

25:2 わが神。私は、あなたに信頼いたします。どうか私が恥を見ないようにしてください。私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください。

25:3 まことに、あなたを待ち望む者はだれも恥を見ません。ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。

主に信頼することにポイントがある→栄光を見る

色々なことに従っていく

 

25:4 主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。

25:5 あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。

神ご自身の中に救いがある

入るベき、行くべき道は教えてもらわないとダメ、自分では見出せない

本当の道、命に至る道は神が教えてくれないと分からない、しかし神が教えてくれたら分かる

永遠の命の道→分かりづらい、しかしちゃんと見出したい、きちんと求めていきたい

主に従っていくときに教えてくださる

イエス・キリストのような歩みが模範

参照 へブル12:2

12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

主の歩み→命に至る道

主の歩みを真似していくことにポイントがある

この世で保留するものがあったら最後でずっこける

形勢が悪くても従うことに御心がある

たとえ命を犠牲にしても、得るべきものを得る→これが小道、皆が見出さない道

地上の評判は皆取られる、誰も味方はいない、それでも従うか?そこを通っていくのが命に至る道

プライド、評判、地位を持っていると、最後にずっこける→サタンはそこをついてくる

それに打ち勝つなら、重い栄光を受ける

皆が通るわけではなく、欲している道でもない

私たちが本当に聞くつもりがあるなら教えてくださる

人間の常識とかけ離れているので、神に聞かないと分からない

多くのクリスチャンは自分の常識に従っている、ゆえに広い道を歩んでいると言える

 

25:6 主よ。あなたのあわれみと恵みを覚えていてください。それらはとこしえからあったのですから。

25:7 私の若い時の罪やそむきを覚えていないでください。あなたの恵みによって、私を覚えていてください。主よ。あなたのいつくしみのゆえに。

25:8 主は、いつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。

罪があっても求めていくなら教えてくださる

 

25:9 主は貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の道を教えられる。

25:10 主の小道はみな恵みと、まことである。その契約とそのさとしを守る者には。

大事な道、入るべき道は主に聞くなら教えてもらえる

自分の常識、聖書のパターンに聞くなら、間違えてしまう

貧しい:心が貧しい、穏やか、謙虚、そういう人に教えてくださる

謙虚な歩みをしていくときに、必要なことを教えてもらえる

祈り求めていくときに大事な道を示してくださる

 

25:11 主よ。御名のために、私の咎をお赦しください。大きな咎を。

25:12 主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。

主を恐れていくときに歩むべき道を教えてもらえる

 

25:13 その人のたましいは、しあわせの中に住み、その子孫は地を受け継ごう。

主が道を教えてくださるときに、だんだん幸せの中に入っていく

 

25:14 主はご自身を恐れる者と親しくされ、ご自身の契約を彼らにお知らせになる。

主はご自身を恐れる者と親しくされ(KJV):主の秘密は彼らと共にあり

聖書の一つの特徴:万人に開かれた書ではない、すべての人にオープンな書ではない

しかし弟子には奥義やたとえを示された→弟子の歩みにポイントがある

聖書に「秘密」という類いがある

きちんと理解するか否かで差が出る

特別に示されないと分からない秘密がある

大事な(命に関わる)秘密は分かったほうが良い、示されたほうが良い

本当の真理なら開かれていく、そして徐々に広まっていく

ある種の人々に神は秘密をあらわす、このことは尊い

 

25:15 私の目はいつも主に向かう。主が私の足を網から引き出してくださるから。

:罠の網

罠や網に入っても私たちを助けてくださる

教会の真ん中にサタンが入ってくる→聖書が明らかに語っている真理

牧師は一生懸命働きをしている、しかし所々罠、網のようなことがある

いくつかの罠がある

Ex:ブラザレン系の教会は牧師や神父を教会内においてはいけないという教え→みことばに反する、結果として権威、秩序がおかしくなっていく、ちゃんとしたメッセージが無い

しかし主に聞いていく中で正しい方向を示してもらえた

罠はある

網がかかる前提→変なこだわり、惑わしがある

しかし主にあって抜け出せる、にっちもさっちもいかなくても主に聞いていく

 

25:16 私に御顔を向け、私をあわれんでください。私はただひとりで、悩んでいます。

25:17 私の心の苦しみが大きくなりました。どうか、苦悩のうちから私を引き出してください。

25:18 私の悩みと労苦を見て、私のすべての罪を赦してください。

25:19 私の敵がどんなに多いかを見てください。彼らは暴虐な憎しみで、私を憎んでいます。

主に従っていくときに色々な憎しみを受ける

 

25:20 私のたましいを守り、私を救い出してください。私が恥を見ないようにしてください。私はあなたに身を避けています。

25:21 誠実と正しさが私を保ちますように。私はあなたを待ち望んでいます。

25:22 神よ。イスラエルを、そのすべての苦しみから贖い出してください。

世にあって苦しみ、困難が来る、しかし一つ一つ主の助けを期待していきたい