詩篇36篇 2013.12.8

 

36:1 罪は悪者の心の中に語りかける。彼の目の前には、神に対する恐れがない。

罪は悪者の心の中に語りかける:「罪」が習慣になっていくときに、その人の心に正当化することを語ってくる→「罪」を犯したら、その都度「罪」を告白し、悔い改める

「罪」は、色々と心の中に語りかける、正しいように言ってくる

彼の目の前には、神に対する恐れがない:どんどん「罪」が語りかけられるにつれて、神への恐れがなくなり、やりたい放題行うようになる

隠れた思いや行いの中で、「罪」への恐れがなくなっていく

神への恐れがないときに、インチキな教理を受け入れてしまう

神に対して健全な恐れを持っていくのが正しい

 

36:2 彼はおのれの目で自分にへつらっている。おのれの咎を見つけ出し、それを憎むことで。

おのれの咎を見つけ出し(KJV):咎が見えるようになるまで

自分で自分の「罪」に対して寛容、許容している、周囲にもそれが分かるまで自分を甘やかしている

「罪」に関して、都合の良いようにだましたりということがある

聖書が自分の都合の良いように読めてしまう

Ex:セカンドチャンス、艱難前携挙説

「罪」は心に語りかけてきて、自分の都合の良いように言ってくる

 

36:3 彼の口のことばは、不法と欺きだ。彼は知恵を得ることも、善を行なうこともやめてしまっている。

「罪」に惑わされていくときに、「不法と欺き」になってしまう、牧師でもそうなる可能性がある 

Ex:福音の総合理解→「たしかに聖書にはそう書いているけど、しかし、行わなくて良い」という教え

キリスト教会の色々な教理の中に、欺きが入ってきている

たとえ神の名で語っていたとしても、欺きということがある

知恵を得なければいけない→終末や謎の解き明かしをするため

Ex:ダニエルは知恵を求めた

 

36:4 彼は寝床で、不法を図り、よくない道に堅く立っていて、悪を捨てようとしない。

こういう頑固なクリスチャンがいる

 

36:5 主よ。あなたの恵みは天にあり、あなたの真実は雲にまで及びます。

36:6 あなたの義は高くそびえる山のようで、あなたのさばきは深い海のようです。あなたは人や獣を栄えさせてくださいます。主よ。

書かれている通り

 

36:7 神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。

36:8 彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。

神の御翼の陰に隠れるのが正しい

正しく従っていくときに、聖霊(飲む)を受け入れるようになる

 

36:9 いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。

いのちの泉:聖霊の「泉」「泉」は神ご自身

祈る人は聖霊に触れる

神の(霊的なこと、真理の光)のうちに、「光」を見るということを覚える

神のを求めるなら、「光」を見る

神の中で、正しい「光」を見る

真に祈り求め、聖書を読むことに忠実なら、神の「光」がくる

神に近付いていく中で、「光」を見る

 

36:10 注いでください。あなたの恵みを、あなたを知る者に。あなたの義を、心の直ぐな人に。

神を知る者には、恵みがくる

この世の人、多くのクリスチャンの問題:神を知らない、ゆえに何が起きているのかが分からない

神を知る:真の意味で色々な祝福を受ける

でも、今のクリスチャンやキリスト教会は、御心とズレたことを言っている

しかし、神を知ることに大きなポイントがある

 

36:11 高ぶりの足が私に追いつかず、悪者の手が私を追いやらないようにしてください。

このように祈る

 

36:12 そこでは、不法を行なう者は倒れ、押し倒されて立ち上がれません。

不法を行なう者(KJV):不法の働き人、不法の奉仕者

こういう類い(不法)働き人がいる、この概念はとらえる

そのようにしていく(不法を行なう)ときに、倒れてしまう

神の働きを担うのは一面感謝、でも、全然違う教理を語る時に、倒れたり、恥を受けたりして、働きが続かなくなってしまう

そういう意味で、牧師はサバイバル戦

正しくないときに、倒れたり、続かなくなってしまう

不法だと倒れてしまう

しかし罪があっても、正しく悔い改めていくときに、神からの憐れみがある

神のことばを恐れ、正しく歩むなら、主の奉仕を続けていける