詩篇37篇 2013.12.15

 

37:1 悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。

不正を行なう者(KJV):不正の働き人→奉仕に関連する

本日の午前の礼拝(Ⅰテモテ6章)にて学んだように、みことばに対してイチャモンをつける奉仕者が増えている

しかし、それに対して腹を立てたり、妬みを起こしたりしてはいけない

なぜか?・・・そういう教会(不正な働きをしている教会)にかぎって、信者の数が多いから

おかしな教理を言っている教会のほうが、実際のところ人が増えている

しかし、そういうことに腹を立てたり、妬みを起こしたりしてはダメ

 

37:2 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。

そういう働き(不正な働き)は、結局続かない

 

37:3 主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。

37:4 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

神の御心を行ったり、主の願いを優先するなら、祈りが応えられたり、働きが実現したりする

御心を行う時に、心の願いを叶えてくださる

 

37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

働きはすべて祈りによってなされる、進められる

 

37:6 主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。

正しくなっていく

「真昼」は、光が一番よく見える時

正しくなっていくときに、「真昼」のように色々な関係が見える、場合によっては、人のことや嘘とかも分かる、そして大事な光が来る

 

37:7 主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。

インチキの教理のほうが、人が増えている Ex:カトリック

そういうことを見て腹を立てず、耐え忍んで主を待つ、そして正しいことを行っていく

 

37:8 怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。

怒っていたらダメ

 

37:9 悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。

この章のポイント:「地を受け継ぐ」こと

「地」について、参考までに

参照 マタイの福音書5:5

5:5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。

今の世に対して、神が人を選別することが行われている

Ex:賢い花嫁VS愚かな花嫁、良い魚VS悪い魚、良い麦VS毒麦

正しく行っていく人は、地を受け継ぐ

しかし、ある人はボロが出る

けれども残念ながら、今の時代、正しく行っていく人は、一般受けはしない

しかし、人から喝采を受けようと受けまいと、正しく歩む人が地を受け継ぐ

そうでない人は断ち切られる(永遠の命ゲットに失敗する)→一番の損失

この地(御国)をゲットすることにポイントがあり、それがベスト

2つ良いことはない、両方良いことはない、2つ求める時に虻蜂取らずになり、永遠の命ゲットがおろそかになる

ゆえにもっとも大事なことを優先する

ひたすら主に仕えることに専念する

 

37:10 ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。

37:11 しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。

11節に書かれていることは、先の福音書のみことば「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです」と同じことば

また、10節「ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる」と書かれているように、私たちの人生はほんのしばらく

ゆえに不正なみことばを語ったりする人は繁栄しているようで、この世に生きている間のみ繁栄しているだけで、後の世は受け継がない

しかし、後の世を受け継ぐことにポイントがある

今の時代に圧迫されたり、迫害されたりしても、正しく残るかどうか?が大事

そのことを基準に、神は後の世を受け継ぐ人を選ばれる、ゆえにこの世のことだけを考えていてはダメ

そういうクリスチャンが多い、でも、永遠の悔いを残さないように気を付ける

 

37:12 悪者は正しい者に敵対して事を図り、歯ぎしりして彼に向かう。

正しい人は憎まれる

イエスさまもそうだった、群衆は熱狂的にイエスを十字架につけるよう、ピラトに要求した

参照 ヨハネの福音書19:15

19:15 彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」

 

37:13 主は彼を笑われる。彼の日が迫っているのをご覧になるから。

正しくないことをしている時に、滅んでしまう

 

37:14 悪者どもは剣を抜き、弓を張った。悩む者、貧しい者を打ち倒し、行ないの正しい者を切り殺すために。

37:15 彼らの剣はおのれの心臓を貫き、彼らの弓は折られよう。

「剣」は、みことばのたとえ

「行ないの正しい者を切り殺すために、剣を抜いた」と言われているように、正しい人は、みことばのことで攻撃される

でも、おかしな教理を掴んでいる人は、それが仇になって滅んでしまう

たとえば「艱難前携挙説」は、艱難のための備えをしないため、命(永遠の命)が危ない

そして結局のところ、私たちの戦いはサタン

参照 エペソ人への手紙6:12

6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

サタンがクリスチャンの永遠の命を妬み、おかしな教理に入るように色々と画策したり、物騒なことをしたりするのは事実

昔からそう、エバもそうだった→神から取っては食べてはいけないと言われた木から実を取って食べて、永遠の命から外れてしまった

今もサタンは教会の真ん中にいて、剣を用いる

どんな場合でも、サタンが剣を持ってくる

しかし、正しい人は守られる、反対に歩みが正しくないと、倒される

 

37:16 ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる。

クリスチャンのすべての人が、そう思っているかどうかは分かりませんが・・・たとえことばに出さなくても、もしかしたら気持ちの奥底では、「教会に人が沢山来たほうがいい」という思いがあるのでは?

でも、ここで言われているように、わずかなものは、多くの豊かさにまさる

永遠の命に直結するものにポイントがある

 

37:17 なぜなら、悪者の腕は折られるが、主は正しい者をささえられるからだ。

(省略)

 

37:18 主は全き人の日々を知っておられ、彼らのゆずりは永遠に残る。

ゆずり:ゆずりの地、永遠の住まい

永遠の命を獲得することにポイントがある

ここで2種類の人について言われている→不正を行って永遠の命を失う人と、正しく歩んでゲットする人について

 

37:19 彼らはわざわいのときにも恥を見ず、ききんのときにも満ち足りよう。

悪い時でも正しく歩むなら、真理を見、恥を見ない

今はみことばのききん、でも、満ち足りる

 

37:20 しかし悪者は滅びる。主の敵は牧場の青草のようだ。彼らは消えうせる。煙となって消えうせる。

後の世を継がない人についてのことを言っている

今の世においてどう歩むか?は、とても大事

神の前の悪者→みことばに対して正しく行わない人

 

37:21 悪者は、借りるが返さない。正しい者は、情け深くて人に施す。

悪者からは命のパンが来ない

しかし幸い、レムナントキリスト教会は、神の恵みによってわずかでも施をさせていただいている

Ex:HP&NL&セミナー&出版等の働き

 

37:22 主に祝福された者は地を受け継ごう。しかし主にのろわれた者は断ち切られる。

今の時代をどんな風に歩むか?によって、クリスチャンであっても、結果が大きく変わる

クリスチャンでも、不正や悪を行う人は、地を受け継がない

 

37:23 人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。

人の歩みは主によって確かにされる(KJV):主の道が用意される

正しく歩むなら、神によって用意される、そしてその歩みを神は喜ばれる

 

37:24 その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。

正しく歩んでも、倒れることがある

多少は罪があるし、倒れることがある

でも、たとえ倒れたとしても、誠実な歩みをしていくときに倒れ方が違う

たしかに倒れないのがベストなのかもしれない、しかし惑わしや罪があるゆえに倒れてしまう、しかし倒れ方はひどくはない→神の助けがあり、致命的な傷を負わない、倒れても恵みがある

主の憐れみが、正しく歩んでいる人には来る

私たちに歩みによって、神はえこひいきされる

 

37:25 私が若かったときも、また年老いた今も、正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。

37:26 その人はいつも情け深く人に貸す。その子孫は祝福を得る。

37:27 悪を離れて善を行ない、いつまでも住みつくようにせよ。

 (省略)

 

37:28 まことに、主は公義を愛し、ご自身の聖徒を見捨てられない。彼らは永遠に保たれるが、悪者どもの子孫は断ち切られる。

悪者は消え去って、後の世、神と共に住まない

この章(詩篇37篇)は、悪者が後の世にいないことを繰り返し語っている

「永遠に保たれる」とは、永遠の世界についてのこと

今は試用期間、神が、本当に永遠の命にふさわしいかどうか?について、個々におけるクリスチャンの様子を見る時

そういった意味合いで、「クリスチャン人生」は、「神の前のトライアル期間」とも言える

 

37:29 正しい者は地を受け継ごう。そして、そこにいつまでも住みつこう。

(省略)

 

37:30 正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。

私たちが正しいなら、大事な知恵が与えられる

神の裁き(公義)が、後の世にある

参照 へブル人への手紙9:27

9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

お一人一人は善であれ、悪であれ、死後、「裁きの座」に着く

その時に、ある人は「正しい」と判断され、ある人は「悪い」と判断される

 

37:31 心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。

みおしえ:みことばの御教え、ゆえに聖書を読むことは大事

 

37:32 悪者は正しい者を待ち伏せ、彼を殺そうとする。

37:33 主は、彼をその者の手の中に捨ておかず、彼がさばかれるとき、彼を罪に定められない。

サタンに悪く用いられる人やサタンがいる

艱難時代がまさにそう・・・ではあっても、33節に書かれているように、正しい者は罪に定められない

 

37:34 主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。

主の言われた「その道」(命に至る狭い道)を守る、そうすると、「地を受け継ぐ」

後の世、「地」(御国)を受け継ぐ人のことと、悪者が後の世に命がないことについて、この章(詩篇37篇)は繰り返し語っている

 

37:35 私は悪者の横暴を見た。彼は、おい茂る野生の木のようにはびこっていた。

悪者が栄えるのは、ほんの短い間

 

37:36 だが、彼は過ぎ去った。見よ。彼はもういない。私は彼を捜し求めたが見つからなかった。

悪者はこの世だけで永続しない、ゆえに正しく歩むことが大事

 

37:37 全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。

まっすぐに歩むことにポイントがある

 

37:38 しかし、そむく者は、相ともに滅ぼされる。悪者どもの子孫は断ち切られる。

悪者の最後は断ち切られる

 

37:39 正しい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。

「主から救いが来る」と言われているので、主に祈る、何かトラブルがあっても主に祈る

 

37:40 主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。彼らが主に身を避けるからだ。

私たちクリスチャンが日々捧げる「主の祈り」の中で、「我らを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」とあるように、本当の「悪」はサタン、そしてサタンが色々な罠を仕掛けてくる

多くのクリスチャンは、本当に主に信頼しないゆえに、実際には悪魔のヒモになって生きている、そして惑わしに入っている Ex:艱難前携挙説を掴んでいる人

しかし、正しく歩むなら、インチキな教理を掴んでいても、そこから解き放たれる、そして永遠の命に近づいていく

人の前ではなく、神の前に正しく歩む時に正しい光が与えられ、真の意味合いで得るべき永遠の命をゲットする