詩篇44篇 2014.2.2

 

 

 

44:1 神よ。私たちはこの耳で、先祖たちが語ってくれたことを聞きました。あなたが昔、彼らの時代になさったみわざを。

 

44:2 あなたは御手をもって、国々を追い払い、そこに彼らを植え、国民にわざわいを与え、そこに彼らを送り込まれました。

 

44:3 彼らは、自分の剣によって地を得たのでもなく、自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたの御顔の光が、そうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです。

 

神によって先祖たちの地を取った

 

ただ神の手によって勝利を得た

 

霊的、信仰的にもそう

 

新約のクリスチャンに対して、このことは事実

 

主に命じられたことを占領していく

 

主の腕が成すという視点に立って歩んでいくときに実現する

 

信仰において占領していかなければいけない

 

Ex:出版の働き

 

主の助けによって働きが進んでいく

 

 

 

44:4 神よ。あなたこそ私の王です。ヤコブの勝利を命じてください。

 

44:5 あなたによって私たちは、敵を押し返し、御名によって私たちに立ち向かう者どもを踏みつけましょう。

 

44:6 私は私の弓にたよりません。私の剣も私を救いません。

 

44:7 しかしあなたは、敵から私たちを救い、私たちを憎む者らをはずかしめなさいました。

 

44:8 私たちはいつも神によって誇りました。また、あなたの御名をとこしえにほめたたえます。セラ

 

正しく主についていくときに勝利を取る、敵が恥を見る

 

大きな罠や問題はくる、しかし主にあって勝利を得ていく

 

しかしこれは一面のことで・・・単にそれだけでなく、罵りや嘲りもある

 

あれも事実、これも事実

 

自分の願いが叶えられたと、良い部分しか見ないのは良くない

 

主は良いところだけを真似をしろ!とは言っていない、全体を見ろ!と言っている

 

私たちはどっちも通る

 

 

 

44:9 それなのに、あなたは私たちを拒み、卑しめました。あなたはもはや、私たちの軍勢とともに出陣なさいません。

 

44:10 あなたは私たちを敵から退かせ、私たちを憎む者らは思うままにかすめ奪いました。

 

44:11 あなたは私たちを食用の羊のようにし、国々の中に私たちを散らされました。

 

こういうような時もある

 

悪いことをしたならともかく・・・そうでもないということもある

 

弟子たちが散らされ、主は困難も通った

 

そういう一面がある

 

敵に勝利するのも一面、しかし敵によって嫌な目に会ったり、困難に会うのも一面

 

 

 

44:12 あなたはご自分の民を安値で売り、その代価で何の得もなさいませんでした。

 

44:13 あなたは私たちを、隣人のそしりとし、回りの者のあざけりとし、笑いぐさとされます。

 

44:14 あなたは私たちを国々の中で物笑いの種とし、民の中で笑い者とされるのです。

 

44:15 私の前には、一日中、はずかしめがあって、私の顔の恥が私をおおってしまいました。

 

44:16 それはそしる者とののしる者の声のため、敵と復讐者のためでした。

 

敵によって笑い者とされることがある

 

民の中で笑い者とされる(KJV):民の中で頭を振る

 

主の生涯で関係のある箇所がある

 

参照 マタイの福音書27:39,40

 

27:39 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、

 

27:40 言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」

 

主が十字架にかかる時に成就した

 

神の働きのために非難される

 

一番弱っている時にぎゃふんということを言われる

 

たしかに用いられているのは人、しかし敵がバックにいて、的確な非難をされる

 

神の働きを担う時にカッコイイ面もある Ex:山上の垂訓、五千人の給食

 

しかし、それのみではない

 

敵がどんどん出てきて憎しみに会って、苦難に会う、しかもそういう時に拍車をかけて言ってくる

 

主は現にこういうところを通られた

 

私たちも主を仰ぎ見て歩んでいくときに、あれもこれも経験する

 

嫌味や意地悪を受けたりする、このことは正しく理解する

 

主イエスはどちらも淡々とこなした

 

誉められるものも、そうでないものもやっていく

 

私たちもどちらもこなす

 

そんなものだと覚悟を決めないと、どこかでつまずく

 

そういうことも奉仕の一環

 

そんなものだと思うなら、びっくりしない

 

 

 

44:17 これらのことすべてが私たちを襲いました。しかし私たちはあなたを忘れませんでした。また、あなたの契約を無にしませんでした。

 

44:18 私たちの心はたじろがず、私たちの歩みはあなたの道からそれませんでした。

 

44:19 しかも、あなたはジャッカルの住む所で私たちを砕き、死の陰で私たちをおおわれたのです。

 

 

 

 

44:20 もし、私たちが私たちの神の名を忘れ、ほかの神に私たちの手を差し伸ばしたなら、

 

44:21 神はこれを探り出されないでしょうか。神は心の秘密を知っておられるからです。

 

そうであっても、他の神を頼ることにポイントはない

 

ヨブのように私たちも試しを通る

 

 

 

44:22 だが、あなたのために、私たちは一日中、殺されています。私たちは、ほふられる羊とみなされています。

 

参照 ローマ人への手紙28:35,36

 

8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

 

8:36 あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

 

キリストのために色々な苦難に会う

 

キリストの働きを担ったためにパウロは艱難に会った

 

第一義的:キリストの時に成就→私たちのために十字架にかけられた

 

第二義的:キリストに従っていく私たちもそういう経験をしていく

 

Ex:艱難、飢え、非難等

 

でも、そういう困難の中でもキリストに従っていく

 

イエス・キリストが模範

 

参照 ローマ人への手紙8:17

 

8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります

 

2つ良いことはない、良いところ取りはない

 

キリストのために苦難を受けるなら、誉れを受ける

 

今さえよければいい、死後火の池でも良いと言うのなら、気にしなくてよい

 

しかし後の世の栄光を望むなら、キリストと共に苦難を受ける→これが聖書の方法

 

聖書、いわばキリストが辿った足跡のパターンに従わなければ、栄光は受けない

 

主に倣うなら、誉れを受ける

 

ちゃんとやっていく人が勝利を得る

 

たしかに主に従って歩む時に、どこかで恥を受けたりする

 

しかし、苦難を受けずに誉れは無い

 

 

 

44:23 起きてください。主よ。なぜ眠っておられるのですか。目をさましてください。いつまでも拒まないでください。

 

44:24 なぜ御顔をお隠しになるのですか。私たちの悩みとしいたげをお忘れになるのですか。

 

44:25 私たちのたましいはちりに伏し、私たちの腹は地にへばりついています。

 

44:26 立ち上がって私たちをお助けください。あなたの恵みのために私たちを贖い出してください。

 

主が困難に会った時に祈られた祈り

 

しかし主は誠実なお方なのでこの方に頼り、得るべきものを得る