詩篇45篇 2014.2.9

 

 

 

詩篇45篇は、王について、そしてそれと同時にイエス・キリストの預言について語っている

 

 

 

45:1 私の心はすばらしいことばでわき立っている。私は王に私の作ったものを語ろう。私の舌は巧みな書記の筆。

 

このみことばに関してはヘブル人への手紙に書かれている

 

参照 ヘブル人への手紙1:8,9

 

1:8 御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。

 

1:9 あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。」

 

御国の杖:御子イエス・キリストに関して

 

こんな風に詩篇はキリストに関する預言が多い

 

 

 

45:2 あなたは人の子らにまさって麗しい。あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。

 

キリストの麗しさについて

 

 

 

45:3 雄々しい方よ。あなたの剣を腰に帯びよ。あなたの尊厳と威光を。

 

:神のことば、教理

 

キリストを通して教理の剣が用いられる

 

 

 

45:4 あなたの威光は、真理と柔和と義のために、勝利のうちに乗り進め。あなたの右の手は、恐ろしいことをあなたに教えよ。

 

真理のゆえに価値がある

 

 

 

45:5 あなたの矢は鋭い。国々の民はあなたのもとに倒れ、王の敵は気を失う。

 

あなたの矢は鋭い(KJV):この矢は敵の心臓を射抜く

 

「矢」は、みことばに関連する、敵の心臓を射抜く

 

神のことばは両面ある、諸刃の剣とも言われる

 

表面的には恵み&祝福がある

 

しかし、もう反面の意味合いがあって・・・神の敵となるなら私たちの心臓を射抜く、そうすると永遠の命を失ってしまう

 

みことばの良い面&危険な面をよくよく理解する

 

射抜かれているクリスチャンがいる Ex:セカンドチャンスを提唱する人

 

みことばに射抜かれて、変な教理を掴んでいる人がいる

 

みことばの敵として歩んでいる人は、射抜かれてしまう

 

みことばの敵になるときに射抜かれて変なものを掴んでしまう

 

Ex:ブラザレン系の教会→牧師がいる教会へ行ってはいけないと、自分で手足を縛っている

 

みことばの剣は、「命&死」を扱っているので、命(永遠の命)を奪うという面がある

 

 

 

45:6 神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。

 

これはキリストのことを言っている

 

私たちは王国に住んでいる

 

キリストを王とする王国に住んでいる

 

旧約時代もそうだった、しかしサムエルの時に彼らは人間の王を求めた、でも実際にこの世界を統治しているのは昔も今もイエス・キリスト

 

そして、イエス・キリストは十字架にかけられた時に、罪状書きに「ユダヤ人の王」と書かれて殺された

 

今の新約の時代もキリストが王、しかしそれは名目であって実際に大半の教会がキリストを追い出している Ex:ラオデキヤの教会

 

参照 ヨハネの黙示録3:14,20

 

3:14 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。

 

3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

 

(キリスト)殺しは世の終わりにも再現する

 

先ほどのヘブル人への手紙の「まっすぐな杖」とは、曲がっていない杖のこと

 

今のキリスト教会は曲がったことを言う時代、空想話を語っている

 

今は曲がった杖の時代 Ex:全てのクリスチャンは無条件に天国に入る

 

主を唯一の教師とするなら、まっすぐな杖

 

みことばが書いているように、まっすぐに語る

 

まっすぐな杖ならどんどん真理に近づく、頭が混乱することはない

 

真理をまっすぐに語れるように祈り求めていきたい

 

 

 

45:7 あなたは義を愛し、悪を憎んだ。それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。

 

45:8 あなたの着物はみな、没薬、アロエ、肉桂のかおりを放ち、象牙のやかたから聞こえる緒琴はあなたを喜ばせた。

 

 

45:9 王たちの娘があなたの愛する女たちの中にいる。王妃はオフィルの金を身に着けて、あなたの右に立つ。

 

王妃:教会

 

 

 

45:10 娘よ。聞け。心して、耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家を忘れよ。

 

45:11 そうすれば王は、あなたの美を慕おう。彼はあなたの夫であるから、彼の前にひれ伏せ。

 

教会やクリスチャンへの語りかけ、こういう表現、パターンがある

 

Ex:アブラハムは神から、父の家を出るように言われた

 

参照 創世記12:1

 

12:1 その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

 

Ex:アダム&エバも同様

 

参照 創世記2:24

 

2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。

 

自分が育った所(教会)の常識が、じつは本来、神が示している召しと異なる場合がある

 

主が召されたときには場合によっては教会を出て、主の働きに着いて行く

 

見えない神、キリストの声を聞く

 

(教会)を出ないと、霊的に聞こえないことや見えないことがある

 

教会の常識や思いや共通の認識について、場合によっては忘れないと神の声を聞くことができなかったり、真理を見ることができなかったりする

 

主から促しや導きがあったときに、このようなことを実践していく中ではじめて見えたり、聞こえたりするものがある

 

たしかに教会を出た直後はこの先何が起きるか分からないという不安があるかもしれない、しかし主の声に聞き従うときに恵みがある

 

 

 

45:12 ツロの娘は贈り物を携えて来、民のうちの富んだ者はあなたの好意を求めよう。

 

ツロ:弟子の歩みをしている人

 

 

 

45:13 王の娘は奥にいて栄華を窮め、その衣には黄金が織り合わされている。

 

45:14 彼女は綾織物を着て、王の前に導かれ、彼女に付き添うおとめらもあなたのもとに連れて来られよう。

 

45:15 喜びと楽しみをもって彼らは導かれ、王の宮殿にはいって行く。

 

 

 

 

45:16 あなたの息子らがあなたの父祖に代わろう。あなたは彼らを全地の君主に任じよう。

 

キリストの息子らが今までの人に代わってくる

 

真の意味で働き&御心を担うのはキリストに正しく従うクリスチャン

 

他の人々の働きに、とって代わって担っていく

 

主イエスの時代も、神の働きを真に継続して担ったのはパリサイ人や律法学者ではなく、ペテロやヨハネのような人

 

神の働きに関して逆転がある

 

今の時代も人前はともかく・・・正統派の教団の偉い人ではなく、ペテロやヨハネのように真の弟子としてキリストに着いている人が神の働きを担う

 

エレミヤ牧師の証:ある時からたとえの理解について心が留まった、そして聖書全体がたとえで書かれていて、たとえを理解しないともっとも大事な部分を失うと思った、そしてそれは正解だった、それから真の意味合いで終末の働きを担った

 

たとえ人からは認められなくても、キリストの息子のように、キリストに真に着いて行く人がキリスト教会をひっくり返し、もっとも大事な真理を見る

 

 

 

45:17 わたしはあなたの名を代々にわたって覚えさせよう。それゆえ、国々の民は世々限りなく、あなたをほめたたえよう。

 

これはキリストにおいて成就した

 

キリストの贖いは今もほめたたえられている

 

聖書のあらゆるところにキリストのことが書いてある

 

しかし人間的な常識にとらわれるなら、もっとも大事なポイントがとらえられなくなる