詩篇50篇 2014.3.16

 

 

 

「詩篇50篇」は、「いけにえ」に関する章

 

「いけにえ」に対して正しい方向や神のさばきについて語っている

 

そしてたとえの意味合いも見ていく

 

 

 

50:1 神の神、主は語り、地を呼び寄せられた。日の上る所から沈む所まで。

 

50:2 麗しさの窮み、シオンから、神は光を放たれた。

 

50:3 われらの神は来て、黙ってはおられない。御前には食い尽くす火があり、その回りには激しいあらしがある。

 

50:4 神はご自分の民をさばくため、上なる天と、地とを呼び寄せられる。

 

「天」と「地」:教会のたとえ

 

「いけにえ」に関しての神のさばきがある

 

 

 

50:5 「わたしの聖徒たちをわたしのところに集めよ。いけにえにより、わたしの契約を結んだ者たちを。」

 

イスラエルは「契約」を結んだ

 

参照 出エジプト記24:7,8

 

24:7 そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」

 

24:8 そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」

 

このことによって契約は完了した

 

契約の血→「聖餐式」に通じる

 

私たちは神と「契約」を結んでいる

 

参照 出エジプト記25:1,2

 

25:1 主はモーセに告げて仰せられた。

 

25:2 「わたしに奉納物をささげるように、イスラエル人に告げよ。すべて、心から進んでささげる人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。

 

「奉納物」に関して「契約」を結んでいる

 

良くも悪くも、神と契約を結んでいる

 

ある意味神は、ご自分を縛っている

 

もっとも頼りになる方と、動かぬ契約を結んでいる

 

契約の中で「罪が赦される」というものがある

 

神が絶対の約束をしてくださる

 

神の契約は絶対の保障があるので、守れば恵みがある

 

 

 

50:6 天は神の義を告げ知らせる。まことに神こそは審判者である。セラ

 

50:7 「聞け。わが民よ。わたしは語ろう。イスラエルよ。わたしはあなたを戒めよう。わたしは神、あなたの神である。

 

「契約」に関連して、良くも悪くも神がさばかれる

 

 

 

50:8 いけにえのことで、あなたを責めるのではない。あなたの全焼のいけにえは、いつも、わたしの前にある。

 

50:9 わたしは、あなたの家から、若い雄牛を取り上げはしない。あなたの囲いから、雄やぎをも。

 

50:10 森のすべての獣は、わたしのもの、千の丘の家畜らも。

 

「いけにえ」に関して、イスラエルが色々と勘違いしている

 

レビ記とかには、嫌と言うほど「雄牛」や「羊」を捧げることについて書いてある

 

そしていけにえや捧げ物の本質を理解する

 

たとえの意味合いを理解する

 

 

 

50:11 わたしは、山の鳥も残らず知っている。野に群がるものもわたしのものだ。

 

50:12 わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。

 

どれもすべて神のものだから、捧げても捧げなくても変わらないのでは?と思うかもしれない

 

 

 

50:13 わたしが雄牛の肉を食べ、雄やぎの血を飲むだろうか。

 

今頃何を言うのですか?と思うかもしれない

 

 

 

50:14 感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。

 

「いけにえ」に関して・・・いずれもこれらは「型」と言える

 

感謝のいえにえを神にささげよ:感謝を捧げる

 

参照 ルカの福音書22:19

 

22:19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」

 

「パン」に関して感謝を捧げる

 

また、「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべて感謝しなさい」とあって、「感謝」は捧げ物と言える

 

色々と問題があっても、全てに感謝する

 

世の中は感謝を捧げないことが多い

 

何にしても、感謝を捧げていくことが大事

 

「賛美」も神へのいけにえ

 

それを捧げていくのが「契約」を実現していくことになる

 

律法の本質的な意味合い、奉仕もそう

 

「あなたの誓い」と書かれているように、「誓願のいけにえ」を果たす→神を喜ばせる、契約を実行することになる

 

参照 創世記28:12,1416,20,22

 

28:12 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。

 

神は「教会」を与え、御使いが上り下りしている

 

「教会」という特別な場所を主は与えてくださった

 

 

 

28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。

 

28:15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

 

28:16 ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。

 

クリスチャンを通して実現している

 

 

 

28:20 それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物を賜わり、

 

主は最後まで「守り」ということを、教会を通して約束している

 

 

 

28:22 私が石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」

 

片方は十分の一を捧げる→クリスチャンに対しての約束

 

神のすばらしい約束、契約の片面

 

どちらも義務を果たす、だから契約だと言える

 

祝福と献金は関連している

 

実行しないときに、契約がパァーになる、受ける恵みすべてパァーになる

 

ゆえに「誓約」を守るのは大事と言える

 

 

 

再び「詩篇」に戻る

 

誓いを果たすなら、祝福に入る素になる

 

神は文字通りの履行を求める

 

変にケチになると、神もケチになる

 

「十分の一献金」は、すばらしい契約にあずからせるためのもの

 

 

 

50:15 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」

 

神の前に捧げるべきものを捧げるときに、すなわち「誓約」を果たしていくときに、神に期待する権利がある

 

神の契約が有効に働く

 

私たちが成すべきことをしていくときに、契約が生きていく

 

エレミヤ牧師の証:今まで十分の一を捧げていく中で守られた、会社の契約が途切れそうになったときに、主に求めたら助け出された

 

 

 

50:16 しかし、悪者に対して神は言われる。「何事か。おまえがわたしのおきてを語り、わたしの契約を口にのせるとは。

 

神が悪者、不正の者と言われる類いの人がいる、そういう人には神のあらゆる契約が無効になる

 

旧約で言う、パリサイ人がそうだった

 

そういう人にかぎって、うまくメッセージをする

 

 

 

50:17 おまえは戒めを憎み、わたしのことばを自分のうしろに投げ捨てた。

 

そういう奉仕に入っている人にかぎって戒めを憎む人がいる、しかし契約が有効にならない

 

Ex:同性愛を容認している牧師

 

 

 

50:18 おまえは盗人に会うと、これとくみし、姦通する者と親しくする。

 

盗人:みことばを盗む人

 

姦通する者:カトリックのように、この世の教えを推進する人

 

 

 

50:19 おまえの口は悪を放ち、おまえの舌は欺きを仕組んでいる。

 

メッセージをする人たちのことについて

 

 

 

50:20 おまえは座して、おのれの兄弟の悪口を言い、おのれの母の子をそしる。

 

おのれの兄弟の悪口を言い:他のクリスチャンの悪口を言う

 

 

 

50:21 こういうことをおまえはしてきたが、わたしは黙っていた。わたしがおまえと等しい者だとおまえは、思っていたのだ。わたしはおまえを責める。おまえの目の前でこれを並べ立てる。

 

50:22 神を忘れる者よ。さあ、このことをよくわきまえよ。さもないと、わたしはおまえを引き裂き、救い出す者もいなくなろう。

 

神の契約が無効になる人がいる、みことばは守ってなんぼのもの

 

 

 

50:23 感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」

 

間違えを是正するときに、祝福に入る、そして「神の救い」を見る

 

道を正しくしていくことにポイントがある

 

Ex:バプテスマのヨハネは「悔い改め」のことを言っていた

 

参照 マタイの福音書3:2

 

3:2 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

 

再臨の主の前に曲がった道をまっすぐにするという働きがある

 

まっすぐな道を歩んでいくことにポイントがある