詩篇53篇 2014.4.6

 

 

 

53:1 愚か者は心の中で「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい不正を行なっている。善を行なう者はいない。

 

日本は無神論の国、しかも進化論を唱えている

 

しかし「神はいない」と言う人は、愚か者

 

クリスチャンであっても、そのあたりを勘違いしている人がいる、しかしそれは愚か者

 

Ex:創世記は神話、人間は偶然に出来た等

 

そして惑わされたクリスチャンは、コロッとだまされる

 

 

 

53:2 神は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。

 

53:3 彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。

 

「神はいない」と言う人の1つの特徴:腐っている、忌まわしい不正を行っている、それこそ「善を行なう者はいない」とあるように、誰も彼も善を行わない、ゆえに道徳的にまともにならない、腐り果てた思いや考えになる、そしてそれは個人としても、国としてもそうだと言える

 

20世紀、共産主義の国が沢山出来た、しかしそれらは腐っている、忌まわしい、不正が横行している、そして人を殺すことが頻繁に行われた

 

Ex:旧ソ連では7,000万人、中国では6,000万人が殺された

 

「神がいない」ということを実践すると、ろくなことにならない、つまり良いことは待っていない

 

 

 

53:4 不法を行なう者らは知らないのか。彼らはパンを食らうように、わたしの民を食らい、神を呼び求めようとはしない。

 

不正を行なう者:不正の働き人

 

神の働き人と言いながら、真に神を求めず、正しくない方向に神の民を導いているということがある

 

神を呼び求めようとしないことは問題、しかし正しく主を求める習慣をつけていくときに、主からの恵みを受ける、大事なことを教えてもらえる、必要なことを示してもらえる、レムナントキリスト教会がまさにそう

 

Ex:町々に長老を立てる、新しい皮袋

 

折々時々にたずねていった結果、正しい方向を示してもらえた

 

ゆえにどんな小さなことも主に聞き、たずねていきたい

 

分からないながらも聞いていくという習慣を身に付けて、それを守っていき、忠実に行っていく→益になり、必要な答えが得られる

 

 

 

53:5 見よ。彼らが恐れのないところで、いかに恐れたかを。それは神が、あなたに対して陣を張る者の骨をまき散らされたからだ。あなたは彼らをはずかしめた。それは神が彼らを捨てられたからだ。

 

不忠実な歩みをしていると、捨てられたり、はずかしめられたりする、でも、忠実な人は益を受ける

 

主はその人の歩みをきちんと見ている、なので私たちの持っているすべてを捧げていく

 

Ex:ひとりの貧しいやもめが献金箱にレプタ硬貨を2つ投げ入れたのをイエスさまはご覧になり、「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです」と言った

 

ゆえに私たちも、この貧しいやもめのように、それぞれに応じたすべてを捧げて歩んでいく

 

 

 

53:6 ああ、イスラエルの救いが、シオンから来るように。神がとりこになった御民を返されるとき、ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ。

 

神がとりこになった御民:捕囚になった民、このことはバビロン&アッシリヤ捕囚と関係する

 

ユダはエルサレム、つまり世界の中心(約束の地)にいた、しかしそこから捕囚された、そしてこのことは終末にも再現する

 

バビロンとは、アメリカ由来のキリスト教のこと

 

今のキリスト教会は、物理的なことはともかく、霊的&教理的には、バビロン捕囚されている

 

レムナントの働き:捕囚された民を本来の位置に帰す、私たちはそのために働きをしている

 

捕囚に関して軋轢(あつれき)がある、それを恐れていたら、この奉仕はできない

 

奉仕をしていくときに、とりこになった人が、一人、二人と帰ってくる、そして「ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ」と書かれているように、そのことを喜びとする

 

ゆえに霊的に大事な奉仕と言える

 

奉仕を通して神が帰される

 

このことは実現する、ゆえに働きを続けていく

 

奉仕をしていく中で、艱難前携挙説のおかしさに気付いたり、未信者だけではなくクリスチャンもさばかれるということを知ったりする人がいる

 

益々とりこになった人を、取り戻していきたい

 

そういう意味合いで、レムナントはまさにみことばが語っている奉仕をしている

 

とりこになった民を解放する働き、これは「勇士のわざ」とも言える、そしてそれは主の恵みである