詩篇56篇 2014.4.27

 

 

 

指揮者のために。「遠くの人の、もの言わぬ鳩」の調べに合わせて。ダビデのミクタム。ペリシテ人が、ガテでダビデを捕えたときに

 

参照 Ⅰサムエル記21:1012

 

21:10 ダビデはその日、すぐにサウルからのがれ、ガテの王アキシュのところへ行った。

 

21:11 するとアキシュの家来たちがアキシュに言った。「この人は、あの国の王ダビデではありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」

 

21:12 ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。

 

このとき、ダビデは非常な恐怖を持った

 

この章は「ペリシテ人」について

 

それぞれの民に、意味がある

 

参照 Ⅰサムエル記6:4,5

 

6:4 人々は言った。「私たちの返す罪過のためのいけにえとは何ですか。」彼らは言った。「ペリシテ人の領主の数によって、五つの金の腫物と、五つの金のねずみです。あなたがたみなと、あなたがたの領主へのわざわいは同じであったからです。

 

6:5 あなたがたの腫物の像と、この地を荒らしたねずみの像を作り、イスラエルの神に栄光を帰するなら、たぶん、あなたがたと、あなたがたの神々と、この国とに下される神の手は、軽くなるでしょう。

 

これも御国の奥義の一部、そういう意味では区分がある

 

このとき、契約の箱がペリシテ人に来たため、災いが来てしまった

 

そして箱を返すことになった

 

腫物:おでき、ゆえに血と連鎖がある→血(霊的なこと)の災いのたとえ

 

ねずみ:麦やパンや米を荒らす→みことばに災いをもたらすことのたとえ

 

聖書のみことばの「ペリシテ人」の定義:聖霊&みことばに対して災いをもたらし、妨害する人のこと

 

みことばの敵にとらえられたときのこと

 

主のみことばを守るときに、ダビデと同じような目に会う、その時の主の助けについて書かれている

 

 

 

56:1 神よ。私をあわれんでください。人が私を踏みつけ、一日中、戦って、私をしいたげます。

 

56:2 私の敵は、一日中、私を踏みつけています。誇らしげに私に戦いをいどんでいる者が、多くいます。

 

神のことばを守っているときに、人から文句が来たりする

 

 

 

56:3 恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。

 

みことばのゆえに、私たちが捕らえられてしまうときがくる、ダビデはそのことの型

 

参照 マルコの福音書13:11,12

 

13:11 彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。

 

13:12 また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。

 

世の終わりのときも、引き渡される→ダビデがペリシテ人に引き渡されたというときが来る

 

なぜか?→神の声に正しく従っているゆえ

 

こういう日が来ることを覚えておく

 

引き渡されたときの一つの恐れ:牢屋に入れられて、色々と尋問される

 

キリストも引き渡されて、色々と尋問されたり、偽りの証人が出てきたりした

 

私たちは自由を拘束されて、尋問される

 

ゆえにそのための備えをしていく

 

たいていの人は、そのときに選り分けられる

 

参照 マタイの福音書7:2427

 

7:24 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。

 

7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。

 

7:26 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。

 

7:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」

 

平素な状況だけでなく、そのようなときを想定しておく

 

レムナントの奉仕は、その日のための備え

 

全世界に及ぶ試練の日が来る、しかし備えをしている人は守られる

 

参照 ヨハネの黙示録3:10

 

3:10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

 

 

 

56:4 神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。

 

みことばに関しての戦い

 

みことばに対して、ペリシテ人は色々と攻撃してくる

 

Ex:イエスは復活していない、「ヨシュア」という名の墓がある、十字架にかかっていない

 

しかし神のみことばにこそ、勝利があり、真理がある

 

参照 ヨハネの福音書1:1

 

1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

 

カトリックは、神のことばをないがしろにしているので、悪い報いを受けている

 

 

 

56:5 一日中、彼らは私のことばを痛めつけています。彼らの思い計ることはみな、私にわざわいを加えることです。

 

みことばに関しての戦い

 

キリストのことばを痛めつける日が来る

 

そして神のことばの冒涜が優勢になり、正しく従う人は憎まれる

 

みことばを大事にしているときに巻き込まれる、その時にどうするのか?そうかと言って、従うのか?否か?については一切強制はしていない

 

参照 ヨハネの黙示録19:1115

 

19:11 また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。

 

19:12 その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。

 

19:13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。

 

19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。

 

19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。

 

13

 

キリストご自身

 

ことばに関する戦い

 

14

 

そのときにキリストにつき従うかどうか?かつての12弟子のように最後まで堅く立つのか?

 

主のときも、戦いの時だった、世の終わりもみことば&教理の戦いがある

 

堕落した教会は、根本的な教理を覆される、それでも正しく残るのか?

 

アメリカは最先端を行っている Ex:同性愛を指摘した正しいクリスチャンが逮捕

 

みことばの戦いの一端が始まっている

 

益々恐れずに、こういう奉仕をしていく、続けていく→霊的な足腰が強くなっていく

 

 

 

56:6 彼らは襲い、彼らは待ち伏せ、私のあとをつけています。私のいのちをねらっているように。

 

イエスさまがそうだった、そういう物騒な時が来る

 

 

 

56:7 神よ。彼らの不法のゆえに、彼らを投げつけてください。御怒りをもって、国々の民を打ち倒してください。

 

彼らの不法のゆえに、彼らを投げつけてください(KJV):彼らは不法をもって、逃れられるのか?

 

「不法」とは、正しい聖書解釈ではないこと Ex:艱難前携挙説

 

おかしな教理を神は逃してくれるのか?→御怒りが下る

 

参照 Ⅰテサロニケ人への手紙5:24

 

5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。

 

5:3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。

 

5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。

 

2,3

 

インチキの教理を信じている人は、思い通りにキリストが来ない、盗人のように来る

 

「盗人」とは、みことばを盗むことに通じる

 

艱難前携挙説を掴んでいる人は、滅びがにわかに来る

 

4

 

光の中、正しい真理の中に歩んでいるなら、その日は想定内に来る

 

 

 

56:8 あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。

 

56:9 それで、私が呼ばわる日に、私の敵は退きます。神が私の味方であることを私は知っています。

 

艱難の中でも、祈りが聞かれる

 

 

 

56:10 神にあって、私はみことばをほめたたえます。主にあって、私はみことばをほめたたえます。

 

たしかに艱難は来る、良いこともそうでないことも、みことばの通りになる

 

ゆえにみことばをほめたたえる

 

 

 

56:11 私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。

 

困難は来る、たしかに肉体の命を失う、でもそれ以上はできない、たましいに何もできないので恐れない

 

 

 

56:12 神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。

 

主に誓ったことは、その通りになる

 

主と結んだ誓いは守られる

 

 

 

56:13 あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。

 

つまずきがある

 

特に世の終わりは、そういう時

 

でも、主に忠実なときに守られる