詩篇62篇 2014.6.8

 

 

 

「神が岩」というのがこの篇でのメインのテーマ

 

 

 

指揮者のために。エドトンによって。ダビデの賛歌

 

 

 

 

62:1 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。

 

62:2 神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。

 

私は決して、ゆるがされない(KJV):大きく動かされない

 

クリスチャンは立っているポイントから動かされてはダメ

 

クリスチャン生活において、動かされるのは大きな問題

 

Ex:復活は無いとか、カトリックの言う聖書のことばは偽りという教えに引っ張られてしまう

 

多少波が来ても、神から離れないこと

 

世の終わりは、沢山のクリスチャンが動かされる

 

参照 ヨハネの黙示録6:1417

 

6:14 天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。

 

6:15 地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、

 

6:16 山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。

 

6:17 御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」

 

14節

 

「山」「島」は教会のたとえ

 

あるべき位置から教会は移されたということを言われている

 

Ex:カトリックは、仏教徒にも救いがあると言っている、しかも某神父の家には仏像があるとのこと

 

主にとどまり、移されないことにポイントがある

 

15-17節

 

このことは14節とつながっている

 

真の岩であるキリストを否定したために、災いに入ったということを言っている

 

「地上の王」とか「高官」は、クリスチャンのたとえ

 

キリストをさしおいて王となった、そして神から怒りを買った

 

岩を否定した災い

 

真の王(キリスト)に頼っていく、そうするなら動かされない

 

 

 

62:3 おまえたちは、いつまでひとりの人を襲うのか。おまえたちはこぞって打ち殺そうとしている。あたかも、傾いた城壁か、ぐらつく石垣のように。

 

いつまでひとりの人を襲うのか→これはイエス・キリストのことを言っている

 

「襲うのか?」は、KJV訳では、「偽りを思うのか?」というニュアンス

 

キリストに対する疑い、偽り、悪い評判のこと

 

あたかも、傾いた城壁か、ぐらつく石垣のように(KJV):お前たちは皆傾いた城壁、石垣のように殺される

 

こぞってキリストの信用を落とさせても、結局そういう人は滅びを選んでいる

 

真の岩に頼らず、キリストをインチキとした人が滅びに入ってしまうという暗示、このことは先ほどの黙示録のみことばに通じる

 

そしてこのことはキリストの初降臨に起こった、イエスを嘲弄した人や否定した人は滅んだ

 

このことが再現することについて黙示録に書かれている

 

イエス・キリストに頼らないという類いのクリスチャンが出てくる

 

今のキリスト教会のトレンドは、キリストに信用を置けないというトレンド

 

Ex:ダヴィンチコード

 

アメリカではキリストを否定する教会は、税の優遇を受けている、しかし災いを受ける

 

そういうわけで、トレンドはキリストへの偽りや欺きの方向に進みつつある

 

 

 

62:4 まことに、彼らは彼を高い地位から突き落とそうとたくらんでいる。彼らは偽りを好み、口では祝福し、心の中ではのろう。セラ

 

:イエス・キリスト

 

イエスはどんどん王位から突き落とされようとする、悪い評判がどんどん広がり、ペテロやヨハネやパウロのような使徒たちの教えが崩され、最後はイエス・キリストの礎石さえ残らなくなる、これからそういうトレンドがくる

 

キリストが唯一の救い主でないという方向にきている

 

リック・ウォレンはイスラム教との融合について述べている

 

人々は口ではキリストを祝福する、しかし心の中では呪う

 

Ex:復活を認めない、贖いは疑問がある

 

二枚舌で色々とインチキを語ろうとする時が来ようとしている

 

 

 

62:5 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。

 

62:6 神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。

 

62:7 私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。

 

62:8 民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。セラ

 

これから益々キリスト教会で、キリストを信頼しないことがトレンドになる

 

しかし益々主に拠り頼むことに大いにポイントがある

 

イエス・キリストのみに救いがあるので、勘違いしてはダメ

 

これからもこのことに徹していきたい

 

「私の救いと、私の栄光は、神にかかっている」とあるように、主の働きを正しく成し遂げて祝福&恵みを受けるのは、神にかかっている

 

ゆえに神の声を聞いていく

 

 

 

62:9 まことに、身分の低い人々は、むなしく、高い人々は、偽りだ。はかりにかけると、彼らは上に上がる。彼らを合わせても、息より軽い。

 

主を一番にするのが大事

 

 

 

62:10 圧制にたよるな。略奪にむなしい望みをかけるな。富がふえても、それに心を留めるな。

 

これらのものに頼ってはダメ

 

 

 

62:11 神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。

 

力は神から来るので、神に助けや力を求める

 

 

 

62:12 主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。

 

先ほど見た黙示録は、未来に確実に成就する

 

岩(岩は動かない)であるキリストを否定するから、成就してしまう

 

でも、キリストに頼る時に動かされることはない、しかしそうでないときに動き、滅んでしまう

 

終末はキリストへの惑わしが来る、一人一人の本音が問われる、ゆえに石や岩の歩みを固めていく

 

キリストを岩、石とするなら、良い報いを受ける

 

しかし岩を否定したために、悪い報いを得る人が終末続出する

 

でも、キリストを岩、石として、良い報いを得たい