詩篇69篇 2014.7.27

 

 

 

指揮者のために。「ゆりの花」の調べに合わせて。ダビデの調べ

 

 

 

 

69:1 神よ。私を救ってください。水が、私ののどにまで、はいって来ましたから。

 

69:2 私は深い泥沼に沈み、足がかりもありません。私は大水の底に陥り奔流が私を押し流しています。

 

69:3 私は呼ばわって疲れ果て、のどが渇き、私の目は、わが神を待ちわびて、衰え果てました。

 

このことは主の生涯で成就したこと、ダビデの苦難と同時に主の苦難の型

 

十字架にかかった時のこと

 

イエス・キリストの苦難を学ぶ

 

:霊的な事柄

 

あらゆる霊の流れで私たちを攻撃するということがある

 

Ex:映画「パッション」(感情)→「感情」を刺激される

 

人の思いや感情は「霊」で動く

 

サタンの憎しみが民衆に乗り移り、キリストに殺到した

 

私たちもキリストの恥を負う、私たちも艱難時代に似たような目に会う

 

キリストの三年半=艱難時代の期間→後に「重い栄光」をもたらす

 

あらゆる攻撃や非難が来る、しかしヨブ記に書かれているように、「裸で生まれたのだから、裸で帰る」のが正しい

 

名声や評判もすべて取られる、主は「罪人」として命を失った、そして「名誉回復」は無かった

 

 

 

69:4 ゆえなく私を憎む者は私の髪の毛よりも多く、私を滅ぼそうとする者、偽り者の私の敵は強いのです。それで、私は盗まなかった物をも返さなければならないのですか。

 

「憎む者」が多い

 

盗まなかった物:「盗む」とは「お金」に関係する、新約聖書に「一万タラントの負債」について書かれている、ゆえに「盗む」とは、人に罪を犯している負債があるか無いか?について言われている、なので「私は盗まなかった物をも返さなければならないのですか」とは「私たちが犯さなかった罪も、私たちの罪に数えられる」ということを言われている

 

参照 マタイの福音書26:59

 

26:59 さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた

 

イエスを訴えるために、「偽証」を求めていた

 

「私たちが犯さなかった罪も、償わなければならないのか?」ということをここでも言われている

 

主は無理矢理「罪」を負わされ、十字架に付けられた

 

そしてこれは艱難時代、世の終わりに繰り返される

 

その時にキリストと同じ経験をする可能性がある

 

ありもしないことを言ってくる可能性がある

 

その時にどういう風にするか?→キリストに倣った歩みをするなら、言い返したり、弁護人を立てたりすることに御心は無い、キリストがそうだったように、「何も答えない」のが妥当

 

私たちはある程度「覚悟」しなければいけない、その際「忍耐」が必須

 

サタンは最後の最後に私たちの弱いところや感情思索にチクチクと働きかけてくる

 

「忍耐」の末に「永遠の命」を勝ち取る!

 

ヨブ記のことに徹底していく

 

参照 ヨブ記1:21

 

1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

 

「衣服」だけでなく、この世で一時的に得たものを皆失う

 

Ex:名声、カリスマ的人気、人からの評判など

 

「これだけは失いたくない!」というものが少しでもあるなら、「忍耐」が切れて、「永遠の命」が危なくなる

 

よしんば色々と持っていても、すべて置いて帰る

 

少しでも「こだわり」があると、ひっくり返される

 

持って帰ろうとするからダメ

 

 

 

69:5 神よ。あなたは私の愚かしさをご存じです。私の数々の罪過は、あなたに隠されてはいません。

 

69:6 万軍の神、主よ。あなたを待ち望む者たちが、私のために恥を見ないようにしてください。イスラエルの神よ。あなたを慕い求める者たちが、私のために卑しめられないようにしてください。

 

69:7 私は、あなたのためにそしりを負い、侮辱が私の顔をおおっていますから。

 

イエスさまは神のために「そしり」を負っている

 

 

 

69:8 私は自分の兄弟からは、のけ者にされ、私の母の子らにはよそ者となりました。

 

自分の兄弟から「のけ者」になった Ex:イスカリオテのユダはキリストを裏切った

 

私たちも兄弟姉妹から「のけ者」にされても驚いてはダメ

 

 

 

69:9 それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです。

 

参照 ヨハネの福音書2:1317

 

2:13 ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。

 

2:14 そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、

 

2:15 細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、

 

2:16 また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」

 

2:17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」と書いてあるのを思い起こした。

 

「神のため」と思いながら、結果として羊や牛を売る奉仕に熱心になっている、ちなみに「売る」ということばは「贖い」の反対の意味

 

「買い取る」のではなく、「売る奉仕」、すなわち「贖い」や「救い」から外す奉仕

 

Ex:カトリックの膝の巡礼も、「牛や羊を売り払う」奉仕、結果として「食い尽くして」しまう

 

両替人:神の贖いの方法を変えてしまう

 

そういう人たちを「宮」(教会)から追い出すことが正しい

 

神の前にハッキリと正しいことをする、主の方法に倣っていく

 

 

 

69:10 私が、断食して、わが身を泣き悲しむと、それが私へのそしりとなりました。

 

69:11 私が荒布を自分の着物とすると、私は彼らの物笑いの種となりました。

 

69:12 門にすわる者たちは私のうわさ話をしています。私は酔いどれの歌になりました。

 

イエスさまは「酔っ払い」と言われた、私たちも似たような者

 

 

 

69:13 しかし主よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。

 

69:14 私を泥沼から救い出し、私が沈まないようにしてください。私を憎む者ども、また大水の底から、私が救い出されるようにしてください。

 

69:15 大水の流れが私を押し流さず、深い淵は私をのみこまず、穴がその口を私の上で閉じないようにしてください。

 

終末の時に多くのキリスト教会は激流(惑わしの霊)に飲み込まれる

 

クリスチャンが「神に仕えている」と言いながら、正しい人を迫害する

 

結構多くのクリスチャンが「惑わし」に入る

 

 

 

69:16 主よ。私に答えてください。あなたの恵みはまことに深いのです。あなたの豊かなあわれみにしたがって私に御顔を向けてください。

 

69:17 あなたのしもべに御顔を隠さないでください。私は苦しんでいます。早く私に答えてください。

 

69:18 どうか、私のたましいに近づき、贖ってください。私の敵のゆえに、私を贖ってください。

 

69:19 あなたは私へのそしりと、私の恥と私への侮辱とをご存じです。私に敵対する者はみな、あなたの御前にいます。

 

「私に敵対する者はみな、あなたの御前にいます」と書かれているように、キリストを迫害した人は神の御前にいるパリサイ人や律法学者、つまりクリスチャン

 

「神の前にいる」という人から迫害される

 

 

 

69:20 そしりが私の心を打ち砕き、私は、ひどく病んでいます。私は同情者を待ち望みましたが、ひとりもいません。慰める者を待ち望みましたが、見つけることはできませんでした。

 

大体こんなもの

 

イエスさまの時もそうだった

 

群衆がひっくり返り、彼らから「カルト」扱いをされた

 

私たちも似たようなものなので、驚いてはダメ、これも「忍耐」の一部、そして「忍耐」の一部に「友だちがいない」というのも起こる

 

 

 

69:21 彼らは私の食物の代わりに、苦味を与え、私が渇いたときには酢を飲ませました。

 

参照 マタイの福音書27:34

 

27:34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。

 

「苦味」ということばは、使徒の働きに登場するサマリヤのシモンの「罪の胆汁」(罪を混ぜたぶどう酒)と同じギリシャ語が使われている

 

主に対して「苦味」を与えた、しかしこのことはたとえの意味合いもある

 

「食物」は、「聖餐式のパン」に通じる

 

ゆえに神の前に「苦味のあるパン」すなわち「罪のあるメッセージ」をするべきではない、ということを語っている、でも、それを行っているのが今の問題

 

Ex:カトリックの提唱している「地獄は無い」というメッセージ、煉獄がある、セカンドチャンスがあるなどの教理は、苦味(罪)のあるメッセージという風に神の前には見なされる

 

 

 

69:22 彼らの前の食卓はわなとなれ。彼らが栄えるときには、それが落とし穴となれ。

 

参照 ローマ人への手紙11:9,10

 

11:9 ダビデもこう言います。「彼らの食卓は、彼らにとってわなとなり、網となり、つまずきとなり、報いとなれ。

 

11:10 その目はくらんで見えなくなり、その背はいつまでもかがんでおれ。」

 

食卓:パン、ぶどう酒のあるところ、具体的には「教会の礼拝」を指す

 

正しく歩まないときに、「礼拝」が「罠」や「災い」になる

 

すべての「礼拝」が「祝福」になるとはかぎらない

 

Ex:ブラザレン系の教会は変な教理を掴んでいる、彼らは「兄弟は皆、平等でなければいけない。だから牧師とかの中間祭司職を立てていけない」と言っている、しかしこれは「罠」になる、そこの教会から出て他の教会に行くことができなくなるので「罠」や「災い」の教えと言える

 

礼拝に行けば行くほど、「罠」になる教会がある、ゆえに神を恐れなければいけない

 

 

 

69:23 彼らの目は暗くなって、見えなくなれ。彼らの腰をいつもよろけさせてください。

 

69:24 あなたの憤りを彼らの上に注いでください。あなたの燃える怒りが、彼らに追いつくようにしてください。

 

主の時に成就した

 

 

 

69:25 彼らの陣営を荒れ果てさせ、彼らの宿営にはだれも住む者がないようにしてください。

 

69:26 彼らはあなたが打った者を迫害し、あなたに傷つけられた者の痛みを数え上げるからです。

 

キリストをあざ笑った人がいた

 

 

 

69:27 どうか、彼らの咎に咎を加え、彼らをあなたの義の中に入れないでください。

 

69:28 彼らがいのちの書から消し去られ、正しい者と並べて、書きしるされることがありませんように。

 

このことは成就した、そして世の終わりもこのことは起き、正しい人を迫害した人は「永遠の命」から外される

 

 

 

69:29 しかし私は悩み、痛んでいます。神よ。御救いが私を高く上げてくださるように。

 

69:30 私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。

 

69:31 それは雄牛、角と割れたひずめのある若い雄牛にまさって主に喜ばれるでしょう。

 

69:32 心の貧しい人たちは、見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。

 

69:33 主は、貧しい者に耳を傾け、その捕われ人らをさげすみなさらないのだから。

 

貧しい人はさげすまされない

 

 

 

69:34 天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。

 

69:35 まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。

 

69:36 主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。

 

主のしもべは「永遠の命」を受け継ぐ、このことはある意味この世とは逆説的

 

主にあって、「しもべ」の歩みをしている人が得るべきものを得る

 

教会に来ていても、「しもべ」でない人は受け継がない可能性がある

 

「しもべ」にポイントがある