詩篇71篇 2014.8.10

 

 

 

71:1 主よ。私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。

 

71:2 あなたの義によって、私を救い出し、私を助け出してください。あなたの耳を私に傾け、私をお救いください。

 

ダビデの歌には「助け出してください」ということばが多い

 

ダビデは大変な勇士でありながら、サウル王に追いかけられ、命からがらの歩みをしていたので、こういう歌を歌っていた

 

私たちも「御国」に入るのなら、ダビデの歩みに見習う

 

「いのちに至る道」は狭い、なぜか?と言うと、「門」を閉ざしている者がいるから

 

これは「見えない悪の霊との戦い」だと言える

 

「悪い霊」が「滅び」に引っ張ろうとしている、しかしダビデのように祈っていくなら、たとえ目に見える敵がいようといまいと、主が助けてくださる

 

 

 

71:3 私の住まいの岩となり、強いとりでとなって、私を救ってください。あなたこそ私の巌、私のとりでです。

 

「岩」は頑丈なので、簡単に壊れない

 

主に頼ることが私たちの救い&助け

 

 

 

71:4 わが神よ。私を悪者の手から助け出してください。不正をする者や残虐な者の手からも。

 

「悪者の手」が来ても、助けられるように求めていく

 

 

 

71:5 神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です。

 

クリスチャンにかぎらず、誰でも自分の信頼や望みや助けの的がある

 

それに関して、ダビデの方法(神を信頼する方法)が正しい

 

そのように歩んでいくときに、「正しい道」に入る

 

何か違うものを頼みにしていたり、似ているものを頼みにしていることがある、しかし真に大事なもの、「神さま」を頼みとする

 

本来、頼りにする対象がズレていくときに、「トラブル」が起きてくる

 

ダビデが正しかったので、普通の人が経験しないような試練に会った、しかし主に守られた

 

どんな時も主を信頼することを習慣としていく、そうするなら正しい方向へ行く

 

クリスチャンになっても、「この世の習慣」がすぐに変えられるわけではない

 

でも、主を頼みとするなら、「人知を超えた助け」が来る

 

「信頼の的」と書かれているように、いつも主に頼る、そうするならその時々に助けが来る

 

 

 

71:6 私は生まれたときから、あなたにいだかれています。あなたは私を母の胎から取り上げた方。私はいつもあなたを賛美しています。

 

「賛美」することが正しい

 

 

 

71:7 私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。あなたが、私の力強い避け所だからです。

 

ダビデの生涯に奇蹟が起きた、間一髪の時に守られた、逆に御心に沿わないサウルが滅ぼされた

 

今の時代も同じ主が、私たちを導いている

 

ダビデはその時々に本当に神を信頼していた、ゆえに「奇蹟」が起きた

 

神に信頼を置くなら、私たちにも同じようなことが起きる、そして奇蹟や不思議を見る、それなりの奇蹟の連続になる

 

ある人は奇蹟を見る、しかし見ない人もいる

 

基本的には7節の後半がポイントとなる、このあたりが弱いと「奇蹟」を見ない

 

この方を「真の助け所」とするときに、「奇蹟」を見ていく

 

「主を避け所」としていくときに、奇蹟を見たり、不思議な事柄を見る

 

 

 

71:8 私の口には一日中、あなたの賛美と、あなたの光栄が満ちています。

 

71:9 年老いた時も、私を見放さないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。

 

71:10 私の敵が私のことを話し合い、私のいのちをつけねらう者どもが共にたくらんでいるからです。

 

71:11 彼らはこう言っています。「神は彼を見捨てたのだ。追いかけて、彼を捕えよ。救い出す者はいないから。」

 

71:12 神よ。私から遠く離れないでください。わが神よ。急いで私を助けてください。

 

71:13 私をなじる者どもが恥を見、消えうせますように。私を痛めつけようとする者どもが、そしりと侮辱で、おおわれますように。

 

71:14 しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。

 

これらのダビデのことばは真実

 

神を頼みとしていくときに、同じような事柄を見る

 

 

 

71:15 私の口は一日中、あなたの義と、あなたの救いを語り告げましょう。私は、その全部を知ってはおりませんが。

 

71:16 神なる主よ。私は、あなたの大能のわざを携えて行き、あなたの義を、ただあなただけを心に留めましょう。

 

71:17 神よ。あなたは、私の若いころから、私を教えてくださいました。私は今もなお、あなたの奇しいわざを告げ知らせています。

 

ダビデは自分がそのような「わざ」を経験した、そしてそれをとどめずに、自分に起きた事柄を「証」として伝えていった

 

自分の証や神の奇しいわざを伝えるために「詩篇」を書いた、それは三千年前のこと、そして今も私たちの助けになっている

 

奇しいわざを見るのはひとつのこと、しかし告げるかどうかは別

 

ダビデは王でありながら、「筆マメ」だった

 

できる方法で伝えていくことにポイントがある、そうするなら他の人が恵み&益を受ける

 

レムナントもその一端を担っていきたい

 

恵みにあずかりたい人のために語っていく

 

告げ知らせることにポイントがある

 

 

 

71:18 年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。

 

71:19 神よ。あなたの義は天にまで届きます。あなたは大いなることをなさいました。神よ。だれが、あなたと比べられましょうか。

 

「神のわざ」は他と比べられない

 

 

 

71:20 あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。

 

神さまに関して、ダビデは真実を語っている

 

ダビデの人生は楽しかった、しかし多くの「苦難」に会った

 

クリスチャン人生は良いことも多い、しかし神は「苦しい目」に会わせるのも真実

 

ヨブもしかり

 

参照 へブル人への手紙5:8,9

 

5:8 キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、

 

5:9 完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、

 

キリストは「神の子」でありながら、「多くの苦しみ」を受けたのも事実

 

でも、それによって「従順」を学んだ

 

「苦しみ」を通って、「神への従順」を学ぶ

 

主のなされることはすべて正しい

 

クリスチャンは「永遠のいのち」をゲットしてなんぼのもの

 

神は目的があって、「苦しみ」をなしている

 

 

 

71:21 あなたが私の偉大さを増し、ふり向いて私を慰めてくださいますように。

 

71:22 私もまた、六弦の立琴をもって、あなたをほめたたえます。わが神よ。あなたのまことを。イスラエルの聖なる方よ。私は、立琴をもって、あなたにほめ歌を歌います。

 

71:23 私があなたにほめ歌を歌うとき、私のくちびるは、高らかに歌います。また、あなたが贖い出された私のたましいも。

 

71:24 私の舌もまた、一日中、あなたの義を言い表わしましょう。それは彼らが恥を見、私を痛めつけようとする者どもがはずかしめを受けるからです。

 

日常の中で「賛美」があるのは良いこと

 

「賛美」にもポイントがある