詩篇72篇 2014.8.17

 

 

 

ソロモンによる

 

 

 

 

72:1 神よ。あなたの公正を王に、あなたの義を王の子に授けてください。

 

72:2 彼があなたの民を義をもって、あなたの、悩む者たちを公正をもってさばきますように。

 

「ダビデ」は、王としての「キリスト」の型、その面も見る

 

2節では、「キリストが『義』をもってさばかれますように」、という祈りを捧げている

 

ダビデも「正義」をもってイスラエルを治めていた

 

Ex:罪の無い人の血を流した人には、それに相当する報いを与えた、悪い意味合いで「さばき」を行った

 

「神の国」は、神が統治している

 

新約において、「神の国」とは「教会」のことを指す、そしてそこを治めているのは王であるキリスト

 

キリストは目に見えない、しかし今もキリストは「教会」を治めている

 

人はどうしても見えることしか見ない、しかし「教会の王」はキリスト、そして正しくさばく

 

悩む者(英語):貧しい者

 

神に「見逃し」は無い、ゆえに人目を気にせずに、神の前に正しいことを行う

 

神は「正しい」ことには、「正しい報い」をする、ゆえに信仰をもって「正しいこと(善)」を行う

 

その際、「目に見える」ことばかりにとらわれない

 

たとえば人が喜ぶことを優先して、神が言われていることを伝えないのはNG

 

クリスチャンであっても、ついつい目に見える「人間」のほうを向いてしまう

 

しかし正しくキリストに目を向けて歩んでいくなら、一時的にひどい目に会っても、正しくさばいてくださる、「良い報い」がくる

 

起きてくるすべてのことは、主の許しの下に起きている、ゆえに人のことばかりを見ていてはダメ、「神のさばき」をきちんと見る!

 

 

 

72:3 山々、丘々は義によって、民に平和をもたらしますように。

 

72:4 彼が民の悩む者たちを弁護し、貧しい者の子らを救い、しいたげる者どもを、打ち砕きますように。

 

聖書のことばは何かと逆説的なことが多い、そしてこのこともそう、「心の貧しい者」(KJV訳:霊において貧しい者)は「幸い」だと言っている

 

悩む(英語):貧しい、KJV訳で「必要を求める者」と訳されている

 

この世で「貧しい者」は、嫌われる、でも、聖書では「幸い」と言っている

 

貧しくて求めていく人は、得るべきもの(永遠の命)を得る

 

霊的に「飢え」や「渇き」を感じているなら、「正常」と言える

 

そしてそういう人たちを、主は助ける

 

 

 

72:5 彼らが、日と月の続くかぎり、代々にわたって、あなたを恐れますように。

 

キリストを「恐れる」ことが大事

 

往々にして人は、「目に見える人」に目がいく、しかし「神」を恐れる

 

箴言1章に「主を恐れることは知識の初めである」と書かれている

 

今の時代、神のことを恐れない、ゆえに「的外れ」になる

 

「神への恐れ」が無いときに、「終末」のことを理解できないのでは?

 

「神への恐れ」が無いときに、「人間中心」になり、見るべきことが見えなくなる

 

神を恐れていくときに、「真理」を見る

 

 

 

72:6 彼は牧草地に降る雨のように、地を潤す夕立のように下って来る。

 

「雨」は、「霊的」な事柄のたとえ

 

そして神を恐れていくときに、イエス・キリストの霊、すなわち「聖霊」が下り、潤し、「霊的な力」が与えられる

 

 

 

72:7 彼の代に正しい者が栄え、月のなくなるときまで、豊かな平和がありますように。

 

教会で正しい人が栄えていく

 

 

 

72:8 彼は海から海に至るまで、また、川から地の果て果てに至るまで統べ治めますように。

 

あらゆる霊的な事柄は、キリストの支配の中にある

 

神の許しによって、ある人は「変な惑わし」に入る

 

一方、誠実に歩んでいる人は、神の憐れみによって真理を見る

 

 

 

72:9 荒野の民は彼の前にひざをつき、彼の敵はちりをなめますように。

 

「キリストの敵」はちりをなめる(『恥』を受ける)、ろくでもないものを受ける

 

 

 

72:10 タルシシュと島々の王たちは贈り物をささげ、シェバとセバの王たちは、みつぎを納めましょう。

 

キリストの前に「霊的な賜物」を捧げ、仕えていく

 

 

 

72:11 こうして、すべての王が彼にひれ伏し、すべての国々が彼に仕えましょう。

 

すべての教会がキリストに仕えていく、キリストの支配にある

 

 

 

72:12 これは、彼が、助けを叫び求める貧しい者や、助ける人のない悩む者を救い出すからです。

 

何の助けがなくても、正しく主に着いているなら、「キリストからの助け」が来る

 

 

 

72:13 彼は、弱っている者や貧しい者をあわれみ、貧しい者たちのいのちを救います。

 

正しく歩んでいる人は、「キリストからの救い」がある

 

 

 

72:14 彼はしいたげと暴虐とから、彼らのいのちを贖い出し、彼らの血は彼の目に尊ばれましょう。

 

 

 

 

72:15 それゆえ、彼が生きながらえ、彼にシェバの黄金がささげられますように。彼のためにいつも彼らは祈り、一日中、彼をほめたたえますように。

 

祈りをキリストに捧げ、一日中「キリストへの賛美」がある

 

 

 

72:16 地では、山々の頂に穀物が豊かにあり、その実りはレバノンのように豊かで、町の人々は地の青草のように栄えますように。

 

「みことば」に関する事柄

 

正しく主に従っている人は、「みことば」が豊かにある、「みことばの飢きん」に陥らない

 

レムナントもみことばに正しく従うこによって、色々な真理を見ることができた

 

Ex:聖霊が下ると、「霊的な争い」や「霊的な反発」が起きるということを主から教えていただいた

 

青草:みことば

 

キリストは正しい人には、「みことば」を与えてくださる

 

キリストは、それぞれの人の「行い」において報いる

 

 

 

72:17 彼の名はとこしえに続き、その名は日の照るかぎり、いや増し、人々は彼によって祝福され、すべての国々は彼をほめたたえますように。

 

72:18 ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行なう。

 

あらゆる教会のわざは、すべてキリストによってなされる

 

 

 

72:19 とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン。

 

72:20 エッサイの子ダビデの祈りは終わった。

 

 

 

 

※72篇は、「キリスト」に関してのみことば、そして「キリスト」が、クリスチャンやキリスト教会を治めている