詩篇109篇 2015.5.3
指揮者のために。ダビデの賛歌
「ダビデの賛歌」とあるように、実際にダビデが歌ったもの。語ったもの。偽りを語る人へのダビデのことば。
それと共にあらゆるみことばは、キリストを証している。このことは、キリストを通して救いがもたらされることを意味している。ゆえにキリストを尊重する。
そしてダビデもキリストの一面をあらわす型。王としてのキリストの型。だからと言って、イスラエルに歓迎されたか?と言うとそうではなく、さいごは死刑にされた。実際には王だったが、しかし受け入れられず、殺されてしまった。
25節はキリストに起きたこと。→偽証する人がいた。そしてベルゼブルで奇蹟を行ったなどと言われた。
「その頭を振ります」のことばについて、参照してみましょう。
参照 マタイの福音書27:39‐41
27:39 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、
27:40 言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」
27:41 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。
ダビデはこういう経験をしていない。けれどもキリストの生涯で起きたことがダビデの詩篇で語られた。そういう前提で109篇を見ていきたい。
109:1 私の賛美する神よ。黙っていないでください。
109:2 彼らは邪悪な口と、欺きの口を、私に向けて開き、偽りの舌をもって、私に語ったからです。
2節のことはダビデも経験した。しかしキリストの時に成就した。
Ex:ベルゼブル扱いを受けたり、安息日を破ったなどと言われた。
その時の型であり、預言。
そしてキリストの三年半のことは、これから来る三年半の艱難時代に起きる。主に着く人は色々と非難される。
Ex:同性愛を非難した!とか、そういう人は非人道的などと言われる。ちなみに渋谷区の区長は、同性愛を推進する方向だそうです。
みことばに対しての攻撃や非難が出てくる。
Ex:私的解釈については、「注解書が正しい」と言われ、「背教」のことは、教会は正しい方向への出発だなんて言われているそう。
2節のことはあってはならない。しかし現実にある。
おかしな解釈をしている人が、キリストの敵となる。
109:3 彼らはまた、憎しみのことばで私を取り囲み、ゆえもなく私と戦いました。
キリストに対して色々なことばを投げつけた。そしてそれは聖書に対して行っていることと同じ。
109:4 彼らは、私の愛への報いとして私をなじります。私は祈るばかりです。
109:5 彼らは、善にかえて悪を、私の愛にかえて憎しみを、私に報いました。
これからキリストへの攻撃、非難が来る。Ex:復活はしていなかった。
艱難時代の時に、正しいクリスチャンに起こることの預言。
109:6 どうか、悪者を彼に遣わしてください。なじる者が彼の右に立つようにしてください。
そういう人に対する呪いについて。
なじる(脚注):サタン
サタンが右に立ったら滅ぶ。
キリストのみことばを侮る人は、いずれ災いに会う。
みことばである神やキリストを非難していることになるから。
サタンに惑わされている人は、インチキの教えが正しいように見える。
サタンの惑わしに引っ掛かる理由がある→聖書の真理を偽りに変えたから。
神のことばをどう扱うか?どう取るか?その結果が、のちについてくる。
109:7 彼がさばかれるとき、彼は罪ある者とされ、その祈りが罪となりますように。
一生に一度のさばきのこと。
偽りのことばにくみしていくときに、有罪になってしまう。
一生懸命祈っていても、神の前に罪になってしまう。
109:8 彼の日はわずかとなり、彼の仕事は他人が取り、
彼の日はわずかとなり→長生きできない。
彼の仕事は他人が取り→インチキに加わっていると、召しを取られてしまう。Ex:イスカリオテのユダ
109:9 その子らはみなしごとなり、彼の妻はやもめとなりますように。
―
109:10 彼の子らは、さまよい歩いて、物ごいをしますように。その荒れ果てた家から離れて、物ごいをしますように。
彼らの子ら:インチキの教師や牧師に着いていく人(信者)
109:11 債権者が、彼のすべての持ち物を没収し、見知らぬ者が、その勤労の実をかすめますように。
いくら奉仕したり伝道したりしても、別の教会へ行ってしまう、という呪いが来る。その人が偽りに加担しているから。
109:12 彼には恵みを注ぐ者もなく、そのみなしごをあわれむ者もいませんように。
みことばにインチキを言っている人のところには誰も来ない。憎まれる。
109:13 その子孫は断ち切られ、次の世代には彼らの名が消し去られますように。
一家全滅で、信者が散らばってしまう。
何の奉仕も残らない。つまり御心から外れると、ろくなことにならない。
109:14 彼の父たちの咎が、主に覚えられ、その母の罪が消し去られませんように。
いくら聖餐のパンやぶどう酒を食べたり飲んだりしても、罪が残ってしまう。
Ex:艱難の前に挙げられると言っても、災いが復活してしまう。
109:15 それらがいつも主の御前にあり、主が彼らの記憶を地から消されますように。
やったことが何も残らない。
109:16 それは、彼が愛のわざを行なうことに心を留めず、むしろ、悩む者、貧しい人、心ひしがれた者を追いつめ、殺そうとしたからです。
主の時に成就。律法学者がしたこと。
正しいことをしている人に色々と意地悪をすると、ろくなことにならない。
109:17 彼はまたのろうことを愛したので、それが自分に返って来ました。祝福することを喜ばなかったので、それは彼から遠く離れました。
キを呪ったので、呪いが戻ってきた。
109:18 彼はおのれの衣のようにのろいを身にまといました。それは水のように彼の内臓へ、油のように、その骨々にしみ込みました。
109:19 それが彼の着る着物となり、いつも、締めている帯となりますように。
艱難時代にキリストが受けた迫害やみことばの苦難を受ける。
でも、そういう呪いは、皆そうした人に臨んでしまう。
109:20 このことが、私をなじる者や私のたましいについて悪口を言う者への、主からの刑罰でありますように。
キリストを呪った人は刑罰を受け、一人残らず殺された。
艱難時代にも成就すると思われる。
109:21 しかし、私の主、神よ。どうかあなたは、御名のために私に優しくしてください。あなたの恵みは、まことに深いのですから、私を救い出してください。
109:22 私は悩み、そして貧しく、私の心は、私のうちで傷ついています。
109:23 私は、伸びていく夕日の影のように去り行き、いなごのように振り払われます。
109:24 私のひざは、断食のためによろけ、私の肉は脂肪がなく、やせ衰えています。
正しい人は苦難を通る。
三年半、キリストが通った苦難を通っていく。
でも、その時の苦難だけですべてを理解しないようにする。それは一時的なものだから。
109:25 私はまた、彼らのそしりとなり、彼らは私を見て、その頭を振ります。
はじめに話した通り。
なぜ、パリサイ人がキリストを憎んだり、十字架に付けたのか?→キリストが義(さばき)を宣べたから。さばきが来ることを言ったから。
私たちもさばきに関して宣べるべき。しかし、大分前にHPの掲示板に角笛のことを書いたら削除された。
正しいがゆえに非難される。
罪を指摘しなければ穏やかな人生だったかもしれない。十字架にも付けられなかったかもしれない。
私たちもキリストと似たような目に会う。
109:26 わが神、主よ。私を助けてください。あなたの恵みによって、私を救ってください。
109:27 こうして、これがあなたの手であること、主よ、あなたがそれをなされたことを彼らが知りますように。
109:28 彼らはのろいましょう。しかし、あなたは祝福してくださいます。彼らは立ち上がると、恥を見ます。しかしあなたのしもべは喜びます。
109:29 私をなじる者が侮辱をこうむり、おのれの恥を上着として着ますように。
109:30 私は、この口をもって、大いに主に感謝します。私は多くの人々の真中で、賛美します。
109:31 主は貧しい者の右に立ち、死刑を宣告する者たちから、彼を救われるからです。
31節→あわや、というときにキリストの再臨が来る。
ダビデが語った。しかしキリストの生涯に起きたこと。
正しく神のことばを語ったから、そういう目に会った。
パリサイ人が怒ったのは、聖書の解釈を曲げていたから。
そしてこのことはすでに起きている。Ex:艱難前携挙説
そういうことを非難したために、苦難に会った。でも、真理は私たちにある。
その当時の民→あまりにもみことばとかけ離れた歩みをしていた。ゆえにぶつかり合いが起きた。このことは終末に再現する。そして正しいほうは非難される。でも、キリストと同じ結果になる。
ポイント:みことばに正しく立つ人に恵みがある。
レムナントキリスト教会
お問合わせ
Tel
E-mail koukanojisan★yahoo.co.jp
(★の箇所を@に変換してください)
天皇家は万世一系のダビデ王朝の末裔である!警告の角笛シリーズ エレミヤ著