詩篇118篇 2015.6.28

 

118:1 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。

118:2 さあ。イスラエルよ、言え。「主の恵みはとこしえまで。」と。

118:3 さあ。アロンの家よ、言え。「主の恵みはとこしえまで。」と。

118:4 さあ。主を恐れる者たちよ、言え。「主の恵みはとこしえまで。」と。

 

とこしえ=永遠

 

人間関係は、続かないかもしれない。

 

しかし、主は、こちらが離れないかぎり、ずっと続く。ゆえに主を信頼していきたい。

 

118:5 苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。主は、私に答えて、私を広い所に置かれた。

118:6 主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。

118:7 主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。

 

人の憎しみばかりを考えてはいけない。

 

118:8 主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。

118:9 主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。

 

神に頼るか?or人に頼るか?について、聖書のあちこちに書かれている。

 

いくら人気のある器でも、間違える。ゆえに人を頼みとしていくときに、どこかで間違えてしまう。

 

しかし、主に頼っていくときに、そうではなく、召しも分かる。

 

エレミヤ牧師の証:弟子の歩みをするようになり、召しが少しずつ見えていくようになった。ある時、自分に質問してきた人がいた。「召しは何?」と聞かれ、「教師」と答えた。そして、終末のことを解説していくようになるのでは?と思い、本当にそうなってきた。ただ、同じ教会内に、個人預言をする人がいて・・・その人に聞いたときに、別のことを言われてぐらついてしまった。しかし、主に聞いたら、「預言の解釈に進む」と言われた。

 

誰の声に従うか?→主の声に従うのが正しい。

 

主の声は的確なので、その声に従っていきたい。

 

118:10 すべての国々が私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。

118:11 彼らは私を取り囲んだ。まことに、私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。

118:12 彼らは蜂のように、私を取り囲んだ。しかし、彼らはいばらの火のように消された。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。

118:13 おまえは、私をひどく押して倒そうとしたが、主が私を助けられた。

118:14 主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。

 

奉仕をしていくときに、「取り囲まれる」ことがある。

 

でも、主の御名によって断ち切っていく。

 

レムナントも、こういうことが避けられない。すべての国々に取囲まれる。

 

忠実におこなっていくときに、こういうことがある。

 

でも、祈って勝利を得ていく。

 

Ex:トロントのCDの販売の時に、ペンテコステ派の人が怒った。でも、きちんと警告は広がっていった。それで真理を見たり、助けられたりした人もいた。

 

118:15 喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。主の右の手は力ある働きをする。

118:16 主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。

118:17 私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。

118:18 主は私をきびしく懲らしめられた。しかし、私を死に渡されなかった。

 

18節のようなことがある。しかし、それは私たちの訓練のため。

 

118:19 義の門よ。私のために開け。私はそこからはいり、主に感謝しよう。

118:20 これこそ主の門。正しい者たちはこれよりはいる。

118:21 私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです。

 

主は、私たちの救いとなられる。

 

118:22 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。

 

エルサレム、イスラエルが家を建てるときに、「石」で家を建てる。

 

家づくりは、石を集める。役立つものを集め、使えないものは捨てる。

 

:教会

 

教会を建てるのは、律法学者とか、リーダーの立場の人。でも、イエス・キリストがまさにそう。教会とは、人の集まりで、集会のリーダーたちは、ナザレのイエスを相手にしなかった。異端扱いをして、逮捕し、殺してしまった。

 

でも、その石であるキリストは、神に選ばれる土台石となった。

 

教会の礎はキリスト。神の前にはそうだった。

 

そして、キリストは模範なので、キリストに忠実なら、同じような目に会う。

 

また、主の選びと人の選らびは違う。

 

御心をおこなって捨てられたら、それでよい。場合によっては、神に礎として用いられる。

 

ゆえにきちんと従っていれば、人の評価は気にする必要はない。心配する必要はない。

 

ポイント:神の前に礎の石となる。

 

118:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。

 

主がなされたわざは、ふしぎなことが多い。

 

主は、人をおどろかすことをされる。

Ex:主の降臨の時、皆、引っ掛かった。パウロの言っている信仰義認。律法は廃棄されるもの。ユダがキリスト教会のリーダーになる。ちなみにダニエルはユダ部族。ゆえに、日本から啓示が開かれる。

 

118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。

118:25 ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。

118:26 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。

118:27 主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。

118:28 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。

118:29 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。

 

主の恵みがとこしえまであることも、とらえていきたい。