詩篇126篇 2015.9.13

 

都上りの歌

 

 

126:1 主がシオンの捕われ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。

126:2 そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」

126:3 主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。

 

この箇所はシオン、つまりエルサレムの歴史をある程度知らないと、こういうことが理解できない。

 

エルサレムに都を建てたのはダビデ。そしてエルサレムの神殿は、ダビデ&ソロモンの時に建てられた。

 

でも、最後の王朝の時にバビロン捕囚されてしまった。この時、都も崩壊した。エルサレムの門は火で焼かれ、宮は崩壊した。

 

こういうことは、列王記や歴代誌に書かれている。でもその後、エズラ記、ネヘミヤ記があり、その時に再建がある。そういう流れで書かれている。つまり宮が崩壊した前提で上記の節が書かれている。

 

崩壊したことは、歴史的な事実。でも、それだけで終わらない。裏の面では預言的なことがある。そして回復は、教会時代に起きてくる型とも思われる。つまりシンクロナイズ、相似する。

 

世の終わり、教会がバビロン捕囚されることは聖書で暗示されていること。そのひとつの根拠として、黙示録にバビロンのことが書かれている。ゆえに再現する。

 

また、新約時代のバビロン捕囚とは、アメリカのバビロン化した教会に全世界のキリスト教会やクリスチャンが捕囚されていくことだという風に、レムナントキリスト教会では理解している。

 

「獣に乗る女」ということがあり、獣(アメリカ)とバビロン(アメリカのキリスト教会)は、切っても切り離せない。

 

アメリカのキリスト教会は、まともではない。

Ex:レフトビハインド、ヤベツの祈り、ベニー・ヒンの集会

 

アメリカのキリスト教会に何の違和感も覚えないのは盲目であり、何も分かっていないし、感覚が麻痺していると言えるのでは?と思う。

 

たとえば、添加物の入ったものばかりを食べると、体に痒みが来たり違和感があったりする。

 

アメリカのキリスト教会は、バビロン化したキリスト教会である。そして盲目な人たちは、何の問題も感じていない。もし、神の働きを担うなら、こういうことはきちんと見ないとダメ。旧約の預言は、新約時代におけるバビロン捕囚のことでもあるから。

 

黙示録では、バビロンから出たもので、王たちを汚したことが書かれている。

 

あらゆるキリスト教会がアメリカ由来のキリスト教に影響されている。そしてアメリカのリバイバル集会が広がっている。世界中に影響を与えている。

 

アメリカがバビロンだとするなら、全地に汚れが行き渡ることが成就する。教理もそう。

Ex:レフトビハインド、つまり艱難前携挙説を受け入れている。おかしなリバイバルもそう。

 

ゆえに預言が成就していると言える。そして日本もそうである。多くの教団がアメリカの影響を受けている。しかも多くのクリスチャンは、バビロン化されていることに気付いていない。艱難前に携挙されると思い込んでいる。それを前提に126篇は始まっている。

 

バビロンにあらゆる国のキリスト教が汚染され、都が破壊され、崩壊されたことを前提にみないと理解できない。

 

バビロンの回復は、バビロンから出て行くこと。そして壊されたものを回復することが大事。教理&霊において、アメリカのおかしなものから脱却するのが回復の働きとなる。ちなみにレムナントキリスト教会では、レフトビハインドの誤りを指摘したり、たとえの意味合いを理解したりする。

 

そして回復の働きをしていったときに、主がいつか元通りにしてくださる。少数派なので働きをしていったときに、主がいつか元通りにしてくださる。

 

少数派の可能性があるかも知れないが、しかしいつか実現する。

 

「回復」について、いくつか参照してみたい。

 

参照 ネヘミヤ記1:2,3

1:2 私の親類のひとりハナニが、ユダから来た数人の者といっしょにやって来た。そこで私は、捕囚から残ってのがれたユダヤ人とエルサレムのことについて、彼らに尋ねた。

1:3 すると、彼らは私に答えた。「あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままです。」

 

ここでネヘミヤは立ち上がった。それと同じように、レムナントキリスト教会も問題を見たので、立ち上がった。たとえば、トロントの集会のビデオを観て回復の働きをした。

 

参照 ネヘミヤ記3:13

3:1 こうして、大祭司エルヤシブは、その兄弟の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。彼らはそれを聖別して、とびらを取りつけた。彼らはメアのやぐらまで聖別し、ハナヌエルのやぐらにまで及んだ。

3:2 彼の次にエリコの人々が建て、その次にイムリの子ザクルが建てた。

3:3 魚の門はセナアの子らが建てた。彼らは梁を置き、とびら、かんぬき、横木を取りつけた。

 

色々な人が分業して火で焼かれた建物を回復した。こういうことが尊い。レムナントキリスト教会も同じ意味合いで、私たちの部分を行っている。門を回復する作業に入っていくのが大事。

 

Ex:艱難前携挙説について、終末の空想話だという風に打ち出していった。そして日本で艱難前携挙説を本で広げた人がいた。でも、今はだんだんとそうではなくなってきているそう。形勢が徐々に逆転しつつある。ゆえに行ってきたことは無駄ではない。

 

私たちは回復の働きの一部を担っている。そして少しずつ旗色が変わってきている。ゆえに失望しないこと。

 

126:4 主よ。ネゲブの流れのように、私たちの捕われ人を帰らせてください。

 

私たちの繁栄が元通りになる。このことを祈り求めている。そして働きの最終形について、少し見てみたい。

 

参照 ヨハネの黙示録12:1,69

12:1 また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。

12:6 女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。

12:7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、

12:8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。

12:9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。

 

回復された天的な教会について言われている。

 

「ひとりの女」とは、教会のこと。そして、女の子どもは殉教者である。

 

そして天的な教会に属しているときに、1260日の間守られる。

 

回復した教会からは、サタンの働き&使いが追い出される。天的な教会は、教理&霊的なことにおいて、あらゆることが回復される。

 

「古い蛇」とは、エデンの園でエバをインチキの教理で騙した蛇のこと。回復の働きは、こういうことが追い出されることを言っている。後にこういう日が来る。今は途中。

 

けれども全世界の教会が回復されるわけではない。地下教会が回復される。教会は二種類に分けられる。そして周囲で迫害や問題が起きても純粋になっていく。おかしな教会は益々おかしくなる。

 

126:5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。

126:6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。

 

教会の回復&バビロンの回復と、種を蒔くこととは関係する。世の中にはあらゆることがあるが、しかし普通種蒔きとはほとんど関係しない。

 

「種」とは、みことばの種のこと。まさにレムナントキリスト教会が行っていること。そして蒔くなら、いずれその実を見るようになる。

 

教会の回復は、教理を蒔き続けていく中で見ていく。でも残念ながら、ニュースレターにしても歓迎はされない。皆が皆理解してくれるわけではないので、涙をもって蒔く。その中で真理を見る人がいる。レムナントキリスト教会に来る人が蒔かれた種を見て来る。そして蒔いた人が刈り取る。

 

しかしこのことは大歓迎ではなく、文句を言ったり、断ってきたりする人もいる。ベニー・ヒンのビデオに抗議する人もいた。でも、反対にそれを通して警告になったり、おかしな集会と距離を置く人が出てきているのも一面の事実。

 

バビロンからの解放、すなわち宮の再建の働きをレムナントキリスト教会は担っている。すなわち、涙と共に神の祝福や恵みがある。真理の道を歩んでいる。