詩篇133篇 2015.10.25

 

都上りの歌。ダビデによる

 

 

133:1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。

 

「兄弟たちが一つになって共に住む」ということばは、世間的にはごく普通のこと。一般的に、家族の中には兄や姉や弟や妹がいるから。けれども聖書においてはそれだけを言われているのではなく、「兄弟たち」とは、教会の兄弟姉妹のことをも言われている。

 

ちなみに「一つになって共に住む」とは、「一致を持って住む」ということを言われている。つまりここで、「教会で一致が大事」ということを言われている。そしてテトスの手紙に、「分派を起こす者は、一、二度戒めてから、除名しなさい。」(テトスの手紙3章10節)と書かれているように、それだけ教会内における一致は大事である、ということが理解出来るのでは?と思う。しかし残念なことに、キリスト教会は分裂していく。

 

エレミヤ牧師の証:かつてホーリネス系の教会に通っていたことがあった。そしてホーリネスも分裂している。たとえば、神学校を無くす、無くさない、といったことが起きた。しかし結局のところ、無くなってしまった。また、エレミヤ牧師のいたホーリネスの教会は、「聖協団」というところだった。しかしホーリネスの教会は「聖協団」だけではなく、「兄弟団」というものもあり、エレミヤ牧師のいた教会は、兄弟団と分裂した。そういったことからも、兄弟が一つになる、というのは難しいのでは?と思う。

 

「分裂」ということに関して、さらに見ていきましょう。

 

参照 Ⅰコリント人への手紙11:24

11:24 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」

 

「これはあなたがたのための、わたしのからだ」のところは、新改訳聖書の注釈には、「異本:これはあなたがたに裂かれたわたしのからだ」と書かれている。ちなみに、「異本」とは、聖書の写本の多数派のテキスト(正当な写本)のこと。そしてこのことばを通して、「分裂」に関して意味があることが理解出来る。

 

「パンを裂く」ということに関しての語りかけがある。「パン」とは、「みことば」とか「教理」のことを言われている。本来は「ひとつのパン」なのだが、しかし裂かれていく、ということを言われている。「あなたがたのために裂かれたわたしのからだ」とは、まさしくそのことを言われている。これはどういうことなのか?と言うと、「みことばは、元はひとつ。一種類。」だということを言われている。でも、ここでイエスさまは、「あなた方のために裂かれ、分裂した。」ということを述べている。そして「みことば」は「教理」のことをも言われている。つまり本来みことばはひとつであり、解釈もひとつである、ということを言っている。

 

たとえば、携挙は艱難後だということを聖書は述べている。しかし、クリスチャンは艱難を通らずにその前に挙げられる、という教えもある。また、イエス・キリストは神なのだが、しかしあろうことか、一部のキリスト教の人は、「イエス・キリストは神ではない。」ということを言っている。これはまさに、パンが裂かれている、と言えるのでは?と思う。

 

つまり、間違えた教理のために裂かれた、ということを言われている。しかも神さまではなく、人の都合で裂かれていく。しかし神の都合を優先していくなら、お互いに分裂したり、罵り合うことから守られる。ちなみにローマ・カトリックは、聖書と違うことを言っている。たとえば、「地獄は無い」と言っている。ゆえに一致は出来ない。そして自分たちの都合で聖書を読んでいるために、分裂が起きてしまう。また、実際に教会で分裂は多いと思う。それゆえに、もし、教会で分裂が無く、一緒に住めるなら、例外的と言えるし、それは恵みである。

 

133:2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。

 

1節のことに関連して、「頭の上にそそがれたとうとい油」(聖霊)の働きがある。つまり教会の真の一致は、「油」(聖霊)と関係がある。イエスさまもそう語っている。その箇所を見てみましょう。

 

参照 ヨハネの手紙17:11

17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。

 

「あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。」とあるように、「分裂しない」ということを言われている。その際、「聖霊」のことを語っている。つまり、「一致」は、「聖霊、神にあってのこと」だということを言われている。そして本当に「一致」を求めていくなら、「聖霊」が下されて実現する。さらに見てみましょう。

 

参照 ヨハネの手紙17:2123

17:21 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。

17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。

17:23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。

 

順に見ましょう。

 

17:21 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。

 

ここでイエスさまは、これらのことばを12弟子に語っている。そしてそのことに意味がある。「12弟子」は、新約の教会の発端となった人たち。つまり、神さまの目的は、新約時代を歩む私たちにおいても、12弟子たちと同様、分裂が無く、ひとつになることである。そうです。神、聖霊にあっての一致が非常に大事である、ということをここでも語っている。続いて見てみましょう。

 

17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。

 

神にあっての一致を保つなら、教会や教派やイスラエルの一致となる。反対に聖霊から外れてしまうときに、一致が無くなってしまう。さらに見てみましょう。

 

17:23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。

 

個々におけるクリスチャンに、神御自身が住んでおられる。このこともまさに「一致」と言える。そして各クリスチャンが正しく聖霊を保っているなら、教会において一致が保たれる。ちなみにレムナントキリスト教会は、聖霊が語っているメッセージを語り、求めている。たとえば、「宮の崩壊」を通して、これから教会の教理が崩されていくことについて理解したので、そのことを語っている。また、教会が獣化していくので、仮庵の祭り(地下教会)を推進している。クリスチャンは艱難を通るので、それゆえに携挙は艱難の後なので、艱難のための備えをするように呼びかけている。獣の国はヨーロッパではなく、アメリカであることを打ち出している。

 

そのようにみことばに基づいて真理を語っていくときに、そのことに納得する人が集められていく。逆に反論する人や同意出来ない人は来ないので、自然な形で「一致」が作られていく。そう、繰り返しますが・・・聖霊にあって歩んでいくときに、「一致」がある。聖霊にあることを語っていくときに、特に苦労せずに「一致」が実現していく。それは祝福である。

 

133:3 それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。

 

「露」は、霊的な事柄を指し、ここでは「聖霊の働き」のことを言われている。「いのち」とは、「永遠の命」のこと。ゆえにここでは、「聖霊の働きに導かれる中で、永遠の命の祝福を命じた。」ということを言われている。そして、聖霊の一致の先に待つものは、「永遠の命」だということをも語っている。そうです。「聖霊の一致」によって歩むことで、一歩ずつ永遠の命に近付いていく。しかし「聖霊の一致」ではなく、人間的な一致だと、惑わされていく。