詩篇138篇 2015.11.22

 

ダビデによる

 

 

138:1 私は心を尽くしてあなたに感謝します。天使たちの前であなたをほめ歌います。

138:2 私はあなたの聖なる宮に向かってひれ伏し、あなたの恵みとまことをあなたの御名に感謝します。あなたは、ご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたからです。

 

2「あなたは、ご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたからです。」とあるように、主は「みことば」を高く上げられるお方。そんな風に主は、「みことば」に関して、力を入れておられる。主(イエスさま)に関して、色々な要素がある。その中で、神さまのみことばにこだわっている、という部分があるので・・・私たちも神さまのみことばに特に注意をして、敬意を払っていきたい。

 

たしかに賛美をするのも大事。キリストの絵画を上手に描くのも大事かも知れない。そんな風に色々な意見がある。しかし、「みことば」に関して、大いに注意を払う。ちなみにヨハネの福音書には、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネの福音書1章1節)とある。このことで、「ことばが神である」ということを言われている。それゆえに聖書のことばは重く、大事である、ということが理解出来る。

 

神さまがご自分のことばに重きを置いているので、私たちもみことばを尊重して大事にしていくときに、恵みや祝福を受ける。けれども、みことばに対して不正を働いたり、曲げたりしてしまうと、祝福や恵みには入らない。しかし、レムナントキリスト教会は、このことで大いに恵みに入っている。

 

エレミヤ牧師の証:ホーリネス系の教会は「艱難前携挙説」を奨励していた。それは中田重治のムーディーキリスト教学院が艱難前携挙説を推薦していたから。でも、いつしか私(エレミヤ牧師)は艱難前携挙説がおかしいことに気付いた。勿論人間的には艱難は無いほうが良い。しかし自分の都合や感情ではなく、主の都合を優先しようと思った。そうしたところ、教会を追い出されてしまった。でも、今の働きに入ることが出来た。みことばを取り、教理を捨てたことが転機となり、大事な啓示が開かれた。たとえば今朝の礼拝の黙示録のメッセージを通して、旧約の民が反逆の民と呼ばれたことから、新約の民も同じことを言われている、ということを理解した。そういうことを理解出来るのは、主のみことばを尊重したから。

 

138:3 私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私のたましいに力を与えて強くされました。

 

弱った時であっても、ぜひ、主を呼びましょう!そうしていくときに、力を与えてくださり、助けてくださる。たとえ、問題やトラブルがあっても、主を呼び求めていきたい。

 

138:4 主よ。地のすべての王たちは、あなたに感謝しましょう。彼らがあなたの口のみことばを聞いたからです。

 

「彼らがあなたの口のみことばを聞いたからです。」とあるように、ぜひ、「主の口のみことば」を聞いていきたい。それに関連して、このようなみことばがあります。

 

参照 マタイの福音書4:4

4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

 

「パン」とは、「印刷された聖書」のことを言われている。また、「一つ一つのことば」とは、「ケースバイケースのことば」のことを言われている。そしてこのことが大事。つまり主のことばは、一律ではない、ということを言われている。「一つ一つのことば」を主が語る。ゆえに「そうなんだ!」と期待して求める。「御口のことば」をもって、主は語ってくださる。

 

ところでエレミヤ牧師もその都度大事なことばをもらっているそうです。たとえば働きに関して、「国中のけんかの相手」とか、です。主が御心の中で大事なことを語ってくださる、ということを体験されている、とのことです。他にもあって、たとえば・・・ここ最近(今現在:2015年11月)角笛のHPに「エジプトの災い」のことを掲載した。「10の災い」ということを指して、主はエジプトについてどんなことを言われているのか?長い間、疑問だったそうです。ソドムに関しては、「同性愛」が、この世の中だけではなく、キリスト教会にも蔓延していく、ということを理解したそうです。しかし、エジプトに関しては今ひとつ分かっていなかったそうです。なので、陰ながら主に聞いていたそうです。そうしたところ、「御口」をもってある時語ってくださったそうです。聖書を読んでいたときに・・・詩篇を学んでいる中で、エジプトのしるし&不思議のことが目に留まり・・・また、エジプトに不思議が沢山起きる、ということが他の箇所でも言われており・・・そして、「しるし&不思議」とは、まさにピーター・ワグナーのことなのでは?すなわち「聖霊の第三の波」をはじめとするおかしなリバイバルが、エジプトのしるし&不思議と言っているのでは?と思った。出エジプト記に書かれている、「蝿」や「虻」や「血の水」こそが「エジプトの不思議&しるし」なので、「聖霊の第三の波」がまさしくそうだと言えるのでは?と思ったそうです。エレミヤ牧師はこの時、主のみことばを聞いたそうです。そしてかつて疑問に思っていたエジプトの謎が氷解したり、晴れなかった霧が消えていったりしたそうです。それは主が語ってくださったから・・・だそうです。

 

ポイントは・・・主は、お一人一人の状況&ケースに応じて語ってくださることを信じることです。「耳のある者は聞きなさい。」(マタイの福音書11章15節)とか「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイの福音書7章7節)ということをイエスさま言われておりますので・・・つまり、聞かなければ教えてもらえないし、求めないと与えられないので、神さまにぜひ、聞いて求めていきたい。そして、「主の口のことば」を求めていく人は、聞くようになる。ただし、聞いたからといって、その日とか次の日にすぐに答えが来るとはかぎらない。けれどもある時、ふと主が語られる。エレミヤ牧師もまさにそうでした。そして繰り返すようではありますが・・・求めていく人が主の口のことばを聞く。

 

138:5 彼らは主の道について歌うでしょう。主の栄光が大きいからです。

 

「主の道」とあるように、「主の道」と言われている「道」がある。そして「主の道」を正しく歩めるように求めていきたい。別の道を歩むことのないように、気を付けていきたい。ちなみに、「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイの福音書7章14節)とあるように、「狭い道」に大いにポイントがある。また、「見いだす者はまれ」とあるので、ぜひ、求めていきたい。そうするなら、教えてくださる。

 

138:6 まことに、主は高くあられるが、低い者を顧みてくださいます。しかし、高ぶる者を遠くから見抜かれます。

 

聖書の中で、よくこういうことが言われている。たとえば、「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」(ヤコブの手紙4章6節)とある。このように・・・高ぶっていると、ろくなことがないので、へりくだっていきたい。そうするなら、災いも回避出来たりする。たとえば旧約のイスラエルの王アハブは罪を犯したが、しかしその後神の前にへりくだったので、神さまは罰を下すのを思い直した。ヨナの時もそうだった。神さまはニネベの町を滅ぼす予定だったが、ヨナの説教を聞いて人々が悔い改めたので、そのことを取り止めにした。そのお陰で、ニネベの人々は災いから免れることが出来た。

 

そんな風に・・・へりくだった者に大いに恵みがある。また、「高ぶる者を遠くから見抜かれます。」とあるように、高ぶっている人は神さまに見抜かれて、災いが来てしまう。エレミヤ牧師がおっしゃるには・・・変な霊や惑わしの霊とかおかしな教理&預言を掴んでいる人をピックアップすると・・・ある共通点が出てくるそうです。それは高ぶっている人だそうです。まさに神に見抜かれて、変なものを掴んでしまう、とのことです。反対に謙虚な歩みをする人は、助けや恵みを受ける。

 

エレミヤ牧師の証:以前、教会を追い出された時は悲惨だった。艱難後を言い出したら、次第に教会に居づらくなった。その教会での私(エレミヤ牧師)への認識は、「教会の権威に逆らっている。」とのことだった。私(エレミヤ牧師)は、「惑わされている。高ぶっている。」と見なされていた。勿論、人前でも、神の前でも、高ぶるのはNG。けれども、たとえ人前には高ぶっていると思われても、しかし神さまの前に「低い」とか「へりくだっている」と見なされるなら、大丈夫。そして、主の前に謙虚に従った。自分(エレミヤ牧師)は、本当に神の前に謙虚だったので、恵みを受けた。

 

このように・・・人前の評判はともかく・・・しかし神の前に謙虚だと恵みを受ける。たとえば、ごく最近では先ほども話しましたように、「エジプトの災い」や「主の日」に関する啓示が開かれた。そしてなおも、「バビロン」についての大事な啓示も開かれつつある。ポイントは、神の前にへりくだった歩みをする、ということです。

 

138:7 私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださいます。私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし、あなたの右の手が私を救ってくださいます。

 

色々と「苦しみ」を通ることがある。また、「私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし、」とあるように、敵からも、人からも、「怒り」が来ることもある。でも、「あなたの右の手が私を救ってくださいます。」と書かれているように、主の「右の手」が救ってくださることを期待していきたい。

 

138:8 主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。

 

「主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。」とあるように、クリスチャンとして歩みをしていると、すべてのことに主が関わってくださる。

 

エレミヤ牧師の証:「預言者エレミヤの働き」に関わる全ての奉仕をレムナントキリスト教会は、神から託されている。それで当教会では、HPにおいて、「エレミヤのメッセージ(750)」「メールマガジン」「音声礼拝メッセージ」「レムナントメンバーの募集」「ノンクリスチャン向けのサイト」「月刊バイブル」「角笛のニュースレター」「音声黙示録セミナー」「角笛のHP」等の働きをさせていただいている。そして「預言者エレミヤの働き」は、エレミヤ牧師個人のことだけではなく、教会においてのことなので、レムナントキリスト教会の中で関わることを、それぞれ主が示してくださっている。そしてそれを行っていく。そうすると、主が成し遂げてくださる。

 

また、教会だけではなく、別途、個人的な働き&示しも成し遂げてくださるので、ゆえにこのことも期待していきたい。しかし、自分の望みのままに進めてしまうときに、ろくなことにならないのでは?と思う。それゆえに神さまの御心を求めていきたい。そうしていくときに、「神のわざ」を見る。リピートになりますが・・・私たちに関わるすべてのことを、主が成し遂げてくださることを見ていきたい。